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まず、カナール・アンシェネから、
トップ・ページで二羽のアヒルが言うには “Le pen à Sarkozy : Ensemble...” “...créons la gégénétique ! ” →「ルペンがサルコに言いました:一緒に...」 「...ジェジェネティクを生み出そう」
サルコジはシラクに、大統領になったら(パリ市長時代の)汚職が問題にならないように手を打つつもりと約束したそうです。もちろんサルコジ支援を公表したらという条件つき。
あと、遺伝子関連のいい記事があるんですが、明日訳してみるですよ(たぶん)。
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これはル・モンドから、
今は昔、チェルノヴィルの汚染雲がなぜかフランス国境を避けて通ったという、不思議な現象がありました(1986年春)。情報を書き換えた責任者は、当時内務省で化学と放射能リスク問題担当だったニコラ・サルコジだといううわさがフランス・ウェブ界に広まってるんだそうだ。ふーむ。貼っときます。
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左上写真はケイタイで撮ったんでよく見えませんが、リュクソンブール公園の柵にかかってるアフリカ写真群のひとつ。セナのお仕事のようですが、解説が仏語・英語・日本語なんですねえ。努力は認めるが(でも何で日本語?ユーロ高で観光客も少ないっつーに)、如何せん、日本語ちょとおかしいね。暇あったら見に行ってみてください、天気もいいし。
投稿情報: 2007-04-12 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
この火曜午後、1ユーロ=160円のラインを超えたんですね。つまり一万円が約62円ちょっと。泣いちゃいます。対ドルでもユーロは1.3442まで上がってたようです。こちらは2005年3月以来の高値。
ル・モンドによれば、背景にあるのは金利差(日本;0.63 米;5.31 欧州;3.84 英国;5.32、以上は一日金利)。日本の低金利から、円を借りて他貨幣に換金、投資するという“キャリートレード”がまた盛んになったためだそうだ。欧州ではまた金利を上げるんじゃないかといわれてるし、経済成長率の落ちてる米国では逆に金融緩和がありそう。日本の低金利は(短期では)動きそうにないから、まだまだ新記録更新は続きそうですねえ。。。
へそくりの円は3月に換えちゃったし、今年は日本にも帰れそうにないんで、ユーロ高も実感としてはないんだけど、、しかし、“貨幣”ってこんなに簡単に価値変えちゃっていいんですか。。。。そうですか。
投稿情報: 2007-04-11 カテゴリー: Economics/経済, Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (9) | トラックバック (0)
復活祭の月曜日は、Les Rita Mitsouko のヴィデオで遊んでいます。1985年の大ヒット、マルチャ・バイラMarcia Baila のキッチ加減も好きですが、Andy のストレートさはたまりません。画像の質が悪いのが残念。
それからこちらはアコースティック・ライヴ。2004年の録画のようでうが、2曲目で我らがフレンチ・ロック・クイーン、カトリーヌはバネッサ・パラディ(ジョニ・デップの奥さんね)とデュオしとります。巧いねえ。
投稿情報: 2007-04-09 カテゴリー: Musique | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ボバリー夫人はたわしです、にブログ・タイトル書き換えようかとマジ2秒半ほど思ってしまいました。オヤジ症候群か。
投稿情報: 2007-04-09 カテゴリー: Privé / 私事 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
4月5日のユマニテで、トッドは大統領選についてインタヴューに答えています。対サルコジ・レジスタンスが着々と組織されつつある選挙2週間前ですが、しかし。どうなることやら。
Emmanuel Todd :
« Notre société se radicalise » エマニュエル・トッド:「私たちの社会はラディカル化する」 、一部翻訳紹介します。
