sarkofage 氏のアップヴィデオへのコメント欄が消されてるです、デイリーモーション。不思議ですねえ。
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私はなぜサルコを支持しないか、というのと、サルコジびっくり語録、っていう2本書きたかったんですがル・モンド社長コロンバニのセゴ支援社説を訳し終えるのに時間かかって無理でがす、ゼイゼイ。
荒訳のままですが、読んでやってください。
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sarkofage 氏のアップヴィデオへのコメント欄が消されてるです、デイリーモーション。不思議ですねえ。
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私はなぜサルコを支持しないか、というのと、サルコジびっくり語録、っていう2本書きたかったんですがル・モンド社長コロンバニのセゴ支援社説を訳し終えるのに時間かかって無理でがす、ゼイゼイ。
荒訳のままですが、読んでやってください。
投稿情報: 2007-05-05 カテゴリー: Europe | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
選挙運動が打ち切りとされるのが金曜夜中12時なんだけど、今夕方は久しぶりにTVニュースを見た。france3 とカナル・プルスにロワイヤルが出て、短い制限時間内ではあるが選挙トークをした。恥ずかしい話だが感動した。さわやーかセゴである。カポラル(仕官ね)の娘である。背はあくまでピンとまっすぐで、オイモな語調も変わりなく、いつもの時々背を伸ばすようにぴょんとする、誠実な笑顔である。彼女が、困難な状況にあって変わったのか。あるいは、わたしたちが以前の彼女を知らなかっただけなのか。分からない。カナル・プルスにこのところ出ている、政治専門ラジオ・ジャーナリストおっさんの、セゴを見る目がアレだったよ。分かるよ、おっさん。そうなんだよ。
奇跡は起こらんか?
夜遅くに見た最終アンケート調査はサルコジ55パーセントとあった。いやなに、フランスは革命とレジスタンスの国である。ダイジョウビ。節子さんもそう言っていたし。いやいや、まだわからんですよ。現実は前もってプログラムされえない。
翌日追加:リベのジョフランによる社説です。新しい左派
Une gauche renouvelée
次は同じくリベによる、もう一回計算してみようという記事
Un scrutin à l'alchimie complexe 投票結果予想の複雑計算
コロンバニのメッセージが中道派に届くのか、あきらめ不投票率はいかほどなのか、ルペン支持者はルペンに忠実なのか、、、と結果はまだ出てないのですよ。人間社会全般にいえることだと思いますが、ベルリンの壁のごとく、ある時点(アルティクラャション)でカクッと変わるんですね。今回のキャンペーンで変わった事項はいくつもあると思いますが、その質とその後の方向性はまだ見えていないんだと考えます。
投稿情報: 2007-05-05 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (15) | トラックバック (0)
まだまだ続きそうですが、ここらでやめときます。
あとと、最終アンケート調査のサルコジ53パーセントというのに打ちのめされてフラフラ考えていたんですが、2日のサルコジ・ロワイヤルTV討論で、サルコがポールペンをいじくりまわしたり、メモを見たり、PPDAに目をやったり、セゴの目を見ないようにしていたのは、ありゃ女性恐怖症かとか思ったんですが、結局は自分の攻撃性、つまり敵対者を見ると攻撃せずにはいられない脊髄反応を抑えるためだったのでしょう。あーあ。しかし、この国では、相手の目を見ながら話すのが礼儀ですよ。やくざな男であります。あ、これもロワイヤル支持の理由ですが。
投稿情報: 2007-05-04 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (22) | トラックバック (0)
ル・モンドの編集責任者であるコロンバニが、自分がロワイヤルに投票する理由を社説に書いています。しかし、こんなリスキーなエディトリアルを書いても大丈夫なんだろうか。。。これも賭け、レジスタンスである。
ふたつのフランス、ジャン-マリ・コロンバニ
ニコラ・サルコジが優勢な位置を保ったまま大統領選挙第二次投票に挑むことは、誰にとっても明らかだ。 すべてのアンケート調査はあいかわらずそれを告知しているし、大いに期待されたテレビ対決も、それだけでは選挙戦の流れを変える性質を持たなかった。
こういった状況下で、我々はすでにサルコジ時代に入ったのだと、未来に自分を置いてみる誘惑が大きいとしても何の不思議もない。反対に - 我々の政治歴史の新しい局面、社会モデルの選択 という - 重要な賭けにとっては、それぞれの一票に価値があると確認することが必要だろう。
