« 2005年4 月 | メイン | 2005年6 月 »
5月も半ばだというのに、何時までも寒い日が続きます。陽は照っていても風が冷たい。
*
アフリカの方でも、憧れのサマルカンドに近いウズベキスタンの方でもなにやら大変である。ばたばたと人が死んでいる。
イラクは言わずもがな。ライス国防長官がいくらマジに力説しても、またいくら該当兵を弾劾しても、アグレイブで起こった、そしてグアンタナモでも引き続き起こっているようなことも、まだまだ続くでしょうし、そのたびに米国はその信用を落としていく。
*
EU憲法批准仏国民投票は、いったんは“OUI”派と“NON”派が五分五分の所まで行きましたが、最新のポールでは否定派が54パーセントに盛り返した。この神経戦は29日直前まで続くのでしょう。このところ会った選挙権所有友人たち、ま、もともとは社会党を支持してた連中ですが、悲観のあまりでしょうか、“NON”に投票すると息巻いてました。反面、ホモセクシャル系、あるいは移民系で仏国籍を取った系や、国外に良く出る連中は、--まあどちらかと言うといい仕事を持ってるね--肯定派の傾向にあるようだ。これは単に私の周りのポールなんで、なんとも偏ってますが。おまけに他人が、こうした方がいいんじゃなーい、とか言うと逆に行きたがるんだね、どーも。困ってます。
2002年の大統領選時はまだ選挙権がなかったが、あの時のアンチ・ル・ペンで政治に目覚めた若い連中がどう投票するか。それと今のところやたらペシミスティックになってる私の友人のような人々、そんなにNONに確信があるわけでもないですから、簡単に転ぶ可能性はあります。単なるわがまま言ってみただけとか、、、ってことはないか。困るなあ。
*
過去ブログに書きました、ゴールデン・ウィークの旅人は無事に日本にお帰りになりました。そんなお年でもないのに、コーディネーターにとってはなかなか大変でした。日本から着いたばかりのパリの空港トイレに手提げ鞄を忘れる。忘れたことに気づいて15分後に取りに行ったらもうなかったわけで、これは盗難だとおっしゃってましたが。パリのメトロに1人で乗れない。乗れないからタクシーを捕まえようとするが、そういう時って空のタクシーは少ないし、パリは渋滞してると。それでラン・デ・ヴーには遅刻になってしまう。海外旅行者保険に加入してきたが、加入書は日本にお忘れてになった。それでどうなるかと思ったんですが、大事もなくすんだのでほっとしました。もっとある意味面白い話はたんとあるんですが、ここで打ち止め。
だいぶ前の話ですが、60歳をとっくに過ぎてからの初海外旅行で、英語も喋れん私の父親が案外自由にパリを歩き回ってたのは、たいしたもんだったんだなあ。今では長時間の飛行機がしんどくて来てくれませんけどね。
*
斎藤さんはどこに行ってしまったんでしょうか。イラクはどうなっちゃうんでしょうか。
これからもこの世界では、金持ちはもっともっと金持ちになって、貧民はもっとド貧民になるわけなんでしょうか。
そのうちパリも、まっ平らなグロバリ文化に呑まれて、無性格な灰色の街になっちゃうんでしょうか。
本来ならカンヌ映画祭が始まって、そのあとロラン・ギャロスがあって、ツール・ド・フランスとかパリ・ダッカーとかあって、革命記念日でそのままだーっとヴァカンス、、、と能天気な季節のはずが、なにやらお寒い。nekoyanagi はPCがダウンしそうなこともあり、ひたすら困っているばかりであります。
上の写真は本文と一切関係ありません。カンヌ映画祭から。ビジネス・ビジネス。
投稿情報: 2005-05-15 カテゴリー: Privé / 私事 | 個別ページ | コメント (5)
米軍が1000からなる海兵隊を中心に《マタドール》軍事オペレーションをシリア国境近くで展開しているイラクでは、11日水曜日だけで80人近い死者と約150人の負傷者が出た。4月末にイラク政権と暫定議会ができてからの死者は400人を越しており、被害者の多くは市民。
かつてサダム・フセインの根拠地だったティクリートでは、米軍ベース近郊で働くイラク人が集まるバス・ターミナルに爆薬を積んだ車が自爆、死者約50名。北部キルクーク近郊のハウィジャでは、イラク軍徴兵センター前に並んだ志願者/失業者の列に爆薬ベルトを腰に巻いた男が紛れ込み、起爆装置を作動、この時点での死者35名、負傷者54名。
英国政府は、この暴力の爆発を “絶望に駆られた行為”として非難している。
外国人に関して言えば、複数のオーストラリア人が人質となっている。また斎藤さんに関しての部分は以下。
