Neil Young HEAT OF GOLD を昨日見てきた。パリでも(この水曜封切りされた)この映画を上映してるのはレアールのUGCだけ。大型コンプレックス内の小さな会場だが土曜の午後だったせいかほぼ満杯。さすがにシニアが多いが、中堅30台および20台ロック・オタク風もいて、ひとつ向こう隣の兄さんもしっかり歌ってたな(アタクシもです、はは)。
ジョナサン・デミーが監督するこの映画はナッシュビルのカントリーの殿堂、Ryman Auditorium で行われた2005年のコンサート風景。第一部は新アルバムPrairie Wind/牧場の風からのフィーチャー、第二部はハーヴェストとハーヴェスト・ムーンからの選曲だ。
脳溢血を患い、コンサート2ヶ月前に父親をなくしたヤングが、病気のことを冒頭で語る。コンサート・ホールに向かう車の中の大柄な中年カナダ男と、アタクシの頭の中にある大昔のニール・ヤングの姿が重ならない。デミーのカメラはステージで歌うヤングの顔を大写しする。これははっきり言って心が痛むわけだ。なぜならヤングが経てきた年月はまた、アタクシが生きてきた時間でもあるわけであります。
ナッシュビルに帰って来たニール・ヤングは旧知のカントリー・プレイヤーたちと極めてリラックスして歌っている。かつてハンク・ウィリアムスが使ったアコースティック・ギターを操るヤングのテクニックと、輝きをまったく失っていないあの声と、トシをとってしまった彼の姿は、なにやら眩暈にも似た感覚を与える。
圧巻は第二部で歌われる、ハート・オブ・ゴールド、ニードル・ダウン、そしてオールド・マンなどハーヴェストからの曲目。特にオールド・マンでのフィードルとスティールギターつきアレンジは完璧というしかない。
ここでアタクシは気づくわけだ。ニール・ヤングという、大きな身体と透明な声とヴュルネガビリティを持ったこのカナダの男は、父親の死を、自分の病を、そして老いていく自分の身体を、そのまま受け入れたんだ。そうやって自分の娘のことをしゃべり、One of these days やYou and me そしてハーヴェスト・ムーンを歌う。映画の最後に出るクレジットには“For Daddy” とあった。(これがヤング自身の言葉とすると)、ニール・ヤングは父親と(そしてたぶん自分自身と)和解したんだね。
--だが、Alabama や Tonight the Night のエレクトロなニール・ヤングはここに見えない。いや、彼がハープ(ハーモニカ)を吹くとき、垣間見ることが出来る。
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昨日の夜は、ネットで三島由紀夫が占拠中の安田行動で行った“講演”ヴィデオを観た。これは細部でしかないけれど、“外国に出てみれば、自分は日本人であると気づかざるを得ない”といった内容の発言をしている。胴が長くて、とか形容しているわけなんだが、実は“三島由紀夫はチンチクリンで胴が長い”と認識してるのは三島自身だ、とアタクシは思う。(実際にはこの時期の欧米では、ミシマはすでに日本近代文学を背負ってたつ作家として認識されていたと思う。)三島はあくまで“色が白くて、足が長いはずの”ヨーロピアンを“他者”と設定して自己を“日本人”であるという。これが三島の不幸であり、これが三島に死を選らばさせた大きな要因であっただろうと、アタクシは考えている。
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ニール・ヤングは今でもカナダのランチで生活している。ふと、私達に必要なのは土・自然と身体を取り戻すことなのだ、ともう一度確認した。さて、これは1971年ものと思われる OLD MAN。感動モノ。なお、YouTubeコネクションがうまくいかないときはこちらから。なお参考として、ニール・ヤングの個人サイト Living With War Today/LWW
後記:YuouTube どうにも調子が悪いので削除しました、上のリンクで見てください。