アンケート調査は選挙ではない。結果がどのようなものであれ、選挙は国内のパワーバランスを作り出し、このバランスが政府内の、幸福にも選ばれた人間の態度に、また彼(彼女)の、フランス社会の多様な望みへの考慮のしかたに影響を与える。
この視点からいって- 専門的でありすぎ厚みに欠けているにしても、テレビ対決では、はっきり見て取れなかった、あるいは別の観点からは隠されていたともいえるのだが、確かにふたつのフランス、ふたつのフランスのヴィジョンが提出されていた。
これは、二候補者のパリ政治大集会においてより明白だ:ベルシーの大衆 は均一社会であったし、シャルレッティの大衆はより多様で、よりマルチカラーだった。前者は(社会)内部者。後者は、同化を強く願う者たちと、中間クラスの運命が自分たちの将来を変える大きな鍵であるところの、中間クラスへの同化候補者たちだ。
誰もが知っているように、グロバリゼーションは、何億という人々に仕事を与えると同時に、ある危険を内包している:利益の分配が平等ではないことだ。国によって、また各国内部においても、社会均衡を破壊し、半世紀前に福祉国家が転倒させた不平等装置をふたたび起動させた。
社会エレベーターの故障
つまり我々の開発国家すべてで問われている問題とは、以前は年齢と共に収入が増加し、その子供たちはより豊かな生活をおくれた中流階層が、今日では収入は上昇せず、子供たちは、教育費という高い出費にもかかわらず、(定職は見つからず)研修から研修を続けることになる。この社会エレベーターの故障は、階層の底部にとってばかりではなく、この中間層の増大する部分にとってもおなじだ。
不充分な可視性にもかかわらず、セゴレンヌ・ロワイヤルのプロジェクト全体は、この問題を軸として構想されている。社会対話を再び書き換えることで信頼を取り戻そうとする、その発想は正しい。フランスでの企業間、また国家と勤労者の間にある相互疑惑の関係は、単にコスト上昇を招くばかりではなく、再経済成長への障害となる。
セゴレンヌ・ロワイヤルの見る労働価値の危機とは、個々人の労働への欲望の危機ではなく、共に働く能力の危機である。その構想全体が、中間層の自信を取り戻させ、現在欠けている機動性を与え、同時に強力で現在化した公共サービスが彼らに安心感を取り戻させる。
実のところ、サルコジの考える政策とは(特に税政策:50%の税額上限はISF〔高額所得者税〕を文字通り帳消しにする方法でしかない)、社会ピラミッド最上部を優遇する点で、より“アメリカナイズ”されたヴィジョンである。同時に、その工業主義的、同時に保護貿易主義的語調は、労働者層の支持をもたらす。つまり、米国保守の“思いやりの保守”を想起させるヴィジョンの名において、社会の上層部と下層部を保護する:より多数のものに職を与えるには、“金持ち”の資本投資を優遇すべきなのだ。
歴史リヴェンチ・コンセプト
二者(NS SG)を聞いていると、まったく矛盾しない守るべきモデルは、北欧の社会民主主義!のみだと思えるが 、実際にはふたつの社会モデルが提出された。その上両者とも社会変革を望んでいる。たとえば、ニコラ・サルコジの具体的提案は(税制構想、各種の減税、特に不動産所持奨励のフランス)、新しい不平等の原因となりえるし、もっとも裕福な人々をさらに裕福となすことに行き着くだろう。山の手地区での投票率の高さが(逆の例は、マダム ロワイヤルシテでの高投票率)、サルコジのメッセージが正確に理解されたことを示している。
階級闘争を否定するという伝統的論法は除外しても、サルコジ氏の、歴史の報復主義的コンセプションには困惑させられる。二投票の間期間での、68年5月運動弾劾は、思想報復への意思を明確にあらわしている。、つねに敵対者を求める必要があるかのように、“働く者”を“不正な者”に、朝早く起きる者を怠け者に対立させるやりかたは、こちらの居心地を悪くさせる。結局それは、すべてを敵対させる考え方だ。結局のところ、それは、二分法を避けるマダム ロワイヤルの態度を信頼しうるものにする。
疑惑の残る、異議すべき、あるいは拒否すべきプロジェクトであるのは確かだが、論理一定性があり抑制されている。
刑の個別化と、同時に抑圧機関(刑務所)は社会復帰を目指すという考えが共和国司法の基本であるにもかかわらず、(すでに幅広く使われている)立法権の抑圧的攻撃手段を、実刑内容の最長化と(訳注;執行猶予、減刑などを認めない)自動的執行によって強化するという、サルコジ氏の主張は、理性に欠ける後退であるだろう。最後に、マルタン・ブイグ(Martin Bouygues;建築を中心とするブイグ社社長 てれび tf1等を所有する)、アルノー・ラガルデール(Arnaud Lagardère;ラガルデールグループ社長)、セルジュ・ダソー(Serge Dassault;軍備を中心とするコングロメガ、ダソーの長、フィガロ等を有する)とニコラ・サルコジの親密な関係は、メディア界の強力な権力を予期させるものであり、これには一瞬たりとも警戒をおこたるべきではない。
