Fukushima : dans l'enfer des "liquidateurs"
フクシマ:"リクビダートル"の地獄の中で
ル・モンド2013年10月10日 フィリップ・ポンス(日本いわき市 特派員)
取材は、彼が望んだように、人目から遠く目立たない場所で行われた。ジャーナリストに話をするのはリスクがある:雇用主たちは神経質になっており、それを解雇の口実にするかも知れない。「労働災害時のようなもので、仲間意識があります:もし重要過ぎなければ、社会保障との問題にならないように隠します。」と、フクシマ原発でサイトの安全と廃炉にあたる" リクビダートル;liquidateurs " の1人は説明する。
30代の彼は、2011年3月11日の津波後に起きた原発事故の時も、下請け企業の社員として働いていた。その後、契約は更新されなかった。彼は再び、サイトで働き始めたところだ。「作業員の労働状況は改善しましたが、給与は下がり、技能を持った作業員はどんどん減っています」と、自分の名は伏せてくれといいながら、彼は告白する。
「上部はもっと早く進めるよう要求するのですが、あいつら充分な経験がないので、作業の質は低下します。時として、工具の名前さえ知りません。」と、50人ほどの部下を持つ放射能汚染計測企業の職工長は語る。
漏れはかなり前からあった
この(人材)不足は、この何ヶ月かに度重なった汚染水漏れの理由のひとつだ。私たちの話し相手は微笑む。「水漏れ?あれはかなり前からのものだが、話に上らなかっただけです。7月の参議院選挙が終わって、始めて大手メディアはそれを明かしました!」
原発の所有者である東京電力(テプコ)に直接雇用されている従業員でさえ、給与と危険手当の低さ、あるいは超過勤務手当て不払いを理由に退職している。いわき市の雇用機関次長は「原発には人手が足りません。福島県では1000からの求人がある:その四分の一がうまるかどうかといったところです。」と明言する。危険性がより少ない除染、あるいは2020年東京で開催されるオリンピックへの展望が、事故を起した原発より他へと、人材を吸い寄せる。
原発で働く人々は3000人を超える:うち1400人はJヴィレッジ - テプコの複合スポーツ設備が作業員の受け入れセンターに変貌したジャパン・フットボール・ヴィレッジ - 他の約1600人の作業員は、周辺の旅館かパーキング場に建てられた臨時家屋に住み、その前には毎夕ミニバスが並び人々をJヴィレッジまで運ぶ。彼らはさらにそこから10キロメートルほど離れたサイトに向かい、特別シャトル便で帰ってくる。
報酬の「天引き」
リクビダートルたちの一部は地元の人々だ - 汚染地域になった自分の耕地を追われた農民たちも多い。他の人々は、2000キロメートル以上も離れた南の沖縄さえ含む、日本全国からやって来ている。雇用は何層もの下請けを経て行われる:職種によって6から8の下請け層だ。
「最初の3層は、巨大企業であるテプコ直接の下請け会社なので、雇用がどうやって行われているか知ることができますが、それより下になると難しい。」 原発従業員へのカウンセリングを企画した、いわき市共産党議員であるヒロユキ・ワタナベはこう語る。「テクノロジーの発達した日本という国で、事故を起した原発ではロボットを使い、よりソフィスティケートしたやり方をするという印象を持ちますが、原発での現実は違います。しばしば古い機材を使っている。放射能汚染したら2度と使えないからです。」
熟練度のより低い労働者は適切な防護を受けられないし、雇用に当たった仲介業者から給与の「天引き」もされる。最終的に、彼らは6000円(45ユーロ)の日当を手にする。「労働者とのカウンセリングは、もっとも危険にさらされた 人々の潜在的な不満や不安を明らかにします。一部の人々は、可能な限り作業を続けるため累積放射線被曝量をごまかそうとさえします。 」ワタナベ氏は説明する。「一日に受けた放射線を記録する測定器のレベルを下げようと、測定器をあまり汚染されていない場所に隠すのです。」
死んだ町々
企業は許容限界を年間50から20ミリシーヴェルトまで下げようと望んでいる、「しかし、労働者はそれを拒みます。なぜなら彼らは仕事が欲しいからです。同時に、彼らは苦々しく思っている。他の国民に忘れられたと感じているためです。」とワタナベ氏は続ける。Jヴィレッジには国中から届いた高校生たちの激励の手紙が張り出されている。
カタストロフ後一年間のパニックの中で、多くの労働者そして彼らを追うように周辺の町にホステスのいるバーが溢れた、その高給の時代は終わった。原発作業員たちは会社のプレハブ宿舎か地域の旅館に閉じこもる。原発から南に10キロメートルほど離れたヒロノのような、死んだ町々。避難区域だったこの小さな町は、2012年に再び避難解除された。遮断された、北に向かう鉄道線最後の停車駅である。
災害前は5800人だった人口のうち1000人ほどが戻ってきた。学校は空だ。たいがいの家は閉ざされ店舗のシャッターは下りている。夕方になっても表通りの明かりも少なく、陰鬱だ。ただひとつの明るいネオン:マエハマ・ビストロ。一階の小さなフロアは空。オーナーは嘆く「常連客はいなくなりました。作業員は来ません。みんな国道沿いのコンビニで食べるものを買うんです。」
(ここでは)リクビダートルたちは、もう住むことを望まない住人の家を借り生活している。彼らを垣間見ることができるのは、早朝と夕方、ミニバスから乗り降りする時だけだ。原発の解体にはおそらく40年かかるだろう:彼らのような"soutiers/蒸気船底で石炭をくべる水夫" が何万人も必要になるだろう、-目には見えず、危険にさらされ。