...もしわたしたちが、この社会の代表者が経済システムに対する-有効で理性的で合理的な道である -意義申し立てと、犠牲の羊(boucs émissaires)のあいだで躊躇しているのに立ち会っているのであれば、ぎりぎりになってナショナル・アイデンティティ議論を組み立てようとするニコラ・サルコジの試みが完璧に怪物的であるのは明らかだ。 (訳注:市長であった)ヌイイ市の外で参加した選挙すべてに敗北した(これは事実である)ニコラ・サルコジを、無意味でばかげた政治家と判断できなくなったのは、これがおそらく初めてである。 サルコジは選挙戦のカタストロフそのものだ。 これまでも、また現在も私はサルコジが高い投票率を取る可能性は少ないだろうと思っている。 2002年のシラクと同率を取ったとしても、それは大きな驚きだろう。 私にとってサルコジは未試験選挙物体なのだ。 しかし、選挙論争の中心にゼノフォビア・エスニー(外国人嫌悪・民俗性)を持ってくるとは信じがたいことだ。 この男は、論議をリアリティの鳥羽口で(アクテュアリティを)主題とする責任を負った。 この意味ではフランス社会での歴史的断絶を身をもって示したといえる。 おまけに彼がやったことはフロン・ナショナルの利益となってしまう危険性がある。。。
。。。ボナパルト(ナポレオン)は、それでも平等によって支配されたフランスの“価値” 権威を具現していた。 サルコジは、まったくもって平等という価値とは無関係だ。彼はブッシュに従属していたし大企業経営者たちの友人だ。 不平等の男だ。この意味ではフランス文化システムの産物なのだ。 この同じ理由から、彼の行く先はそれほど長くないと思える。 彼の前論理段階思想は不気味だ。まずNATO・ブッシュ主義者だった。 そのあと Guaino(訳注、サルコジの演説ライター)が書いた演説では、国民共和派。 つぎは、移民問題でペタン主義者になった。。。こう考えざるを得ない:この男は、すべてをでたらめに語り、プログラムを絶えず変更するスタイルの《解放者》であって、その政治メソッドはヨーロッパ史におけるファシストたちによって教授されたのだ。
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トッド風には、サルコは独裁者の見習い魔術師ですか。オンフレイのブログ、アクトII では、サルコジ精神分析されちゃって、おまけにオンフレイに憐憫されてました。
また、辞任したベガグ相(Azouz Begag)の本が話題になっています。一部は雑誌 Marianne で読むことができますが、サルコジ氏のダーティ・ワード語録になってる。ここ。
しかし、NSが大統領になっちゃったらどうするんだろう。トッドもオンフレイもベガグも、france3 のキャスターお姉さんも、島流しでしょうか。郊外大暴動が起きても、誰も止める人がいなくなりますね(←いつもの悪い冗談です、スミマセン)。
追加:ボーっと復活祭日曜の仏ウェブ界を見回してましたら、テレラマでトッドのインタヴュー発見(3月3日)。ヨーロッパ経済保護の可能性を訴えていますが、本論とは関係のない最後のところ(が個人的に面白かったので)紹介します。
研究調査への嗜好はどこから来るのですか?
受けた専門教育から。私は歴史学者です。歴史の続きを知りたいと思うのは普通じゃあありませんか? イランに行ったことはないし、私がそのシステム崩壊を予言する以前のソ連にも、18世紀にだって一度も行ってみたことはないのです。これらの国に関して、私は歴史家として文献・資料・統計を調べる。そして傾向を延長する。。。すべての歴史家が近未来に散策するわけではないですが。。。人は、しばしば現在から逃れるために歴史に向かう。かつて起こった騒ぎや熱狂の中に避難する。けれど中世研究家と話していると、彼らが現在について鋭い洞察力を持っているのに気づかされる。単純に、彼らがそれを好んでいるわけではない。現在がかなり危惧される状態なのです。今、私は過去における家族システムについて調べていますが、自分の小さな仕事部屋で小さなカードをもとに中国での家族共同体の発達時期を限定しようとしている時、自分は保護されていると感じるのです。
「フィロソフィ・マガジン」に掲載された哲学者オンフレイとサルコジの対談については、雑誌をよんだ友人から聞かされてましたが、その中にあるジェネティック/遺伝子をめぐるサルコ発言が話題になってます。ル・モンドでも取り上げてますが、最初はこの哲学系ブログで、以下の発言は誰のもの?とサルコジの名が隠されたクイズ形式で掲載されたんですね。
J’inclinerais, pour ma part, à penser qu’on naît pédophile, et c’est d’ailleurs un problème que nous ne sachions soigner cette pathologie. Il y a 1200 ou 1300 jeunes qui se suicident en France chaque année, ce n’est pas parce que leurs parents s’en sont mal occupés. Mais parce que, génétiquement, ils avaient une fragilité, une douleur préalable. Prenez les fumeurs certains développent un cancer, d’autres non. Les premiers ont une faiblesse physiologique héréditaire. Les circonstances ne font pas tout, la part de l’inné est immense.
