なんてことはない、コメント欄にお返事書いてたら筆がスイスイというか、キーボードがカタカタ進み読み返したら面白いのでそのままコピペ。
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聖ジダンがぶちきれて、かえってトリック・スター的大転換ヒーローになった観があります。
結局、予定調和も自分の引退劇もWカップ優勝国イタリアまで食っちゃった。この“自己破壊”の強烈さにメマイを感じ、惹きつけられ、こんなに事は大きくなっちゃった。
でも実は、すぐ隣でリアルな戦争をしてたりする。戦争を仕掛けてたりするわけだが、それに比べれば、この“頭突き”戦は“球蹴り”スポーツというゲーム内での/劇場内でのプレイなわけです。FIFAも本腰入れて事情聴取の日程を発表した。まだまだ続きます。
あと、インタヴュー見ててもわかるけどジダンは言葉の人ではない。マテラッツィみたいにあることない事考えもせず口に出す人間の逆だ。たぶん、このコミュニュケーションの弱さから、少年時の彼はサッカーを自分の表現とする方向に行ったんだろう。そしてあのジダンのプレイの華麗さが生まれた。
(家族を含めた)自分の世界を守るためにフットやってる彼は、一瞬の衝動で、自分の世界を守るために、あの行為に及んだ。
こうやって考えると、スポーツってのはオートマティズム(自動化)の“アート/芸”であるわけだし、その上しゃべるかわりに動く人間のジダンがああやって全部ひっくり返してしまうわけで、これもまた一種の“美学”であるな、とも思います。
するってーと、この“まれびと”ジダンはいくら平静な引退を望んでもなかなかそこに到達できない宿命なのかも、、などとロマネスクなことも考えたり。
ピアノの世界では、ロシアン・スクールを「ベルベットのようなタッチ」というそうです。フットボール美の体現者ジダンにも共通するものがあります。
ジダンはいい奴ですね。彼が多くの人々から尊敬され、同時に、愛されるのは頷けます。
ハムレットとドンキホーテを一身に体現した人。それがジダンでしょう。今回の件で私も大好きになりました。
投稿情報: renqing | 2006-07-14 05:46
こんなことで大騒ぎするなんて、という批判ももちろんありますが、あの行為を一体何人の人間が目撃したのか。そしてその人々が反感なり共感なりのエモーションを同時に持ち、その上それぞれが自分なりの解釈なりジャッジメントを試みている。
おまけに、ジダンのジェストはもちろん、メディアが(そしてスポンサーが)予期しなかった、ノン・ポリティカリー・コレクトなやり方で提示された。我らが資本主義高度管理社会でのモデルであるべき彼がそれをヤッチャッタ、そしてその行為の正当性を問うているわけだ。好きにならずにはいられません。
投稿情報: 猫屋 | 2006-07-14 12:07
猫屋さま
raidaisukiです。お久しぶり。やっとのことで缶詰仕事から解放されて一息ついているところです。 (^_^;)y
アルジェリア人の感想を聞いてみるといろいろ興味深い様相がみえてきたりしますね。世界は広いです。TBさせていただきましたので、よろしくお願いいたします。 m(_ _)m
投稿情報: raidaisuki | 2006-07-14 16:02
一時期はまっていた河合隼雄(ユング派心理学者、現文化庁長官)さんの本で、「王様の前に道化が出てきてひっくりかえして」という感じの話を読んだような記憶があるのですが(違うかも)、まさにその通りのことが現実に起こってしまった、というわけで、よく考えてみると(ジダンには申し訳ないのですが)オモシロい話です。惜しむらくは道化に愛想がなさすぎたことでしょうか。「みんな言ってるじゃん」というのは、30過ぎた大人の言い訳としてはないんじゃないの、と苦笑した私です。
投稿情報: ぴこりん | 2006-07-14 18:31
ジダンのケースが面白いのは、非常にいろいろな要素があるんで、メディアの唱える解釈とは別に、誰もがその人なりのストーリー/物語を組み立てられるところだと思う。かえってメディアが“民”の物語を追っかけている風でもある。
ぴこりん氏、
猫屋は古い世代なんで、山口昌男のトリック・スターにジダンがあたって、王はジャッジってな気がするわけです。サッカーグラウンドは劇場でマテラッツィはなんだ、アルルカンかな?
raidaisuki 氏、ども。
ジダンはマルセイユ生まれで教育もこちらで受けてるし、奥さんはフランスとスペインのミックスの女性です。もちろんアルジェリア(カリビイ)の影響はあるけれどそれだけじゃない。どこかの先生が彼のアルジェリアというオリジンからいろいろ分析してるの読んだけど、ひとりの人間はそんなに単純なものではないと思った。ましてやジダン、スペイン・イタリアで過ごした時間も長い。世界は、ほんとうに広いですね。
投稿情報: 猫屋 | 2006-07-15 00:57
ジダンは、すごく良い人だと思うのです。 でも、私の知っているかぎり、なぜか歳をとるとともに、フランス人のアルジェリア出身の男子はその国特有の色になってくる傾向が強くて、これも血なのでしょうか? 一週間たった今、冷静に考え、ルールからいうと、何を言われたって頭付きしたほうが悪いにきまってるけど、FIFAは、どうやって両者(そのまわりにいる人たち、もしくは国)を納得させるのでしょうか?
一番、冷静だったのは「ゲームなんて、こんなもんさ。」と言ってトレゼゲに胸を貸し、さっさとバカンスに出かけた、アンリでしょうか? 決勝に負けて、「もうフランスのユニフォーム、着ない!」って怒っていた、息子もやっと忘れて、ボールをもってユニフォーム着てサッカーで遊んでいます。
人間は、忘れて成長するもの? ジダンの頭付きは、マラドーナの金の手(本当だったら、ペナルティ)と同じだと、友達がいってました。
投稿情報: k | 2006-07-17 11:52