しかし、UMP党首がこの国の大統領となる可能性は高い。以下がその三つの理由だ:第一に、2002年以来の野望であり、プランニングであり、公言もしていた、FN(フロンナショナル)に対するM&Aに成功した点だ。このプランは保守にとって決定的政治目的であると彼は繰り返してきた。第二点は、自分のプログラムにすばやく賛同を取り付け、実行し、すばやく改革することに長けているからだ。なおセゴレンヌ・ロワイヤルへ投票の一部は、サルコジの強行政策に対する批難と防衛票である。最後の点は、この強い動員力(adhésion)は、五年前から、そしてサルコジ氏がUMP党首となって以来さらに活発になった、保守の基盤の再構築という綿密な企画の結果である。
結果としてそれは、疑惑の残る異議すべき、あるいは拒否すべきプロジェクトであるのは確かだが、論理一定性があり抑制されている。
主題政策の不在
反して、社会党は比較すべき基礎改革に取り掛からなかった。テレビで見て取れるように、人柄、強い個性、どんな戦いにも挑んでいくマダム ロワイヤルにとっては、この点が選挙運動を弱める一番の欠点になった。彼女には、社会党内秩序を揺るがすべきだという直感があったが、部分的な、また実験的、あるいは即興的にしか実行できなかった。準備され、熟練され、候補者によって体現化された前々からの共同思考基盤がなかったためだ。
1997年にリオネル・ジョスパンがうちだした35時間制や若年者雇用に対応する、比較のために提出すべきテーマ政策もなかった。選挙運動中、フランス人が考える“変化”自体が...変化したことに社会党員さえ気がつかなかったのだ!これが、労働の価値キャンペーンを通じてニコラ・サルコジが獲得した(そして覆い隠した)真の主題なのだ。
したがって、民主主義論議の明晰性とダイナミズムのために、左派思想をよみがえらせる必要がある。グロバリゼーションは脅威として、またすべての悪の根源として受け取られ続けており、この世界革命の否定的側面のみがクローズアップされ、告発される。改革左派は現在的なやり方で社会変革を考え直す必要があるのだ。長すぎる期間、停滞していた思想的行き止まりから脱出すべきだ。それが(民衆)運動の体現、変化と希望、未来へのオプティミズムという、その歴史的使命を再発見するただ一つの道だ。
セゴレンヌ・ロワイヤルは、変化への“欲望/ désir ”を描き出し、ひとつのパースペクティヴを示した。その敗北は、特に大差での敗北は、フランス社会党を否が応でも報復に落としいれ、アルカイズムと否定的ユートピア再来をもたらすだろう。その勝利は、ロヤイヤルに、必要とされる(左派)再構築に取り組むための影響力をあたえるだろう。これは賭けである。この国にとって、試す価値のある賭けなのだ。
なおサルコジ・ロワイヤルのテレビ討論後、論争となったハンディキャップ児の教育問題や核エネルギー問題は、あまりにも行政と科学系テクニック数字が絡んでくるので猫屋にはあつかう能力がない。いくつかウェブを含めたメディアを一巡した、といってもTVは見てないんですが、猫屋評をもう一回。付け加えますと、ロワイヤルの国民に宛てた手紙の翻訳、エマニュエル・トッドのサルコジ現象論など他にも訳したい文章は山ほどあるのだが、如何せん時間が足りないのであります。許してね、明日大事がなければトライしたいです。
結局のところ昨日のTV対決結果は、セゴレンヌ・ロワイヤルは大統領になる力量があることを一般の人々に証明した。そしてニコラ・サルコジは、その攻撃性を抑えることができるんだと証明できた。このふたつに要約できるだろう。如何せん、現政権内におり、生まれた時からテッペンに登る野望を隠さない男サルコジに比べれば、メディアによる足かせにもかかわらず半年ほどの短期間に、まず社会党内での抗争、そして第1回選挙をクリアしたロワイヤルのハンディは大きい。しかし、しかしだよ。社会というのは、リベのジョフランも書いているけれど、予測のできない動きをすることがあるわけだ。今回の選挙はネオ市場主義とヨーロッパ型民主社会主義の対決であるのはコロンバニの言うとおりなんだ。フランスが社会主義を完璧放棄したらいったい何が残るんだ。。。繰り返すけど、フランスが米国になる必要はどこにもない。それは単に大きな損失であるだろう。オマエラ、ワカッテネーヨー!ウアーン。
とにかくサルコジは日曜の投票まで、アンチ・サルコの再フィーバーを恐れてひたすら発言を控えるだろう。敵対者のメソッドをそのままリサイクルするのはサルコの常套手段である。レオン・ブリュムなど歴史的社会党政治家を囲い込んでまで、移民と国家アイデンティティ省を作るとまで言いはって票を集めるサルコジは、今は“穏やかな”男として口を閉ざすわけだ。
ロワイヤル支持を表明したのは、ル・モンド編集長のほかに クリシ・ス・ボワの市民団体Le collectif AC le Feu があります。これは忘れてはいけない。 研究者たちが反サルコジ運動を企画した作ったそうだ。この後の2日間はアンチ・サルコが活発になるだろう。
なお、昨日のロワイヤル・サルコジのテレビ討論全体をこちらで見ることができます。