私は、ペドフィル(年少児強姦者)はペドフィルとして生まれてくる、と考える傾向にある。だいたいこれは、われわれには治療できない病症の問題だ。フランスでは毎年1200から1300の青少年が自殺しているが、これは彼らの両親がちゃんとケアしていなかったからではない。遺伝的に彼らは脆弱さ、もともとの苦悩をもっている。スモーカーについて言っても、ある人々は癌にかかるし、その他はかからない。癌になる人間は生理学上の遺伝的弱さを有している。環境がすべてではなくて、先天性がきわめて大きい。
この意見には仏遺伝子学の大御所Axel Kahn / アレックス・カーンも反論してます。
"La vision d'un gène commandant un comportement complexe tel que ceux conduisant à l'agressivité, à la violence, à la délinquance, à la dépression profonde avec dérive suicidaire, est ridicule et fausse".
"cette conviction réaffirmée par le candidat de l'UMP à l'Elysée confirme ses liens idéologiques avec la nouvelle droite"「ひとつの遺伝子が、アグレッシブ性や暴力や犯罪、自殺を派生させうる重度のうつ状態といった複合行動を指示する、と言う見方は、ばかげているし間違っている」「UMP候補が再び主張したこの信念は、新保守との思想的つながりを示している」 .
オンフレイ・サルコジ対談の抜粋は、philosophie magazine で読めます。またオンフレイも、自分のブログで、滞在中のボストンからかなり激しいサルコジ批判を書いてる。
Le cerveau d'un homme de droite, Portrait de Nicolas Sarkozy act I 右の男の頭脳、ニコラ・サルコジのポートレート、アクトⅠ
アクトⅠとありますから、続きが読めそうです。しかし、ここに描写されているUMP立候補こそ、ハイパー・アクティヴ・ジーンの純粋培養、って気がしてくるわけでありますな。なお大統領選での極左統一候補を呼びかけていたオンフレイですが、それがポシャってジョゼ・ボベ支持、しかし先週あたりからブザンスノ支持に変わってます。
投稿情報: 2007-04-06 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
投稿情報: 2007-04-03 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (4) | トラックバック (0)
ちょっと古いんですが(3/17)ル・モンドのインタヴューです。歴史家、アカデミー・フランセーズの会員でもある Pierre Nora が今回の大統領選で話題になっているところの、フランスのアイデンティティについて答えています。Nation というのは日本語では「国民」「民族」あるいは「国家」になったりする微妙な言葉ですが、英語で言うネーションとステイト、仏語でのナシオンとエタは違うと思う。ひとまずタイトルでの扱いはネーションにしときます。
ちと長いし、歴史用語には暗いのですが(じゃあ何が得意よ、とか聞かないでくらさい)ぼちぼち訳してみます。なおピエール・ノラってだれだっけ、とググってみたら博学チョロリン氏のページにたどり着いた;大書「記憶の場」に関する報告書です。ああ、あの本の人だったんですね。
ピエール・ノラ:“ナショナリズムはわれわれにネーションを覆い隠した”
ピエール・ノラは歴史家、アカデミー・フランセーズのメンバー。ガリマールから出版された「記憶の場」三部作の作者ニコラ・サルコジは「移民と国民アイデンティティ省」を設置したいと発表して人々を驚かせ、さらにはショックを与えました。歴史家としてどう反応しますか?
