新設ブロンリ河岸美術館(Musée du quai Branly)に行ってきました。
今日は予定があったのに、すっぽかされフット・オーバードーズにもちょっと疲れてきた。美術館に行くことにする。小雨の降るパリの午後を場所がわからずセーヌ岸を行ったりきたり渡ったり。結局着いたら午後4時を過ぎてたんだけど、まだ工事中の中庭での列も10分並んで切符が買えた(8.5ユーロ、18歳まで・ハンディキャップ有人・失業者無
料)。金曜の入場は午後6時半までだから、今日は駆け足で常展全体をざっと見てみることにする。
6月23日に初めて一般公開されたばかりのパリ7区のこの美術館には、以前 Musée de l'Homme とアフリカ・オセアニア国立博物館に展示されていた物品をベースにした約3500点のオブジェが展示されている。もとは海外貿易省があったエッフェル塔近い広大な敷地に、アラブ世界博物館をデザインした仏アーキテクトJean Nouvel/ジョン・ヌーベルが設計。最近流行の壁庭園を含む(まだ植え終わってないけど)パトリック・ブロンが構想したコンセプチャルな庭を有している。
建物に入るとまず螺旋状の坂になっていて、あれっグーゲンハイム?とか思うがさにあらず。ここは枠組みをのぞけばすべて有機的構造になっていて、この坂は蛇行してるんですね。足元や壁に風景や文字が投影され、いろいろな音が聞こえてくる。これは『旅へのいざない』です。
そうやって、螺旋中央の薄暗闇に並べられた太鼓等を見ながら展覧室に入るんだが、ここは面白い。従来の“博物館”すなわち過去をなんらかの“理由”にしたがって陳列してはいないのだよ。つまり“百科辞典型”発想を“放棄”している。またサイズも不ぞろいな透明ショーケースや映像ブース、小さすぎる解説用プレートを別とすれば四角という形をも放棄している。
特別展などは二階(といっても大した階差があるわけではない)だが、あとは迷路のように入り組んだ内部を(アフリカ・オセアニア・アジア・アメリカという分け目はあるにしろ)人は知らないうちに大陸間を行き来することになる。照明が暗いという印象はあるし、絶対全部を把握したい人は欲求不満に陥るだろう。
しかし、しかしだよ。これはなんと呼ぶべきか。コンセプトなんだが。。。世界観なんだが。。。
まずやってくるのは、ludique/遊びの、étonnant/驚くべき、そしてveritigineux/眼が回る感覚だ。カタログを見てもこの感覚は得られない。ここに来な
きゃいけない。なぜなら、たとえばそこここに仕組まれた音と映像がある。たとえばおなじみアフリカン・マスクの横には小型TVがあってマスク彫り男がしゃべりながらマスクを彫っている。祭礼衣装コーナーでは祭礼歌が聞こえている。また、小型TVそばの壁には座れるボコボコがしつらえてあって好きなだけ座って見ることができるわけだ。
写真に見える建物外装のコンテナーみたいな四角が大中小のブースになっていて、たとえばオセアニア・パプーの祭りとか、アマゾンに降る雨とかの映像が四つの壁に映し出され音声ももちろん聞こえてくる。そこには椅子はひとつもなくて壁にもたれるか床に座るんだ。そうして人はその祭りの参加者になるってわけだな。
面白かったのは、せいぜい2人しか入れない洞みたいなやたら暗いブースがあって、横から覗いたら画面に映ってるのはマラブー(魔術師)なんだよ。コインを投げたり、豆をかき混ぜたりしながら言ってることが、画面に訳されて、画面下ではなく画面真ん中にぽんぽんと出てくる。予言者のことばなんだから、真ん中に出す価値があるんだね。
ところどころに、縦型引き出しがあって黒くやたら重い引き出しを引っ張るとアラ不思議、装飾品や織物とかが見られる仕組みになっている。
説明書きはほとんど読まずに、たとえばブティックで好きな服を探すときみたいに右から左、左から右、陳列ケースの横をすり抜け、坂をあがり坂を下がり、たったひとりのかくれんぼに2時間近くかけた。
ここのコンセプトとは、オブジェと見る者の間の距離を縮めようとする“試み”なのだろう。
マスク・衣装・装飾品・楽器・船の装飾物・埋葬用人形・人物彫刻、あとなにがあったか、とにかく美しいし、楽しいし、驚く。
けれどだんだん寂しくなってくるわけだ。メランコリーというか、すでにノスタルジーというか。。。もちろん埋葬に関するオブジェが多いこともこの寂しさの原因のひとつではあるだろう。古いものもあるけど、これらの“アート”の多くが作られたのはそんな昔じゃないのに、過去の“アート”として美術館に飾らなきゃならないってことなんだ、哀しくなるのは。プラスチック製のワールド・ワイドな我らの最先端“文化”は、100円ショップのように便利だけど100円ショップのように貧しいんだ。
あとはね、アニミズム祈祷系物品が多いから、その重さってのもあると思う。
早足で通り抜けた作品群のなかで今回眼を引かれたのは、イヌイットの寝袋:アザラシの毛皮を小さな足まで残してそのまま袋状にしたもの、多くの釘を打ち込まれたアンゴラの人物と犬の木像、同じくアフリカ木像だが赤ん坊に乳をやる母親像の表現力、オセアニアのボート彫刻の力強さ、そしてこれは展示全体についていえるのだが人物を表す時の誇張とリアリズムとユーモアの共存。
美術館ウェブ・サイトもまだ工事中のようで作品の写真は見られません。なお、この美術館の構想はパリ市長時代のジャック・シラクと美術商の友人間の話が元らしい。ゆくゆくはポンピドゥー美術館・ミッテラン図書館ばりにシラク美術館と名を変える可能性も大きい。(そうなる前に行っておく方がいいかもしれない。)なお、メトロ、アルマ・マルソー駅で降りてセーヌ沿いに右手に歩き、Passage Debilly という歩行者用の橋を渡って行くのがお勧めであります。
アジア美術を集め、別館には欧州唯一の茶室も備えた美術館の逸品、ミュゼ・ギメのあるイエナもそばだから、まる1日かけてこのふたつの美術館を探索するというのはかなり渋いパリでの時間の過ごし方です。