ちょっと古いんですが(3/17)ル・モンドのインタヴューです。歴史家、アカデミー・フランセーズの会員でもある Pierre Nora が今回の大統領選で話題になっているところの、フランスのアイデンティティについて答えています。Nation というのは日本語では「国民」「民族」あるいは「国家」になったりする微妙な言葉ですが、英語で言うネーションとステイト、仏語でのナシオンとエタは違うと思う。ひとまずタイトルでの扱いはネーションにしときます。
ちと長いし、歴史用語には暗いのですが(じゃあ何が得意よ、とか聞かないでくらさい)ぼちぼち訳してみます。なおピエール・ノラってだれだっけ、とググってみたら博学チョロリン氏のページにたどり着いた;大書「記憶の場」に関する報告書です。ああ、あの本の人だったんですね。
ピエール・ノラ:“ナショナリズムはわれわれにネーションを覆い隠した”
ピエール・ノラは歴史家、アカデミー・フランセーズのメンバー。ガリマールから出版された「記憶の場」三部作の作者ニコラ・サルコジは「移民と国民アイデンティティ省」を設置したいと発表して人々を驚かせ、さらにはショックを与えました。歴史家としてどう反応しますか?
移民問題をオープンに語ること、国民アイデンティティ議論を始めることはふたつの優れた考えです。けれどそれらを結びつけるのは、単なる打算か、不手際か、あるいは近視眼的なアイデアでしかない。なぜなら、国民アイデンティティのぐらつきとは、より大きい主題であって、移民にのみ関連しているわけではないからです。移民がそれら問題のいくつかと重なり、しばしば身代わり( bouc émissaire)として弾劾されるにしても、アイデンティティの揺らぎは、より広域でより深い数々の理由に起因している。国民アイデンティティ危機の要因には、まず植民帝国の終焉から始まったフランス国力減退があげられます。主権の伝統的ファクター、すなわち領地・国境・兵役制度・フラン消滅を伴う貨幣の変化(悪化)があった。そして中型国力が他国の位置まで格下がりする場であるヨーロッパ空間への組み込みによって結果した国家(Etat )力の減少は、フランスでは、地方分散の圧力として、国民意識の根本的ディメンションをなしたのです。 この同じ時期に、ミシェル・クロジエ/Michel Crozier の表現で言えば“ 命令の地 /terre de commandement ”フランスで、権威のすべてのフォルムが、家族の、教会の、政党のヒエラルキーとともに崩壊した。そしてこの危機の主要なファクターは平和です。
なぜ平和なのですか?
フランス人のアイデンティは戦争概念に結びついていた。アルジェリアからの撤退によって平和が訪れたわけですが、それはフランスの自己との葛藤がはじまるひとつのきっかけだったのです。大戦直後にはまったくの農民国だったフランスの農業人口数が全国民の10パーセントを下回った。ヴァチカンⅡ以降、祖先伝来のキリスト教という受け皿が次第に小さくなってくる。それらの変化は混乱をもたらしました。ひとつの国民モデルから、もうひとつの、まだ見つかっていない別のモデルへの移行は苦痛を伴うのです。フランスの慣習や法の規範に従うのがもっとも困難である、新しい移民たちの到来は、それら混乱への追加エレメントなのです。
フランス国民モデルをどう定義なさいますか?
伝統的フランスモデルとは長い間、普遍性/ universaliste、摂理性/ providentialiste、メシア信仰的/ messianique だった。それが時を追って沈殿していったのです。フランスはいくつもの国民アイデンティティを持った。封建王政アイデンティがあった。後に革命のアイデンティティがやってきて、最後に共和制アイデンティティが総合を試みます。この基盤の上にわたしたちは生きてきたし、そこから今日論題となっている民主的アイデンティティに行き着いた。
その構築物がいま疑問視されているとお思いですか?