《現在英国警備会社勤務の日本人前エリート兵士Akihiko Saito(44歳)は、イスラミスト反徒によって連れ去られた模様だと日本政府は発表した。》
以上はAFP記事から。
**
キューバ・グアンタナモ米軍基地では、アフガニスタン人被勾留者に対して、所有のコーランをトイレに捨てたり、女性職員に被勾留者を触れさせた上で、女性は生理中だと告げるといった宗教ハラスメントを行っている、といった内容の本を基地で働いていた通訳が出版。これを米ニューズ・ウィークが記事にした。アフガニスタンでは、この報道に逆鱗した市民が反米デモンストレーションを行う。ジャララバードでは、国連や政府施設が攻撃された。アフガン警察と米国軍が制圧にあたり、警察が群集に発砲。推定死者4名。
*
ワシントンでは、ライス国務長官の『リアリズムとコンプロマイズ』主義がネオコンの理想主義を押さえている感がある。しかしネオコンが消え去ったとは考えられない。退官を噂されるラムズフェルド防衛長官も近頃は威勢のいい発言を控えている。
中国とロシアと言う“新しい”役者相手の綱引きに加え、国内で、また共和党内からも批判の声が聞こえる。
*
イラン原子力問題がまたくすぶり出した。国連のFOOD FOR OIL 疑惑も続く。おまけにEU憲法否認の可能性まである。
我々の飛行機にはいったい、パイロットは乗っているのだろうか?
投稿情報: 2005-05-12 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (3)
今現在、イラクで拘束されていると見られる邦人、斎藤昭彦さんはフランス外人部隊/lésion étrangère に去年の末まで所属していたのですね。関連毎日記事
この一般ボランティアーから構成される部隊は、フランス国内でも、ちょっとした別扱いを受ける軍隊です。7月14日のパリ祭、正確に言うとフランス革命記念日ですが、その日の軍事パレードでも飛び切りの“花形”。仏テレビでも時々この特殊部隊をテーマにしたドキュメンタリーが放映される。訓練の内容はきわめて厳しい。(友人の弟が失恋の挙句に志願したけど3日で逃げてきました) ここで21年も勤め上げるというのは、凄いのひとことに尽きます。
通常、契約は5年。(女性の入隊可能性はまだだが)入隊に関しての当事者の国籍・過去は問われない。 後記:これは伝説で現在は詳しい過去調査が行われるそうです。入隊4年後には仏国籍が取れる。記事によると、現在のレジオネール、7600人のうち40人が邦人。キャリアー当初の基本給は1033ユーロ(2003年)で安いと思えますがこれに各種手当てがつき、衣食住は軍支給。
パリで任期一期終えた若い衆に会ったことがある。自分でさえ惚れ惚れするような、いい男でした。周りの仏女性も振り返っていたね。ただ、あくまで寡黙で、外人部隊ではフランス語は上達しないね、と無責任に思った記憶がある。彼に「外人部隊はやっぱ、きついでしょう。」と聞いたら「日本人の俺は大丈夫です。普通のフランス人には無理だけどね。」と言う答えが返ってきた。
同時に、外人部隊ベテランの社会復帰はきわめて難しいようです。世俗ではどうしても浮いてしまう。世界中の外人部隊退役者のために外人部隊老人ホームと言うのがあるくらいで、一般職にも母国にもなじめなくなるといった話はよく聞きます。(現役期間のオフ時のもてようも大変なようですが。)
斎藤さんが無地に帰ってくるといい。
必ずしも日本にと言うことではなく、生きてる人間の世界に留まって欲しいと思います。
投稿情報: 2005-05-11 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (6)
フランスとドイツの高校で共通の歴史教科書を使うプロジェクトが進められています。この件に関するヌーベル・オプセルバトールの2記事からその概要をお伝えします。(って、なんかメディさんのイントロみたいだな。でも、メディさんとは違って荒っぽく略訳・意訳ですが。)
*
記事によると、2007年の新学期(9月)から高校の3年間、フランスとドイツの高校生は同じ教科書を使って歴史を学ぶことができるわけです。フランスとドイツの2出版社が仏-独の共通教科書を現実化する。もちろん、この仏独の歴史学者が共同で作る教科書を、実際に使うかどうかの選択は各教師の自由で、検定リスト上の別の教材を選ぶこともできます。
