この土曜に、まとまった時間が作れたので例外的に80ページほどイッキ読みいたしました。結局、読了に4ヵ月近くかかったことになる。嫌になって2・3週間放っておいたり、落ち着ける時間がなかったりで1・2ページしか進まないことも多々あったのですが、しかしこれだけの文字分量のある(翻訳ではない)仏書を短期間に読み終えたのは、26歳でフランス語を習い始めてから初めてな気がします。
以下、読み返さずに一読者として印象に残った点を列挙してみる。
- これは極めて21世紀的作品であるということ:文献(事実)とフィクションとフィールド・ワークの織り交ぜかた。強者と弱者、加害者と被害者の入り混じり・交換性。ビジュアル性。特に、歴史的人物、たとえばヒムラーやシュペーア・アイヒマンを、その人なり、態度まで主人公マクシミリアン(著者はインタヴューでは主人公のことをマックスと呼んでいる)との応対描写を通して彼らの“人間性”を書き出している。
- エロス:マックスという男の性的倒錯と狂気、そして“国家=党”の倒錯と狂気がふたつの対面する“鏡”となるように構成されている。エロスとタナトスの両義性もあるな。死がすでに生の中に含まれていると思う(仏教徒である)アタクシの考え方とは違うが。
- 歴史的事実:欧州におけるWW2となると、どうしてもノルマンディ上陸がはじめに頭に浮かんでくるのだが、実はあの戦いでの“自由側”勝利は、ソビエト陸軍の多くの死者に支えられていたわけである。ウクライナ戦・スターリングラード戦、そしてドイツ軍撤退、ベルリン崩壊等の描写には、“ルポルタージュ”要素があり、歴史および軍事オンチのアタクシが知らなかった事実であります。たとえば、語られることのないドイツサイドで戦った仏軍人のことも;攻撃されるベルリンの地下鉄構内の仏軍兵とか。
- 妄想:マックスがスナイパーに頭を打ちぬかれた後、南仏の母親宅を去るあたり、妹の家での隠遁、そこでは妄想と狂気と“小説内事実”がイリコ、あるいはパズル、もっと正確にいえばバイオロジカルな入り混じり方をしている。つまり、フィクションとルポルタージュと主人公の妄想とが混ざり合っている。
- ビューロクラシー/官僚主義:当時のドイツ国家機関の強さと弱さ。経済も含む絶対中央政、つまりナショナリズムをコアにした縦型社会が国家の一体性をもたらすわけなんだが、それは以降官僚たちが単なるイエス・マンになりきり、ヒューラに気に入られる策や情報のみを流すようになって、しだいに内部崩壊していく。同時に、上部官僚からカポ(ユダヤ人の下部管理者)のレベルにまで汚職・略奪が広まっていった。
- 文学的比較:最後近く、厳しい状況下を逃げていく箇所では、マックスはスタンダールの「パルムの僧院」を読み込むことで、恐怖や飢えを忘れようとする。友人の言語学者との対話や、捕らえられやがて処刑されるだろうソビエト仕官とのナチ思想とユダヤ国家そしてボルシェビキを比べる対話はドストエフスキーの長いそして熱に浮かされた対話を思い起こさせる。マックスを追う二人の検察官(警察官だったかも)は、サイズの違うデュポン&デュポン(タンタン)、ローレルとハーディ、あるいはカフカの「城」でのKを追う警察官たちにも似ている。エロティックな場面はバタイユとサド、そしてヴィスコンティ。残虐シーンや破壊された都市のシーンはどうだろう、その手の描写はSF以外ではあまり読んだことないのでわからない。戦時の動物園描写というのはボネガット・村上春樹・アーヴィングにも、たしかあった。なお、孤児たちの殺人集団は「バトル・ロワイヤル」か、村上龍の「半島を出でよ」。
- 結局のところ、情報担当SS仕官であるマックスは、ロシア兵やユダヤ人や脱走兵たちを自らの手で殺すことはない(後記:一回あったか、、)。ユダヤ人・共産党員・惨殺される住民たちへの対処をヒューマニズムな理由から(公表することはなくても)批判し続ける。だが、彼が実際に殺していく対象は、家族であり友人であり、そしてその理由は彼自身も知らない。
- スカトロ:極めて明晰なマックスは、ナチス・ドイツの行う残虐を冷静に観察し描写していく。同時に激しい嘔吐と下痢になやまされる。たぶん理性と、無残な死を生産性として計画する卑猥のパラドクスが彼を狂気に向かわせるのだろう。
- 音楽:章のタイトルがサラバンドとかメヌエットとかになっている。ピアノの話、ピアニスト、バッハの「フーガの技法」(だったか)のオルガン演奏とかも出てくる。
- Les Bienveillantes という言葉は、この行間の詰まった900ページを越す小説の、最後の一行になってやっと出てくる。「見守る人/保護者」という意味は、見た事実・生きた事実を書き残すために、結局007のごとくどんな危険にさらされても死なない、主人公マックスを生かした、その力のことと思う。
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さて、これからこの小説を読んでみようとする人へのアドヴァイスです。
辛いのは最初の180ページぐらい。ドイツ軍・政府内のヒエラルキーがドイツ語で書いてあるので、文末のリストはあるもののなかなか理解しがたい。でも、それも慣れます。
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しかし、バッハをはじめ偉大な音楽家とヘーゲルやゲーテの偉大な思想家を生んだドイツ(語圏)があんなことになったのは一体どうした訳なんだろう。また、この小説が示すのは、60年を過ぎて、“事実”を事実として距離をもって見ることができるようになった。そして、忘れないように書いておくことのできる世代が出てきた、ということでもあるだろう。
いや、また時間が経ってからこの本のことは書いて見ます。
しかし、しばらく日本語たたいてなかったから、かなり単語とか忘れている。やばい・やばい。
参考:ガリマール出版社の《 Les Bienveillantes 》 サイト、一部ですが読むことができます。