そうです。歴史に結びついた理由から、それは地すべりを起こした。20世紀におけるみっつの戦争はすべて敗戦に終わりました。1918年の偽の勝利は、実際にはヨーロッパ全体の敗北だった。1945年は、フランスが世界大国のランクに戻ったという幻想を保ちたかったド・ゴールによって隠された。そして1962年のアルジェリアでの敗北があり、フランス国民は世界の剥奪を内面化した。これは深遠な危機です。このフランス意識の組み換えには、政治局面において、一世紀前に共和国が押さえつけたような、ナショナリズムの消失が呼応します。このナショナリズムには、パトリオット・ジャコバンという左派ヴァージョンも、また保守で反動的なバレス・モーラス支持者たちの右派ヴァージョンもあり、これらが長い間フランスの敵対するふたつの流れをなしていた。現在の私たちには、このふたつは相互補足しているように見えます。これは、人が遺産/パトリモアンと呼ぶものである。パトリモアンという語の中にはパトリ(祖国)があるのです。。。
ではなぜ、フランス革命にまでさかのぼるこの区切りが消滅したのでしょう?ド・ゴール主義(ゴーリズム)とコミュニズムが伝統的フランス国民モデルの最頂点を示し、おそらくそれは終焉でもあったのです。そのふたつともが、革命的で国民的な混合だった。この、大きな幻想 -そして現実- の瞬間、ゴーリズムとコミュニズムが共に構築するひとつの投企がフランス自体を超える、その極地を理解しなければ、フランスのアイデンティティ危機は分からないのです。そして彼らの下降衰退は転落として生きられた。ミッテラン社会主義はいっとき国民の集団プロジェクトを引き伸ばしたが、やがて枯渇した。1983年は、市場主義への転換が社会主義ユートピアの終焉を示した大変重要な年です。ニコラ・サルコジの今回の着想と、それが引き起こした激しいリアクションは、つねにネーションという考えをナショナリズムのみに結びつけるフランスの悲劇の一側面です。左派は右派に、右派は極右に、ネーションという主題をゆだねてしまったのは残念なことです。ナショナル・プロジェクトとは、さらに拡大してフランス国家とは、同時に王制・領土・歴史であった、この例外的継続のうえに建っている。かつて、アンシアン・レジームのフランスに対する革命フランスがあり、宗教フランスに対する世俗/laïque フランスが、右派フランスに対する左派フランスがあった。これらの対立から残っているものは少ない。ド・ゴールは右派を共和主義に転換させ、学校に関する衝突はライック(世俗)とカトリックの最後の熱戦をなしました。右派と左派に関すれば、対立にもかかわらず、たがいを駆逐しようとする願望を失っています。
では、私たちが知っているナショナル・プロジェクトからは何が残るのでしょう?
ある集団的意味を見出そうとする、少なくともみっつの思想的試みがあります。まずジョン・マリー・ルペンの進出がありますが、これは世論のアルカイックな部分に隔離された、反動的ナショナリストの後退の一形式である。エコロジストの進出は、文化を自然のうちに溶け込ませようとする大きなプロジェクトを掲げていますが、社会に関する問題を扱わないゆえに右でも左でもない。最後に人権思想の進出がある。これは、私には純粋なネーション・プロジェクトとは矛盾するかと思えます。さらに、ネーションというロマン(小説)の破壊を抱え込んでいる。人権について言えば、フランス国家の歴史は犯罪的なんですね。「人権主義」プロジェクトには、ナショナル・ロマンのもっとも暗い細部を告発する部分がある。定義からして、国民というクラシックな解釈には相容れない。18世紀以来、この考えは文明という概念に結びついていた。光/ Les Lumières はネーションに、文明の進歩を運ぶものを見ていた。なぜならそれは理性の場所であるから。ネーションと理性と文明は同時に前進しない。最近の型の人権思想進出は極めて個人主義的であり、トリロジー(訳注:国家・理性・文明)を分解する。文明を要求するが、ネーションはいらないのです。
多くのフランス人が抱く喪失感は理解可能でしょうか?