当プロジェクトは、2003年のエリゼ協定40周年をきっかけに始められた。エリゼ協定とは独仏両国コオペレーションの土台となったもので、この延長が欧州統合だ。選ばれた出版社はパリのナタン/Nathan とライプティッグのエルンスト・クレット/Ernst Klettで、一冊25ユーロ/約3500円の予定。出版社は販売冊数についての予想は控えているが、一年目の目的はまず一般に知られること、と言う。
当初この教科書が対象とするのは、ヨーロッパ・クラス(カリキュラム・オプションの“インターナショナル・ハイスクール”)のバイリンガル・クラス、あるいは外国のフランス高校/リセ、と語るのはフランス教育相のフランソワ・フィヨン(写真)。またフィヨン相は、共通の教科書を使用する目的について、“ヨーロッパ史について、共通なヴィジョンを持つことは決定的な一歩だ。”とベルリンでの記者会見で語っている。
教科書が扱う内容は以下の通り。
最終年(高校3年にあたる):1945年以降の近代史。
プルミエ年(2年):19世紀、第一および第二次世界大戦。
スゴンド年(1年):古代と中世、近代。
また教科書全体の3/4は共通、あとの1/4は自国の制作部となる。
コンセプト構築には2国から選ばれた8人の歴史学者が当たり直接“一冊”の教科書を共同で作り出し、出来上がったモデルを後から訳すという作業はしない。このプロジェクトの責任者であるドイツ歴史学者レイニエ・リーメンシュナイダー/Rainer Riemenschneiderは “これは、若者に他者がどう考えているのか理解させることだ。”と指摘している。
**
参考にした記事
Un manuel d'histoire franco-allemand
Berlin et Paris appuieront l'entrée d'Ancara dans l'EU
本文に直接の関係はないが、参考:清水正義さん/ドイツ近代史研究者によるドイツ戦争責任に関する文章 異ならない悲劇 日本とドイツ
たまたまTVをつけてみたら、アルテのヨーロッパ・フォーラムと言う番組で、フランスの社会学者アラン・トゥレンヌ/Alain Touraine が 『ヨーロッパのどこでもいいが、誰かに仕事と個人生活のどちらが大切か、と質問しても仕事が一番大切だとか、私生活が一番大切だとか答える人間はいない。どちらも同じように大切だ。どちらが、と聞く質問自体が間違っている。』 とインタヴュアーに答えていた。もちろん、これはリベラリズム(フランスではこれはウルトラリベラリズム/市場原理主義のこと)と社会民主主義の対立をめぐる、つまりEU憲法批判に対する批判の発言である。
そういやそうだ。まったくそうだ。質問の仕方が間違っているのだ、大体が。
フランス対日本でもいい。フランス対アメリカ合衆国、でもいいし、日本対中国でもいい。資本主義あるいは自由主義対共産主義でもいい。自由主義対テロリズムでも同じだ。もちろん、保守対リベラルというちょっと前にはやった論法でもいい。
全部これらの対立シェーマ/図式は同じ構造をしている。そしてその構造自体に嘘は仕掛けられている。
なんでこういったレトリックに今の人間は簡単にはまってしまうのか?
教育のせいだし、回答をすぐ出さないとおいていかれてしまう社会のあり方のせいだろう。自分には他の答えは見つからない。
もちろん二元論が、あるいはテーゼ・アンチテーゼ→アウフヘーベンが有効な事例だってちゃんとあるだろう。しかしそれは個個の対象物の限定・規定がはっきりしている、そして判断をおこなう主体が判断能力を有しているという前提があって成立するだろう。それも、以上の推敲が間違った場合にはその間違いを指摘・訂正する可能性を含まねばならないだろう。これは蛇足だが。
元に戻って、現在の日々日常に巣食っている間違った対立シェーマの例をあげてみる。
第2次大戦欧州戦線終結60周年に欧州巡業しているブッシュ米大統領がラトビアを訪れ以下のような内容の演説をしている。(以下は記事からの抜粋意訳)
西側諸国にとって第二次大戦終了は平和の訪れだった。しかしバルカン諸国にとっては、共産主義の占領を意味した。アメリカ人は、共産主義者によるバルカンの占領と圧制を決して忘れないだろう。我々はあなた方の辛い歴史を理解する。
バルカンは恐怖政治から、また圧制政治から脱出し自由社会となろうとする国々にとってのモデルである。(注、バルカン三国は現在、EU そして OTAN のメンバーである)クーリエ・インターナショナルより/参考:ルモンド関連記事