投稿情報: 2007-05-04 カテゴリー: France, trad/翻訳 | 個別ページ | コメント (17) | トラックバック (0)
えっと、かなりテンション上がってるんで、またしてもブレイク。昨日の裏番組ヌーヴェル・スターからジュリアンのパーフォーマンスです。コメントなし。
投稿情報: 2007-05-04 カテゴリー: Musique | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日発売の Nouvel Observateur は力の入った記事が詰まっています。時間がないのでご紹介できませんが、統計歴史学者エマニュエル・トッドが、第1回選挙結果とサルコジと郊外での“暴動”の関連、また、サルコジがどのように北駅事件を利用して極右層および極右地区の票を獲得したか、サルコジの危険性とは何か、ロワイヤルへの提言など、宗教・ジャコバン運動・排外主義の歴史的仏国図などをもとに分析しています。Présidentielle : le dessous des cartes
ほかにもアラン・ミンク(NS支援)とダニエル・カーン(SRエコノミスト)の対談、,またロワイヤルとバイルー対談のイイダシッペはコーン・ベンディットだったなどいろいろ分かる、ロワイヤル激動の一週間クロニクルとかも面白かった。ひとまずロワイヤルの国民に当てた手紙。これも、訳さないよりは間違いがあっても訳したほうがいい、というのが猫屋憲章。翻訳します。
国民に当てた私の手紙 セゴレンヌ・ロワイヤル
Ma lettre aux Français
par Ségolène RoyalNous voici dans la dernière ligne droite d'un grand et beau combat démocratique qui va décider de l'avenir et des valeurs de la France pour cinq ans et en réalité plus longtemps encore. Aujourd'hui, le choix se clarifie et c'est très bien ainsi. C'est un choix entre deux conceptions différentes de l'exercice du pouvoir, deux conceptions du redressement économique, social et écologique du pays, deux approches de l'Europe et du rôle de la France dans le monde.
わたしたちの、偉大で美しい民主主義の戦いも最後の直線にかかってきました。これは今後5年間、実際にはより長い期間にわたってのフランスの将来と価値を決める戦いです。今日、選択は明快になってきており、これはよいことです。これはふたつの権力行使コンセプションの、ふたつの経済・社会・エコロジー建て直しコンセプションからひとつを選ぶことであり。またヨーロッパへの歩み寄りと世界の中でもフランスの役割についてもふたつのやり方からの選択でもあります。
Le désir de changement est vif et très largement partagé. Face à un système dépassé, injuste et inefficace, inefficace parce que injuste, une majorité de Françaises et de Français n'en peuvent plus et n'en veulent plus. L'exaspération est là, palpable, mais l'espérance aussi. Je veux y répondre en réformant profondément le pays mais sans brutalité et en rassemblant largement, au-delà des partis et des blocs, tous ceux qui veulent une France plus fraternelle et en même temps en prise sur son époque, capable d'en relever les défis, forte d'une confiance retrouvée et qui réconcilie l'efficacité économique et sociale. Trop de temps a été perdu, trop de cartes gâchées, trop d'inégalités creusées, trop d'inefficacité économique, trop de dette : il y a urgence. A chacun de prendre ses responsabilités.