わたしたちは今、再構築段階にあって、そこでは意思がその役割を果たしている。長い間、ヨーロッパはネーションに取って代わるのだと信じられていましたが、それが本当ではなかったと分かったのです。右であれ左であれ、ナショナリズムはわたしたちにネーションを隠していたのです。マルクス主義の最後は、ナショナル浸透の歴史的深さという、この意識の大きさを自覚させた。
けれどネーションに関わる言説は不変ではありえない。「国民とは何か Qu'est-ce qu'une nation? (Bordas, 1992)」では、ルナンが絶え間なく引用されている。祖先への信仰、共生への意思、大いなる出来事を共に作り出し、さらに作り出そうとすること。。。けれど私の考えでは、ルナンによる国民観はすでに有効ではありません。わたしたちがそれを基盤にして生きているこのヴィジョンは、過去と未来を継続、家系、プロジェクトの感情の中に一体化する古いナショナル・アイデンティティに呼応します。けれどこのつながりは断ち切られてしまって、わたしたちは絶え間ない現在に生きなければならない。過去からの継続がなくなったとき、新しいトリロジーは記憶・アイデンティティ・遺産となる。
アイデンティティ危機は部分的には現代性と関連があるのですか?
確かに、アイデンティティ論議は世界レベルのものです。けれど、その国家的性格と中央集権性、そして歴史とのつながりの持つ強制力のため、フランスでは特殊な高まりを現しています。フランスには、ひとつの国民の歴史/histoire とグループの記憶(複数)がある。ここでは、あなたはギロチンにかけられた貴族の子孫でも、一代目ポーランド移民の息子でも、銃殺されたコミュナールの孫でもありうるが、学校に行くとたんに他と同じ小さなフランス人となった。「ゴール人からド・ゴールへ」、ナショナル・ロマンはサン・バルテルミーやアルコル橋などからなる壮大なフレスコ画を繰り広げる。これは均一性の薄いフランス人口の小区画のそれぞれに共同のつながりを与えたのです。
宗教・地域・性といったマイノリティの国民共同体への組み入れは、それらグループを独自の歴史からすくい上げた。けれど彼らはその機会に、過去から再生した真実あるいは嘘の記憶に価値をあたえた。記憶の開放とは、歴史の強力な腐食である。これがフランス・アイデンティティの中心であったのです。政治が新しい与件に気づくことは、わたしたちにとって重要なことだ。アイデンティティ(複数)の相続は、さらに新しいアイデンティティを与えるでしょう。陰鬱で犠牲であるルナンの国民は、決して戻ってはこないのです。フランス人はもう祖国のために死のうとは思わないけれど、祖国を愛している。おそらく、このほうがいい。結局のところ、フランスが永遠なのではなく、フランス的性格が永遠なのです。
聞き手、ソフィー・ゲラルディ Sophie Gherardi
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ヘボ訳者後記:ああ、難しいです。マクラで書きましたが、ナシオンとエタ、それと対する日本語であるはずの国民と国家、の間にずれがあって、これは猫屋のせいなのか日本語のせいなのか、よく分かりませんがよく分からない。ゆえに翻訳文も揺れております。また、désenliser なんて動詞ははじめて見たですね。おそまつ。
本文を見るとnationは一貫して、国民と訳されてるから、解説の「単純訳すると「国家」」は、「単純訳すると「国民」」のタイプミスなりね。
投稿情報: ねずみ王様 | 2007-04-03 14:01
あ、ホントだ。直しますでにゃあ。
投稿情報: 猫屋 | 2007-04-03 17:43
TBありがとうございました。ノラ、中々興味深いコメントされてますね。
しかし、ここ最近の精力的、かつ良質なな翻訳&紹介活動、ご苦労様です。
「美しい国」の繭の中に閉じ込められている身としては、とてもあり難いです。
投稿情報: chorolyn | 2007-04-03 22:56
おおチョロリン氏、貴該当エントリ読み返しました。んー、深いです。
いや、勝手に翻訳したり文章たたいてるときが一番シアワセみたい、自分。これが金になりゃ(以下略
誰か仕事ください、って言ってみただけですが、これからこちらももうひとつの「美しい国」になりそな雰囲気でありますすよ。
投稿情報: 猫屋 | 2007-04-04 00:06