«DSK ou Fabius auraient pu gagner» ダニエル・ストラス・カーンかファビウスだったら勝っていたかもしれない、という極めて後出しじゃんけん的タイトルがついていますが、統計歴史家エマニュエル・トッドがサルコジ選出をビシバシ分析しています。訳してみました。
ニコラ・サルコジとセゴレンヌ・ロワイヤルはともに《空っぽの候補者》だとお書きになりましたね。高かった投票率はこの判断を変えましたか?
今回の選挙は、権力分散・雇用デフレーション・生活水準・収入の不平等という現実の国民関心事を避けながら国民の多くを動員したという、メディア-政治システムの大いなる勝利でした。選挙キャンペーンの間、2候補のニコラ・サルコジ長調議論とセゴレンヌ・ロワイヤルの短調の国家アイデンティティ議論が、現実的な経済議論に取って代わってしまった。 第二次選挙が終わった夜の、2候補の満足した様子は共犯関係を連想させます。
どのように経済問題の言及除外が可能になったのでしょう?
私にとって、(公式選挙運動)初日が大きな驚きでした。ニコラ・サルコジはルペン支持者の一部を引き付けえるのだ、という回りくどいやり方は、私にはいっさい予見できなかった。彼の不平等思考・弱者に厳しい面・コミュノタリズム・親米主義が、どちらかというと逆の価値観を持ったフランスをどうやって魅了しえるのかわからなかった。
バンリュウ危機の結果を軽視したからです。選挙運動の決定的時期である3月27日に、北駅事件が都合よく悪い思い出を再びよみがえらせてしまったわけです。
ルペンが移民が悪の根源だと説いたにしろ、それは単に言葉の上に過ぎないし、実践では国民戦線党のはエスニック問題での暴力的思想は寛容に向かっていた。サルコジは内務相という職務を利用して挑発キャンペーンを行ったわけです。
その効果は彼自身が望んだものを大きく上回ったはずだ。自分自身が作り出した無秩序に秩序を与える候補として第1回選挙に勝利したのです。
ルペンが行ったよりさらに悪いやり方で極右票を取り込んだことは、おそらくサルコジスムの原罪として残るでしょう。
この《取り込み》はどこまで行くのでしょうか?
第1回投票の結果全国図は、サルコジが、指導者と選挙民の持つ価値の相違という、国民戦線党の矛盾を受け継いでいると示しています。FN(国民戦線党)のディスクールは不平等だったが、FNの投票率は伝統的には平等-リベラルな家庭構造の強い地区、地中海沿岸とパリ盆地地区で非常に高かった。
つまり、これら選挙民は思想よりも、わめきたてる秩序の男、国家権威の体現であり同時に粗野の塊である、オマワリでありやくざでもある、ダブル効果のキャラクター (原文:le personnage, dans sa double dimension d'homme d'ordre et de grande gueule, de figure de l'autorité d'Etat et d'exemple de brutalité personnelle voyou autant que flic,) に投票したと連想させる。
サルコジは、伝統的ドゴール主義と、南米で見ることができるポピュリズムに近いボナパルト主義を結びつけたのです。
なぜ伝統的家庭構造がサルコジ票を理解する助けになるのでしょうか?
候補者のディスクールと人口のもつ深い価値との適合を図ることができるからです。パリ盆地地区と地中海周辺の伝統的家族構造は、相続の平等性(平等要素)と成人時での子供の独立(アングロサクソン国に見ることができるリベラル要素)に性格づけられる。
したがって、私が《サルコジ1》と呼ぶところの、リベラルなコミュノタリズム・減税・フレキシビリティはこれらの地区のリベラル局面に対応する。ジョレスやブリュムを引用する《サルコジ2》は平等思想に呼応します。そしてさらに、国民アイデンティティ省の、普遍的価値から脱出しエスニーとアイデンティティ・モデルに行き着いたという意味におけるペタン主義の、《サルコジ3》があるわけです。
この《サルコジ3》はなにをもたらすでしょう?
置き去りにされたフランス社会が、スケープ・ゴートの理論に結びついて過半数となったのは、これまで過去になかった。フランスの伝統とは階級の紛争です。サルコジが勝利したとはいえ、少なくとも第二回投票は第一回ほどラジカルではありませんでした。証明はできないにしろ、ドミニック・ストラス-カンあるいはローラン・ファビウスであれば勝ち得たと思う。なぜなら両者共に、それぞれのやり方で、購買力についての議論をなしえただろうからだ。
アイデンティティが問題とされるとき、左派が提示できるただひとつの回答は経済なのです。しかし、ジャン-ピエール・シュベンヌモンに助けられたセゴレンヌ・ロワイヤルは、アイデンティティ論に立ち戻ってしまった。それはサルコジ主義者言説の正当化として映ってしまった。
逆に、選挙に対する関心は、フランス国民が国家アイデンティティについて議論したがっているしるしだとは言えませんか?
ニコラ・サルコジのイメージは強く、対決と市民平和という両極面を持っています。分布地図は、FN支援者のUMP合流、あるいは小商店主たちの再動因という、サルコジスムがサルコジ自身よりも危険なのだと示している。言いかえれば、UMPはRPR(UMPの前身、シラクが設立)に、あるいはUNR(ドゴールの党)に立ち戻った。この右派ラジカル化が第1回投票の特色だったが、第二回投票は保守の、さらには自己保存主義を本質とするものだった。
左派の多くの人々は、サルコジ打倒のためロワイヤルに投票せざるをえなかったし、右派でも多くの人々がアンチ・ロワイヤルのためにサルコジに票を入れたのであって、高年齢者が年金法改正を期待してサルコジに投票したとする説は信じがたい。
それでもプレスは、今回の投票がサルコジとロワイヤルの正当性を示したと言いはっているのですが。
ラジカル化した右派に支持されたサルコジは危険なのでしょうか?
キャリアーを通じて、私の個人を判断する能力不足は証明されていると思うのですが。。。冗談はさておき、今わかっているのは、サルコジスムが、新資本主義経済に近いリベラルな傾向(サルコジ1)と、より底辺に近い中間層の平等主義と個人主義願望(サルコジ2)と、普遍主義からの逸脱(サルコジ3)を共存させているということです。この混合がどうやって固定しえるのか?その短期プログラムは、大きな不正を保持するために小さな不正をなくすものだ。気の狂った資本主義と中国の賃金圧力を考えれば、これはあまりに効果がない。
ヨーロッパ保護貿易政策にまで行き着かなくとも、サルコジ候補は共同体優先を唱えた。このアイデアを極限までもっていけば、このヤクザが国家の英雄に変わる可能性もある。
しかし、ドゴール主義よりはベルルスコーニ主義に近いマルタ島へのエスケープは、不平等政策と社会的不安の再熱化と、第1回選挙で右派が見せた、権威主義ディスクールとバンリュウをスケープ・ゴートにする戦術の再活用を伴った、暗いシナリオを予告しています。
記者:Eric AESCHIMANN
リベラシオン2007年5月10日木曜
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猫屋追記:今回の仏大統領選に関するエマニュエル・トッドの発言については以下のエントリでも取り上げています。ご参照のほど、
エマニュエル・トッド大統領選を語る、インタヴュー紹介(4月7日)
エマニュエル・トッドと仏大統領選挙、ル・モンドからクリップ(昨年12月14日)