La France a choisi pour devise des valeurs universelles. La France n'est jamais aussi forte, aussi respectée, aussi aimée que quand elle porte haut et fort ce message de justice et quand elle en donne l'exemple chez elle. Quand ces valeurs sont malmenées, la France ne se reconnaît plus.変化への欲望は強く、多くの人がそれを分かち合っています。、正しくもなく有効でもない、正しくないからこそ有効ではない時代遅れとなってしまったシステムを目前に、大多数のフランス人は、やっていけないし、望みもしない。激怒は、そこにあって感じることができる、けれど希望もあります。私はフランスを根源的に、けれど乱暴さを伴わないやり方で、基礎から変革ることで答えたいと望みます。より博愛に満ち、同時に時代に対応した挑戦にも応じることができる、信頼を取り戻した力強い、社会と有効性を共存させるフランス、そんなフランスを愛する多くの人々と、党やブロックを越えて共になす変革です。無為についやされた長すぎる時間、無駄になった多すぎるプラン、過度な不平等の溝、経済の非生産的、多額の負債:時は切迫しています。各個人が責任を負う時です。フランスは普遍的価値を国家概念として選らびました。この正等のメッセージを国内で実現し、また高く掲げるとき、フランスはもっとも強く、敬意をうけ、愛されるのです。それらの価値が軽視されるとき、フランスは自己を失ってしまう。
Je veux une France de liberté. Et la première des libertés, c'est celle de choisir et de conduire sa vie. Parce qu'on a un bon bagage éducatif de départ. Parce qu'on a un emploi qui permet de vivre dignement et de faire des projets. Parce qu'on conserve sa vie durant le goût d'apprendre et la possibilité de se former. Parce que les solidarités sont au service de cette liberté et de cette responsabilité individuelles. Je sais que nous sommes nombreux, très nombreux, à ne pas vouloir que notre pays soit transformé en laboratoire d'un berlusconisme tardif qui va s'aligner sur les postures de George Bush. Je sais que nous sommes nombreux, très nombreux, à rejeter la confusion des pouvoirs, la mise au pas des contre-pouvoirs, la soumission au pouvoir de l'argent. Voilà pourquoi j'appelle au rassemblement de tous ceux qui ne veulent pas d'un Etat de droit au plus bas et d'un recul des libertés publiques.
私は自由なフランスを望みます。第一の自由とは自ら人生を選び、自ら人生を生きることです。なぜなら、スタート時に優秀な教育という荷物(学位)を人は手にしているから。なぜなら、誇りを持って生き将来の計画をを立てることができるような職業を人は持っているから。なぜなら、人は最後まで学ぶことへの嗜好(goût)と可能性を持っているから。なぜなら、連帯とはこの自由のために、この個人的責任のためにあるからです。この国が、今ごろになってジョージ・ブッシュの立場に並ぼうとする、あるベルルスコニストの試験場となることに反対するわたしたちの数は多いと、とても多いのだと思います。権力の混同、反権力の抑圧、金権力への服従を拒絶するわたしたちの数は多いと、とても多いのだと思います。そのために、最低人権国家と公共自由の退歩を望まぬ人々の集結を呼びかけます。
Je veux une France de l'égalité des possibles, pas simplement formelle mais réelle. L'égalité républicaine, ce n'est pas tout le monde sous la toise, ce n'est pas l'uniformité. C'est le droit égal garanti à chacun qu'il pourra aller au bout de ses possibilités, grâce à la priorité donnée à l'éducation, qu'il sera aidé quand il en aura besoin, qu'il lui faudra donner s'il a reçu car l'égalité des droits suppose l'égalité des devoirs. L'égalité républicaine, c'est l'assurance donnée à tous d'un traitement impartial, indifférent à la naissance, à l'origine, à la fortune, au carnet d'adresses. Ce n'est pas l'exonération des droits de succession pour les patrimoines des plus riches, cette restauration des privilèges héréditaires de la rente contre lesquels, jadis, le peuple français fit une Révolution. Ce n'est pas la promotion de quelques-uns sous prétexte de discrimination positive, qui assigne à l'origine et masque mal l'abandon du plus grand nombre. Ce n'est pas la remise en cause de la loi de 1905 pour mettre les religions dans la politique et la politique dans les religions. Ce n'est pas l'instrumentalisation des communautarismes et des clientélismes. Ce qui menace notre identité nationale, ce n'est pas l'immigration régulière, c'est la destruction de notre pacte républicain. Car il en va ainsi chez nous : quand la République s'affaisse, la France s'abaisse.
わたしは、形式ではなく、現実としての、可能性に平等なフランスを望みます。共和国の平等とは、モノサシの下にすべての人々が並ぶことでも、均一性でもありません。教育を最...
猫屋;また時間が見つかったら続けます。ぜいぜい。でもル・モンドのエディトリアルも全文訳したいなあ。。ぜいぜい。
Je ne veux pas d'une France en proie au doute, tentée par le repli, s'abandonnant à la peur, affaiblie par ses divisions et impuissante à maîtriser son destin. Je veux une France de la fraternité , une France unie qui reprenne la main. Une France capable de changer sans se perdre. Une France capable de se réformer parce qu'au clair sur ses valeurs et forte de tous les siens. Sans la fraternité, la liberté et l'égalité se désaccordent. Voilà pourquoi j'appelle au rassemblement de tous les républicains de progrès qui veulent, eux aussi, que la loi du plus juste l'emporte sur la loi du plus fort. Voilà pourquoi j'appelle au rassemblement de tous ceux qui ne veulent pas d'un pouvoir confisqué par un seul parti et soumis aux puissances de l'argent et aux injonctions du Medef et du CAC 40.
