今日は電話で、K夫人から『猫屋のブログは哲学系じゃなかったの?サッカーばっかり。』とおこられてしまった。数日前、同夫人は『サッカー・ブームは社会現象なんだから書け書け。』とおっしゃっていたのである。言い換えれば、日本およびフランスチームのWカップでの不調はいたるところで思わぬコーラテラル・ダメージを生み出しているのだ。
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餅は餅屋、哲学は哲学者、歴史は歴史学者にお任せするとして、手前猫屋にできるのはル・モンド記事の貼り付けぐらいである。---とは言うものの、chaosmos氏が思想家にしてミラノACのサポーターであるトニ・ガタリトニ・ネグリ(訂正後記:何たる間違い、これもフットのたたりか、、)がサッカーを語るリベ・インタヴューを翻訳している。
→ネグリ - リベラシオン紙でラ・スクアドラを熱く語る
リベ原文記事は→«En Italie, le catenaccio, c'était la lutte des classes»
極左哲学者がベルルスコーニがオーナーであるサッカーチームのファンであるというパラドクスについてなにやら語っているわけだ。
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元来フットというのは庶民大衆低所得者のスポーツだ。足とボールさえあれば誰でもどこでも出来るし、オフサイド意外に厄介な決まりはないから、見る方だって猫屋のような素人でも充分楽しめる。チーム・ワークもあるし、必ずしも押してるチームが勝つわけでもない。おまけに、アフリカ・南米がいい選手を多く出していたり、スポーツがステイタス化している合衆国でまったく人気ない、というのも面白い。フットボールは、アメリカンスタンダードを抜いたグローバリゼーションだったりする。ブラジル勝ったらリュラはサンバを踊るだろうよ。
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さて、まずはニッポンの悩み。日本が2戦続けて負けたのはNHKのせいだとか電通のせいだとかと言う説を拝見した。これは正確ではないだろう。なぜなら、午後の試合は暑すぎるのに、放映時間の都合でニポンTVおよび広告代理店が午後に試合を組ませたのであるとしても、こちら欧州での『韓国・日本のアジア勢は高温多湿のコンディションに慣れているから、欧州チームより有利』という一般的な考えから言えば、負けるのは欧州組みだったりするはずである。また、FIFAは近年になってサッカーづいたアジア圏を視野に入れて試合編成をしているのは理解できるが、この場合大フィーバーの韓国TVと韓国広告代理店も共犯と言えるであろう。ましてや、サッカー人口は実に米合衆国を除く世界全体であることを考えれば、この論法は、FIFAのそろばん勘定はどうもやりすぎと思う私にさえ、極めて日本中心的発想に映るわけだ。(解決策として、たとえば朝10時にキックオフなら午後の陽射しは避けられる。でもTV視聴率は下がるだろう。)
また、一言書き加えれば、たとえば昨日のパリはクソ暑かった。用がなければ表に出たくないほどに暑かったのである。ジリジリ。冬は寒くて夏は暑い、内陸気候のドイツは大変であろう。サッカー一試合で選手はだいたい4キロほどやせるそうだ。4リットルの汗、汗に国境はないのだ。
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そういうわけで、長かったここまでが前書き。以下は本題のル・モンドによる『なんでフランスチームは勝てないのか』記事です。タイトルは 《審判が槍玉に、レ・ブルー原因を求めて》。
LEMONDE.FR | 19.06.06
レ・ブルーはまだ予選落ちしたわけでもないのに、早くも皆が責任者を見つけようと必死になってる、という内容だ。(ニッポン・フランスおんなじ結果でおんなじ言い訳、という気がしないでもないが。)記事にある不振の原因とは、
- 審判:対韓国戦でのヴィエラのノン・カウントゴール、あの時点から選手の動きが止まってしまった。微妙なゴールには、ラグビーですでに使われているようにヴィデオによる判断を導入すべきであると言う声が高い。
- 芝生の状態:急にやって来た熱波の影響で芝が乾きすぎ、ボールが上手く回転しない。結果守備に有利かつ攻撃に不利になった。
- 年齢:フランスチームの平均年齢は30歳と289日。これはWカップ史上、1998年のベルギーとドイツに継ぐ第三番目の高齢チームである。チーム中最も年とってるのがバルテーズで34歳と355日、最も若いマルーダが26になったところ。
以下、記事は各仏プレスの圧倒的悲観反応を紹介したあとで、『しかしすべてはまだ決まったわけではない。』 と、トーゴとスイスと韓国とフランスの勝負コンビネーション例を挙げている。あーあ、悩みは果てないワールドカップ。
悩みついでにもうひとつ記事貼り。これは《最後の警告》というタイトルで、ジネジン・ジダンについて書かれたもの。レ・ブルーの運命が決まるケルンでの対トーゴ戦の当日、6月23日金曜日はなんとジダンの34歳の誕生日なんですね。ご存知のようにジダンは二枚目のイエローカード警告を受け当日はプレイしません。それでこのタイトルなんだが、えーん誰か何とかしてくれい。
1998年のWカップ最終仏・ブラジル戦は、猫屋ヴァカンス先南仏の海岸沿いの小さなピザ屋で友人達とTV見ていた。家族でやってるピザ屋の主人はアルジェリアの親父で、ゲームの最後の10分ほどは感激あまって、というか見てられなくて表通りに出て終わりまで戻ってこなかったよ。あの時はみんな幸せだった。親父も客もみんな抱き合って喜んだわけだ。親父泣いてたし。 --- たかがフット、されどフット。