8月14日のル・モンド記事ですが、即効訳してみます。
Avec les Frères musulmans, l'armée a aussi écrasé la démocratie naissante
ムスリム同胞団ばかりではなく生まれたばかりの民主主義も、軍は潰してしまった。
クリストフ・アヤッド 2013年8月14日
イスラミスト達だけが、この水曜に行われた2箇所でのモルシ派活動家「座り込み」への治安部隊攻撃の犠牲者ではない;この攻撃は全国で150を越す死者を出したと暫定的に考えられている。この治安のみを重視する政治選択は、すべてのリベラルな人々を政治的に除外することになる。ムハマド・エル・バラダイはこれをよく理解し、水曜の午後半ばに辞表を提出した。2003年ノーベル平和賞受賞者バラダイは、軍によるイスラミストのムハマド・モルシ大統領打倒後の暫定政権内で、最後まで平和的解決を勝ち取るためにたたかった。しかし、軍参謀長・防衛大臣のアブデル・ファッタア・アル-シッシ (Abdel Fattah Al-Sissi)に代表される「治安第一」主義者たちが勝ち残った。
後退
おそろしい後退である。何にもまして、ムバラク時代の最悪な象徴への後退だ:ムバラク元大領領が君臨した30年に継続され続けた非常事態、それが一ヶ月間にわたって再び布かれたのだ。これにより軍は市民を逮捕し、また裁くことができる。これは、2011年1月の革命によって得たことすべての否定だ。
エル・バラダイに続き、政府内のリベラルの多くは政府を去ることになるだろう、さもなければ盲目でシニカルな圧力に押しつぶされることになる。もしも残ったとしても、その声は物の数にもならないと彼らは知っている。軍権力を支持し、あるいはさらに軍の権力への帰還をそそのかしたことで、彼らはイスラミストたちから忌み嫌われ、ナショナリストとメディアのアンチ-兄弟団プロパガンダによって白熱する一般市民からは、よくて「臆病者」最悪の場合「裏切り者」と見られるだろう。
教会・コプト教市民・警察署への攻撃など、ラビヤ・アル-アダウィヤ(Rabiya Al-Adawiya)とアル-ナハダ(Al-Nahda)広場の 臨時キャンプに対して行われた前例のない荒々しい攻撃の繰り返しにより、この非常事態の解除はしばらく無理だろう。
エジプトは、少なく見積もっても1990年代に起こったような暴力サイクルに突入しようとしている。当時権力は、当初はカイロ次に上エジプトで日々警察・コプト教徒・ツーリストを標的にしたガマアト・アル-イスラミア(Gamaat al-islamiya)の、より規模の小さな反乱を鎮圧するため6年を費やしている(1992-1998)。このときの和平の代償は、約9万人の投獄であり、人権の大規模な侵害であり、民主主義の完璧な不在だった。
Christophe Ayad ル・モンドジャーナリスト
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アヤッドはこれまでにもエジプトをめぐる記事を日々書いていますが、14日のこの記事は読んでいても彼がかなり怒っていることが感じ取られる。
ル・モンドがアップしたナハダ広場での市街戦映像(軍が撮ったらしい2分ちょっとのもの)はこちらです。アラブ語が読めないので地名・個人名は念力読みですのでよろしくお願いします。
数あるムスリム圏のなかでも、エジプトは感覚的にもっともヨーロッパに近い国と思っていましたし、2011年タハリール広場での毎金曜の集会は息を呑んで見守っていた。心が痛みます。
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