移民問題をオープンに語ること、国民アイデンティティ議論を始めることはふたつの優れた考えです。けれどそれらを結びつけるのは、単なる打算か、不手際か、あるいは近視眼的なアイデアでしかない。なぜなら、国民アイデンティティのぐらつきとは、より大きい主題であって、移民にのみ関連しているわけではないからです。移民がそれら問題のいくつかと重なり、しばしば身代わり( bouc émissaire)として弾劾されるにしても、アイデンティティの揺らぎは、より広域でより深い数々の理由に起因している。国民アイデンティティ危機の要因には、まず植民帝国の終焉から始まったフランス国力減退があげられます。主権の伝統的ファクター、すなわち領地・国境・兵役制度・フラン消滅を伴う貨幣の変化(悪化)があった。そして中型国力が他国の位置まで格下がりする場であるヨーロッパ空間への組み込みによって結果した国家(Etat )力の減少は、フランスでは、地方分散の圧力として、国民意識の根本的ディメンションをなしたのです。 この同じ時期に、ミシェル・クロジエ/Michel Crozier の表現で言えば“ 命令の地 /terre de commandement ”フランスで、権威のすべてのフォルムが、家族の、教会の、政党のヒエラルキーとともに崩壊した。そしてこの危機の主要なファクターは平和です。
なぜ平和なのですか?
フランス人のアイデンティは戦争概念に結びついていた。アルジェリアからの撤退によって平和が訪れたわけですが、それはフランスの自己との葛藤がはじまるひとつのきっかけだったのです。大戦直後にはまったくの農民国だったフランスの農業人口数が全国民の10パーセントを下回った。ヴァチカンⅡ以降、祖先伝来のキリスト教という受け皿が次第に小さくなってくる。それらの変化は混乱をもたらしました。ひとつの国民モデルから、もうひとつの、まだ見つかっていない別のモデルへの移行は苦痛を伴うのです。フランスの慣習や法の規範に従うのがもっとも困難である、新しい移民たちの到来は、それら混乱への追加エレメントなのです。
フランス国民モデルをどう定義なさいますか?
伝統的フランスモデルとは長い間、普遍性/ universaliste、摂理性/ providentialiste、メシア信仰的/ messianique だった。それが時を追って沈殿していったのです。フランスはいくつもの国民アイデンティティを持った。封建王政アイデンティがあった。後に革命のアイデンティティがやってきて、最後に共和制アイデンティティが総合を試みます。この基盤の上にわたしたちは生きてきたし、そこから今日論題となっている民主的アイデンティティに行き着いた。
その構築物がいま疑問視されているとお思いですか?
そうです。歴史に結びついた理由から、それは地すべりを起こした。20世紀におけるみっつの戦争はすべて敗戦に終わりました。1918年の偽の勝利は、実際にはヨーロッパ全体の敗北だった。1945年は、フランスが世界大国のランクに戻ったという幻想を保ちたかったド・ゴールによって隠された。そして1962年のアルジェリアでの敗北があり、フランス国民は世界の剥奪を内面化した。これは深遠な危機です。このフランス意識の組み換えには、政治局面において、一世紀前に共和国が押さえつけたような、ナショナリズムの消失が呼応します。このナショナリズムには、パトリオット・ジャコバンという左派ヴァージョンも、また保守で反動的なバレス・モーラス支持者たちの右派ヴァージョンもあり、これらが長い間フランスの敵対するふたつの流れをなしていた。現在の私たちには、このふたつは相互補足しているように見えます。これは、人が遺産/パトリモアンと呼ぶものである。パトリモアンという語の中にはパトリ(祖国)があるのです。。。
ではなぜ、フランス革命にまでさかのぼるこの区切りが消滅したのでしょう?ド・ゴール主義(ゴーリズム)とコミュニズムが伝統的フランス国民モデルの最頂点を示し、おそらくそれは終焉でもあったのです。そのふたつともが、革命的で国民的な混合だった。この、大きな幻想 -そして現実- の瞬間、ゴーリズムとコミュニズムが共に構築するひとつの投企がフランス自体を超える、その極地を理解しなければ、フランスのアイデンティティ危機は分からないのです。そして彼らの下降衰退は転落として生きられた。ミッテラン社会主義はいっとき国民の集団プロジェクトを引き伸ばしたが、やがて枯渇した。1983年は、市場主義への転換が社会主義ユートピアの終焉を示した大変重要な年です。ニコラ・サルコジの今回の着想と、それが引き起こした激しいリアクションは、つねにネーションという考えをナショナリズムのみに結びつけるフランスの悲劇の一側面です。左派は右派に、右派は極右に、ネーションという主題をゆだねてしまったのは残念なことです。ナショナル・プロジェクトとは、さらに拡大してフランス国家とは、同時に王制・領土・歴史であった、この例外的継続のうえに建っている。かつて、アンシアン・レジームのフランスに対する革命フランスがあり、宗教フランスに対する世俗/laïque フランスが、右派フランスに対する左派フランスがあった。これらの対立から残っているものは少ない。ド・ゴールは右派を共和主義に転換させ、学校に関する衝突はライック(世俗)とカトリックの最後の熱戦をなしました。右派と左派に関すれば、対立にもかかわらず、たがいを駆逐しようとする願望を失っています。
では、私たちが知っているナショナル・プロジェクトからは何が残るのでしょう?