L'Etat, spécialement en France où sa formation est ancienne, a préexisté à la démocratie. Il s'est construit dans des siècles où l'arbitraire était la règle et le droit, l'exception. Depuis 1789, et malgré des retours en arrière, l'Etat a dû se plier au respect de la loi : le citoyen a peu à peu conquis des droits, l'anonymat et la brutalité de l'action publique ont dû laisser place à plus de transparence et de dialogue.
Mais notre Etat porte encore les stigmates des conditions de sa naissance et des habitudes d'un pouvoir sans frein. Qui ne voit que l'autorité judiciaire ne jouit pas encore de la pleine indépendance imaginée par Aristote et élaborée par Montesquieu ? Qui ne voit que les citoyens sont ravalés souvent encore à la condition subalterne d'administrés et ne parviennent ni à comprendre la logique des décisions qu'on leur impose, ni à faire valoir leur droit légitime dans les arcanes d'une administration qui les traite parfois en importuns ? Qui ne voit que la collusion des pouvoirs politiques et économiques bride l'indépendance de la presse et favorise les abus dans les nominations et les rémunérations comme on l'a vu à Airbus ? La droite porte la lourde responsabilité d'avoir aggravé la subordination de la justice, ignoré les citoyens et confondu l'intérêt public avec les intérêts privés.
Les Français veulent un Etat impartial et je veux le construire avec eux. Aujourd'hui, l'Etat n'est pas assez présent là où on a besoin de lui, mais il est envahissant là où il multiplie sans raisons les procédures et la bureaucratie, le maquis des aides et des démarches. Il est trop timide là où il devrait jouer son rôle d'entraînement et trop lointain là où il devrait être proche, à l'écoute, réactif. Il se trompe souvent quand il décide seul. Voilà pourquoi j'appelle au rassemblement de tous ceux qui veulent un Etat réformé avec des services publics efficaces, un Etat qui enraye la vertigineuse croissance d'une dette qui l'étouffe.
Je veux une France capable de vérité . Une France lucide sur ses points faibles, énergique sur ses points forts, capable d'anticiper les mutations nécessaires, de se mobiliser pour réinventer son avenir, d'investir dans l'éducation, la recherche et l'innovation, aujourd'hui paupérisées et sinistrées, dans la qualification et les emplois de qualité. Car c'est la seule réponse vraiment moderne aux transformations de l'économie mondialisée et de la compétition planétaire. Le projet coercitif de Nicolas Sarkozy se trompe d'époque et tire la France du mauvais côté de la nouvelle division internationale du travail. Il ne comprend pas l'efficacité économique du travail pour tous et du bien-être au travail. En disant aux uns de « travailler plus pour gagner plus » et en faisant peser sur les autres, ceux qui n'ont pas d'emploi, le soupçon de paresse et de fraude, il empêche la France de tirer parti de son principal atout, de son avantage concurrentiel le plus durable : son capital humain. Quel est ce projet de société où l'on ne pourrait pas s'en sortir dans le cadre de la durée légale du travail ? Ce qu'une vision archaïque ne cesse de disjoindre et d'opposer - la performance économique, la performance sociale, la performance écologique - je veux au contraire les lier solidement ensemble car c'est ainsi que la France se relèvera, misera sur les activités et les emplois de demain. L'économique d'un côté, le social de l'autre, l'écologique à part, cela ne marche pas, cela ne marche plus. Personne n'a jamais réussi à restaurer la compétitivité française, stimuler la créativité, l'inventivité, la réactivité économiques dont nous avons besoin en écrasant, en méprisant, en traitant mal les salariés producteurs de richesses. Ce modèle est inefficace, comme le prouve la situation actuelle, car l'avenir de la France, ce sont des productions à forte valeur ajoutée, des services de qualité donc des salariés qualifiés, motivés, engagés dans leur travail. Je veux, avec les PME construire une nouvelle donne qui leur permettra de réussir, de se développer, de conquérir les marchés. En un mot, de réconcilier la France avec les entreprises. Il faut un regard neuf sur l'économie du xxiè siècle et, pour tirer parti de nos atouts, de nouvelles règles du jeu . Il nous faut inventer et mettre en place les nouvelles sécurités qui ne seront pas l'ennemie mais la condition de la prise de risque et de l'agilité nécessaire dans la « grande transformation » du temps qui est le nôtre. L'Etat sera garant de ce nouveau compromis social et du nouveau dialogue qui, arrachant la France à l'archaïsme de ses relations de travail, fondera enfin dans notre pays une démocratie sociale facteur de réussite économique.