旧ソビエト圏の歴史を私は知らない。けれどベルリンを解放したのがソビエト軍だということは知っている。ヨーロッパ解放は対ナチスであったことも知っている。それに、何度も映画にもなり、毎年話題になるノルマンディー上陸だけが欧州における第二次世界大戦ではないことも事実だ。米英軍によるドレスデン爆撃/旧東ドイツも、ドイツ軍によるレニングラード包囲戦/現ペテルスブルグも(注:関連過去ブログ)、第二次大戦の一部であり、ヨーロッパの過去である。廃墟と化したベルリンがふたつに分割された、これもヨーロッパの歴史の一部であり、やっと戦後が終わった感のある今、この歴史が見直されようとしているのだ。
この時点で、対プーチンというコンテキストは理解できても、終戦60年式典に《共産主義との戦い》を持ち出す大統領の(あるいはこのスピーチを用意しただろうライス国務長官の)歴史オンチぶり、もしくは欧州の歴史解釈力過小評価は、指摘される価値があるだろう。そして、欧米とひとことでくくる無理が米大統領には読めていない。
投稿情報: 2005-05-08 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (3)
なんだかこのごろアメリカ合衆国がヘンである。というか、だいぶ疲弊しているように大西洋の反対側からは見える。
一時ウォールストリート暴落を懸念して株が売られたが、今のところ大きな動きはないし、対ユーロのドルも順調に下がってはいるが暴落には至っていない。とはいってもユーロ導入の際(1999年)には1ドル=1.3ユーロぐらいだったはずで、それを考えると現在の1ドル=0.78ユーロは雲泥の差。ドルは6年で約40パーセントもの価値を失っている。これが望まれたものであるのか、神様が決めたのかは別として、ユーロ圏から米国への輸出が打撃を受けたのは事実であるな。
もちろん、下がり続けるドルにペッグする人民元も下がっており、結果トルコやモロッコ、あるいはバングラデッシュからヨーロッパに入ってきていた衣類・雑貨製品も今は中国産が占めつつある。こちらでの中国ブームも、対日デモ報道のあたりから中国脅威説に変わり、それが今のEU憲法批准拒否組の欧州産業空洞説までいっきに繋がった。
メディアも金魚のフン的世論も忘れたかったイラクがひどいことになっている--6日の死者、推定56名。
なんだかんだ言いながらも選挙戦でブレアはイラクに関する嘘についてかなり叩かれた。アメリカにとってもイラク戦争はツマヅキの石だろう。ツマヅク原因はそれ以前に用意されていた。それも確かだが、ここまで危機管理を危機増大にもってくのも大変な努力だったと言うべきか。あの国は大きくなりすぎた。
その大きくなりすぎた国を小さくなりすぎた、あるいは小さな頭脳の政府、もしくは軍産オイル企業派遣組政府がガバメントし、それを支持するのは宗教団体/TVエバンジリストとか、だからね。もういっちょ戦争始めるエネルギーがあれば別だが、そうでもなければ現政権への支持率も下がる。ボロが出てくる。
アジアの胡散臭いナショナリズム勃興も、結局アメリカ様のコントロールがしだいに力を失っていく過程の避けられない事象であるかも知れぬ。アメリカは対中国・対台湾・対日本・対韓国・対北朝鮮etc. の個別外交はやってきた。しかし対アジアという外交一貫性は決して建設しなかった。将来脅威となりうる国々は互いに反発させ、消耗させるというのは米国の古典的外交である(いつか書いたが欧州連合結成に米国が賛同したのは、対ソ連のためであった)。
これは当ブログではない別の場所に以前書き込んだが、911を境に世界中が米国の動きを追った。過去も外交歴史も内政も、実際の国民生活実情も。同時にアメリカン・ドリームのダーク・サイドもカミング・アウトして、今でもアメリカに(勝手に)憧れてるのは旧共産圏か一部のブラックアフリカぐらいか。南米はもうとっくに目が覚めた。欧州は内部分裂としても、アラブ圏やイランもご覧の通り。
米議会は5日、違法滞在者へのID規制を強める法を採択した。関連ニューヨークタイムス・エディトリアル。
目が覚めたら、とんでもない二日酔いだったわけだ。
(それでも生きてるだけたいしたもんだが)
投稿情報: 2005-05-07 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (2)
どーせ選挙権もない移民だし、内容に突っ込み甲斐はあるけどなんだかんだ言ってもEU憲法は批准されるだろうし、だいたいあんな膨大な資料は俺には読みきれんよ、、、ははは。とシカトを決め込んでいたEU憲法批准フランス国民投票だったんですが、投票まであと4週間弱という時点でかなりこんぐらかって来た。やばいですよ、これは。