ある集団的意味を見出そうとする、少なくともみっつの思想的試みがあります。まずジョン・マリー・ルペンの進出がありますが、これは世論のアルカイックな部分に隔離された、反動的ナショナリストの後退の一形式である。エコロジストの進出は、文化を自然のうちに溶け込ませようとする大きなプロジェクトを掲げていますが、社会に関する問題を扱わないゆえに右でも左でもない。最後に人権思想の進出がある。これは、私には純粋なネーション・プロジェクトとは矛盾するかと思えます。さらに、ネーションというロマン(小説)の破壊を抱え込んでいる。人権について言えば、フランス国家の歴史は犯罪的なんですね。「人権主義」プロジェクトには、ナショナル・ロマンのもっとも暗い細部を告発する部分がある。定義からして、国民というクラシックな解釈には相容れない。18世紀以来、この考えは文明という概念に結びついていた。光/ Les Lumières はネーションに、文明の進歩を運ぶものを見ていた。なぜならそれは理性の場所であるから。ネーションと理性と文明は同時に前進しない。最近の型の人権思想進出は極めて個人主義的であり、トリロジー(訳注:国家・理性・文明)を分解する。文明を要求するが、ネーションはいらないのです。
多くのフランス人が抱く喪失感は理解可能でしょうか?
わたしたちは今、再構築段階にあって、そこでは意思がその役割を果たしている。長い間、ヨーロッパはネーションに取って代わるのだと信じられていましたが、それが本当ではなかったと分かったのです。右であれ左であれ、ナショナリズムはわたしたちにネーションを隠していたのです。マルクス主義の最後は、ナショナル浸透の歴史的深さという、この意識の大きさを自覚させた。
けれどネーションに関わる言説は不変ではありえない。「国民とは何か Qu'est-ce qu'une nation? (Bordas, 1992)」では、ルナンが絶え間なく引用されている。祖先への信仰、共生への意思、大いなる出来事を共に作り出し、さらに作り出そうとすること。。。けれど私の考えでは、ルナンによる国民観はすでに有効ではありません。わたしたちがそれを基盤にして生きているこのヴィジョンは、過去と未来を継続、家系、プロジェクトの感情の中に一体化する古いナショナル・アイデンティティに呼応します。けれどこのつながりは断ち切られてしまって、わたしたちは絶え間ない現在に生きなければならない。過去からの継続がなくなったとき、新しいトリロジーは記憶・アイデンティティ・遺産となる。
アイデンティティ危機は部分的には現代性と関連があるのですか?