Le pays a besoin d'oxygène. Voilà pourquoi la nouvelle République que je veux bâtir avec tous repose sur quatre piliers à mes yeux indissociables : une démocratie représentative rééquilibrée, une démocratie participative vivante, une démocratie sociale forte d'un syndicalisme de masse et une démocratie territoriale où chaque échelon de la puissance publique sait, sans doublon, ce qu'il a à faire.
La voix de la France dans le monde a faibli. Sa place en Europe, comme inspiratrice de sa construction et garante d'un juste équilibre entre développement économique et progrès social, est contestée. Avec moi, elle retrouvera son rang et son influence, elle défendra ses intérêts sans crispation ni arrogance, en recherchant toujours des compromis dynamiques et les solutions les meilleures pour elle comme pour nos partenaires.
L'Europe est en panne institutionnelle et en panne d'idéal, en mal de projet. Où va l'Europe ? A quoi sert la construction européenne ? C'est parce que depuis trop longtemps nous n'avons pas su répondre à ces questions, qu'une majorité de nos concitoyens ont dit non il y a deux ans. Je ramènerai la France à la table de l'Europe, parce que c'est ensemble, avec tous nos partenaires, anciens et récents, que nous préparerons le plus efficacement l'avenir. Je veux une Europe de la connaissance, où les étudiants et les chercheurs échangent, travaillent ensemble, voyagent, coopèrent. Je veux une Europe de l'excellence écologique. Je veux une Europe qui comprenne que l'efficacité économique et le respect des salariés ne vont pas l'une sans l'autre. Je veux une Europe qui protège ses emplois, non pas de façon conservatrice et statique, mais en innovant, en se projetant dans l'avenir, en construisant les industries et les services de demain. Je veux une Europe où les salariés seront sécurisés, mieux formés, mieux rémunérés. Je veux enfin une Europe qui pèse dans la mondialisation, une Europe qui porte par ses actes un message de développement économique et humain, d'égalité entre les hommes et de paix entre les peuples. L'Europe doit se tourner vers l'Afrique pour l'aider à s'arracher à la pauvreté, vers l'Amérique latine où elle est attendue, vers l'Asie où sont les nouvelles grandes puissances économiques et politiques. Elle doit trouver un juste équilibre dans ses relations avec les Etats-Unis, pays ami et allié, et l'amener à renoncer à l'unilatéralisme et à accepter la nécessité du développement durable.
Cette France neuve, ce vote d'audace pour un changement serein mais garanti, c'est celui d'une France Présidente qui avance parce que chacun et chacune est appelé à donner le meilleur de soi-même.
訳者メモ:ロワイヤルの個人史を書いたブログで、学生時代ボーヴォワールを読んでフェミニズムそして政治を選んだ、という話を読みました。→ QUI EST SEGOLENE ROYAL ?
投稿情報: 2007-05-02 カテゴリー: trad/翻訳 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
今日はこれから所用のためブログ書けない。案件のテレビ討論は本日夜中にでもモニターして批評したい意向でございます。なお、ARTE がウェブで同時放映しますので仏国外の方も見てね。仏時間21時より。
Retransmission en direct du débat Royal/Sarkozy
現在放送中でありますが、こりゃロワイヤルの勝ちだわ、作戦でも内容でも。