昨日(5月1日)はメイデイでしたが、何故か“ジャンヌ・ダルク”の日でもあるそうで、仏極右の生き残りル・ペンが仰々しくリボリ通りにあるジャンヌ・ダルク像に詣でて、オペラ座前でXXXトークをする日でしたね。なんでル・ペンがここで出てくるのかと言うと、彼はEU憲法批准国民投票のNON/否定派のひとりだからです。NON支持者/パルティザンにあと誰がいるかと言うと、
ド・ヴィリエ:UMP(今はMPFの人)その実、王党派。カトリック右派で子沢山。
シュベンヌモン:もとミッテラン政権で防衛大臣だったが、第一次湾岸戦争で米国と同盟したミッテランに反対し辞任。社会党を去り独自の党を結成。社会主義ナショナリスト(と実におフランスな人物)。 胆石だったかの手術中にコーマ状態に陥るが、奇跡的に生還した奇跡の人だが、以来なんとなく神がかっていると見るのは私の偏見か。
オリヴィエ・ブザンスノー:郵便配達のお兄さん。若い。アナーキスト。
アルレット・ラギーエ:“労働者の皆さん”で有名な、クレディ・リヨネという銀行に勤めるおばさん。独身。革命に一生をささげたアナーキスト。大統領選の常連候補。
ファビウス:ミッテランの下で第五共和制でもっとも若い首相をつとめた男。頭脳抜群だが血友病薬エイズ感染問題で躓く。たぶんEU憲法で、もたつく社会党内に新しい流れを作ろうとしたんだろうが失敗に終わってる。
(翌朝追記 すっかりフランス共産党のこと忘れてました。ああ。新聞 Humanité は評価できますし、党首のジョルジュ・マリ・ビュッフェも偉い人なんですよ、です。仏語ですけどユマ(ニテ)紙上でNON支持派理論が読めますです、はい。)
(翌々朝追記 ジョゼ・ボベを忘れておった。アルター・モンディアリスト/オルター・グロバリの農民部隊とアタックもNON推進派ですが。このところ影が薄い。)
と、以上はきわめてポリティカリー・コレクトじゃない、とっても個人的見方。“面白くなくちゃ政治じゃない”という意味でとても面白いフランス政治を楽しむツールとしての個人的見方なわけです。ん。
いやいや、“面白い”は“愉快”ではなく“興味深い”ということだよ、と付け加えさせてください。“愉快な政治”の代表は合衆国のブッシュ大統領でしょう。ただ、関係なく攻撃されて殺された某国国民や関係なく攻撃させられて死んだ各国兵士やジャーナリストのことを考えれば、この“愉快な”政治は罪だ、と言えると思います。ところで、ボルトン国連米国大使任命が米国内でもめてるらしいですが、これは当然。現東京都知事を中国・韓国・北朝鮮・台湾・日本からなる極東5国会議に日本代表として送るみたいなもんでしょが、これ。
このブログを訪れるハピィー・フューな皆様は御存知かと思いますが、カナル・アンシェネとならぶフランスメディアのビジュー/宝のひとつ、とてもポリティカリー・アンコレクトなカナル・プリュスのギニョル・デ・アンフォはここで見られます(video をクリックのこと)。フランスの子供たちはこれを見て政治感覚を養うと言うわけでして。あと関係ないけど、今ティーンの間で大人気の《カーームロット/KAAMELOTT》、円卓の騎士パロディ版はここ、英語バージョンないけど一見の価値あり。専業の戦争はそっちのけで、野営での食事問題とか、奥さん・愛人問題とかを延々と論争する円卓の騎士“政治板”と言えなくもない、こともないか。新星のごとく現れた36歳の鬼才 Alexsandre ASTIER が脚本・演出・主演・音楽まで全部やってるというミニ・シリーズで、今は他国への輸出も検討中だそうです。
なお、上の写真は4月28日にTV、FR2 でEU憲法擁護を語ったジョスパン元社会党首。わたしは見なかったのですが、友人たちによるとなかなか説得力のあるプレゼンテーションだったそうです。以下は発言内容から。
『反ヨーロッパというロジックがあるとしても、ヨーロッパ肯定のNONには一貫性がない。』
『2004年に表明された抗議(訳者注:地方選挙での敗北後もシラクは首相を変えなかった)が考慮されなかったから、彼ら(選挙民)は抗議を表明し制裁を加えたいのだ。』
『けれど、EU憲法否認投票は、フランスに対する、またヨーロッパに対する制裁であって、現政権に対する制裁ではありえない。』
なおジョスパンに先立ち、シラク大統領がTVでEU憲法擁護をした翌日アンケートでは否定派が5ポイントアップしたとか。おいおい。