確かに、アイデンティティ論議は世界レベルのものです。けれど、その国家的性格と中央集権性、そして歴史とのつながりの持つ強制力のため、フランスでは特殊な高まりを現しています。フランスには、ひとつの国民の歴史/histoire とグループの記憶(複数)がある。ここでは、あなたはギロチンにかけられた貴族の子孫でも、一代目ポーランド移民の息子でも、銃殺されたコミュナールの孫でもありうるが、学校に行くとたんに他と同じ小さなフランス人となった。「ゴール人からド・ゴールへ」、ナショナル・ロマンはサン・バルテルミーやアルコル橋などからなる壮大なフレスコ画を繰り広げる。これは均一性の薄いフランス人口の小区画のそれぞれに共同のつながりを与えたのです。
宗教・地域・性といったマイノリティの国民共同体への組み入れは、それらグループを独自の歴史からすくい上げた。けれど彼らはその機会に、過去から再生した真実あるいは嘘の記憶に価値をあたえた。記憶の開放とは、歴史の強力な腐食である。これがフランス・アイデンティティの中心であったのです。政治が新しい与件に気づくことは、わたしたちにとって重要なことだ。アイデンティティ(複数)の相続は、さらに新しいアイデンティティを与えるでしょう。陰鬱で犠牲であるルナンの国民は、決して戻ってはこないのです。フランス人はもう祖国のために死のうとは思わないけれど、祖国を愛している。おそらく、このほうがいい。結局のところ、フランスが永遠なのではなく、フランス的性格が永遠なのです。
聞き手、ソフィー・ゲラルディ Sophie Gherardi
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ヘボ訳者後記:ああ、難しいです。マクラで書きましたが、ナシオンとエタ、それと対する日本語であるはずの国民と国家、の間にずれがあって、これは猫屋のせいなのか日本語のせいなのか、よく分かりませんがよく分からない。ゆえに翻訳文も揺れております。また、désenliser なんて動詞ははじめて見たですね。おそまつ。
投稿情報: 2007-04-03 カテゴリー: France, trad/翻訳 | 個別ページ | コメント (4) | トラックバック (0)
その後といっても、どうもメディアはこの件を深追いしない“お約束”なのでしょうか。関連報道自体が尻切れトンボ。で、たいした報告事項はないわけです。
2005年のバンリュウ事件では、TV映像がみごとに“火付け”役を果たして、事件はワラワラと全国に広がったのですね。その反省がメディア自体にあるのかもしれない。
今回サルコジ候補(165cm)は 『自分は誠実な人間のサイドにいる。あとは不正を働く悪いやつ。断固取り締まるべし。』といった風な(かなりいい加減な訳ですが)選挙演説していますね。なんだか、どこかでいつか聞いたような論調ですな。
さて、パリ北駅の最上階から植木鉢を落としたのは、シルヴァン・アンクという名の23歳の青年。18ヶ月の刑、うち禁固6ヶ月をくらってます。記事によると、過去に逮捕暦なしのロングヘアーをきちっと結んだあごひげルックで、壊し屋からは程遠い風情だそう。モーに住む青年が二階下に投下した植木鉢、実は40キロあったそうで、すごいね。地下階での警察・機動隊の一般人に対する重々しい警戒振りを見て、頭にきたんで植木鉢ほおリ投げたんだが、下に人がいるんで危ないとは考えつかなかったと言ってる。なお警察によると、彼がいた場所からは落下地は見えないそうです。
また、オプスウェブに寄せられた証言によると、今回の騒動には女性参加者も多かったようで、なんと女の子が証明写真ボックス(映画アメリ・プーランにでてきたやつ)や自動販売機をひとりで倒してて、びっくりしたというのがありました。郊外の女の子はファッションビクティム系が主流と思ってたんですが、これは新傾向ですな。ディアムス系か。
おととい買出しにでた、(RERも停車する駅につながってる)某ショッピングセンターでは機動隊多数がパトロール。RER切符売り場に並ぶ人々の列が長かった(私もちゃんと4月分定期購入済)。またSNCF駅には軍隊まで自動小銃もってパトロールしてました。赤いベレーだったけどあれは外人部隊ですか? とぐぐったら仏外人部隊が日本語で求人してた→ここ;邦人海外強制退去の話もよく聞くんですけれど、(給料は安いですが)外人部隊に入って仏パスポートゲットという手もありますね。
これも関係ないですが、人ごみのショッピングセンターど真ん中で、若いレズビアンカップルが大胆にかつ延々とキスしてたね。時代は変わってます、はい。ロワイヤルが大統領になってもいいと思うよ、関係ないけど。
投稿情報: 2007-04-01 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)