*
翌日記:さて、放映終了後はウェブを一巡いたしまして、ル・モンド、リベなどに次々書き込まれるコメントを見ていたんですが、その時点ではロワイヤルがサルコジを封じた、あるいはロワイヤルに大統領のキャパシテがあるのに驚いた、といった意見が多数。これとは反対に、サルコジは具体策の点で有利とする意見が全体の約1/3だったと思う。
明けた翌朝木曜日のラジオ、ウェブプレスの反応は、一歩下がって冷静にコメントを出している。
以下は、猫屋の討論メモ
両者のいいまちがい、あるいはハンディキャップの教育に関わる論争など、具体的内容に関する話はまた後ほど。めちゃ笑ってしまったのは、サルコジが「Je serai pire」といい間違えた瞬間でしたね。「私は最悪になる」。なお、討論最後、セゴレンヌが大統領としてなす政策を現在形で語ったのに対して、サルコは一貫して「もし大統領になったら、+未来系」を多くの場合使っていました。なお、論争全文はリベで読めます。 La transcription exhaustive du débat
このテレビ討論は2千万人の視聴者が見ていたそうで、サッカー・ワールドカップに並ぶ高視聴率だそうだ。なおバイルーはサルコジには投票しないと木曜昼前に宣言してますね。
これから3日後、5月6日日曜の投票まで、文字どおりのバトル・ロワイヤルが展開されるわけです。セゴ戦士に勝利を!バスティーユですよバスティーユ。
投稿情報: 2007-05-02 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (15) | トラックバック (3)
投稿情報: 2007-05-02 カテゴリー: Musique | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
毎朝の花粉症に重ね、昨日は(ほぼ)一日中(リースリングなんぞ飲みながら)PCにかじりついてたせいでしょう、やたら頭が痛くて、プールで泳ぐ予定は断念。今頃はシャルレッティ競技場でセゴの集会+コンサートが始まったんじゃないかな。
以下夜に追記:-4の夜版猫屋報告は、アスピリン飲んだけどひどく眠いので簡単に、
・ルペンはジャンヌ・ダルク祭(FN 祭り)で、支援者に向かって「第二回選挙では無投票を」と呼びかけた。しかし、ルペン派(前回全投票数の10.44パーセント)の多くはサルコジに投票すると見られている。
猫屋の印象に残ったのは、はじめの言葉「Je vous salue (, peuple de France, libre, fier, insoumis et qui veut la victoire)」や、生い立ちを語った際に自分を「La fille de Lorraine」 と形容していたことなど。残念ながら猫屋の知識では、そんなに遠くまで解析できないわけですが、先にあげた引用の仕方と並行して、歴史的あるいは共同記憶に関するアルージョンが多くあったのだろうと推測する。サルコジの(非ロジックであっても)エモーションをかきたてる戦士論法とは極めて対照的だ。また対話・協調をテーマとし、たとえば母子家庭への補助や未亡人の年金問題などを語る場合にも、対象者と同じ高さに立っての話法をとっていた。管理・懲罰・努力・成功をキーワードとし、あるいは弱者を守るシェリフを(選挙戦おしまいになって)演じるサルコジの、縦型思考とはまったく逆のシェマをなしてる。
つまり、ネオ資本主義成功バンザイ失敗サヨウナラ縦型と、社会共同家族主義ライシテのマリア横型ね。
追記の追記:昨夜寝ながら考えたんですけど、今回の選挙戦での彼女独特のテンポ・ダウンした話し方も、計算されたとは言わないまでも、すくなくとも意識して用いられているように思う。(ひどい早口→ヴェイユ、など女性を含めた)他の政治家の話法とはまったくちがった語り方だ(ド・ゴール的ではあるな)。これ重要。なお、セゴには特別なヴォイス・トレーナーも(NSとはことなって)特定スピーチ・ライターもいないようです。チームと案を練って彼女自身が決定、という方式らしい。また、原稿を読む形が多いんだけど、原稿を離れアドリヴで話すときのセゴがもっとも説得力というか、なんだろう、habitée と形容する批評家もいるんだけど、要するに感動的。ここらへんは宗教説法専門家である博学チョロリン氏の意見も聞いてみたいところですね。NSとは対照的に、きわめて自己抑制の塊みたいなロワイヤルですが、社会党内選挙後のディスクールで、原稿なしで「母親である私は、ひとりの子供も置き去りにしたくない」という内容を話したときの例がそう。そういう時のロワイヤルは片手あるいは両手を挙げて、これも普段はやらないジェスチャーだから、よりインパクトが強くなるわけだ。Ségolàne, redoutable. 彼女の実名は Marie-Ségolène ですよ。**
ロワイヤル演説はウェブTV(セナ)で見ましたが、今日は休日なため、プレスもTV(20時ニュース見なかった)も大きい反応は見せていない。明日のTVでのサルコジ・ロワイヤル討論から、最後の駆け引き、そして6日日曜の選挙に向けて、メディアは一息ついているといった様相だ。(以上現地の猫屋がリポートしますた)
以下は今日のクリップ。
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セゴレンヌ・ロヤイヤル、女性と政治:フランスで女性参政権が確立されたのは世界でもかなり遅い1944年なんですね。現在でも仏議会で女性の占める割合は12.3パーセントで世界第88位だそうだ!詳しい数字を出しながらフランス政治と女性の関係を書いています。
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こちらは、1986年パリの5月運動を現在のフランス衰退の根源だと(40年たった今)言い切ったサルコジ候補に対する、ダニー・ザ・レッドの返答。インタヴューです。
下はサルコジ発言に関する記事。68年5月の隠された犠牲者
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笑っていいのかどうか悩んじゃうトピックですが、米国のケーブルTV用サルコ演説翻訳に "J'invite les Français à rallier mon ego surdimensionné"と訳してしまって職を失った在仏米国人翻訳者の話。ニコラ・サルコジの “超特大サイズエゴ” と翻訳者
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アンチ・サルコブログから拾ってきました。短いけど サルコの英語力(音声です)。
なお各候補のプライベートライフについての情報は、ちょこちょこコメント欄に書いてますのでよろしく(ググッテね)。
投稿情報: 2007-05-01 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (1)