昨日発行日付24日ル・モンドから、社会党のファビウス元首相による文章です。大統領選キャンペーンの一部としても、サルコジの 『移民を叩いて極右支持票をゲット作戦』 を正論で批判しています。
不安定性(プレキャリテ):若年層のあとは外国人!ロラン・ファビウス
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昨日発行日付24日ル・モンドから、社会党のファビウス元首相による文章です。大統領選キャンペーンの一部としても、サルコジの 『移民を叩いて極右支持票をゲット作戦』 を正論で批判しています。
不安定性(プレキャリテ):若年層のあとは外国人!ロラン・ファビウス
投稿情報: 2006-04-25 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
おかげさまで、H氏から宿題としていただきました『国家の品格』読書感想文製作という課題は、H氏が酔っ払った勢いでの発言であった可能性もあり、と言いますのもオフ以来何回か顔をあわせる機会はあったものの、肝心の原本の(貸し出し)オファーがない。ほっと一息。
しかしブック・ジャンキー renqing 氏のブログで氏はシリーズで該当本批評を、レフェランスつきで大作書いてる。感心していたらデカルト系 愛と苦悩の日記 でもかなり本格的批判。
原本が手に入らない人間にも、そしてたとえ原本には読む価値がないとしても、批判のほうは読む価値ありと判断いたします。すぐれた日本読みになってる。
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こっちはフランス国家の品格、というか反品格。
電話番号調べ民営化で、関連アドバタイジングが環境汚染状態であります。これまでは、ネット・TV・壁広告ぐらいだったのですが、なんと街頭キャンペーンまで始まった。20社以上での競争らしいですが、社別料金差は誰にも分かっていないらしい。まあこれだけキャンペーンはったら、国営フランステレコムより高くつくのでしょうな。
ああ、光の国フランス・洗練の国フランスであります。日曜にも営業する大型店もスタバもどんどん増えているわけで、ここはどこ・私は誰?な今日この頃。
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翌日後記:ほぼ入眠状態で書いたこのエントリー、ネタ本タイトルが間違っておりました。renqing氏のありがたいご指摘で訂正できましたことを、ここにご報告いたしまつる。
投稿情報: 2006-04-25 カテゴリー: Livre / 本 | 個別ページ | コメント (17) | トラックバック (2)
投稿情報: 2006-04-25 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
同様な事実関係と信仰の識別は西洋思考の基礎である。アリストテレスがすでに、一方に肯定あるいは否定に行き着くための議論対象となりえるような指示的ディスクールを、他方に祈りを分けている。後者(祈り)は議論の対象とはならない。なぜなら祈りは異議を唱えず、嘆願し、誓い、決意し;あるひとつの情報(information)を目指すのではなく、あるひとつの結果(performance)を目指すのであるからだ。
これは3月3日のル・モンド記事での(猫屋拙訳)グリュックスマンの言葉ですが、このところの日本政治をめぐる動きから今朝、ふと(少なくとも)戦後日本では、たとえば『民主主義』 -- あるいは『国際主義=国連至上主義』 -- が政治システムとしてではなく信ずるべきひとつの『信仰』として機能してしまったのではないか、と考えたわけなのであります。
そうだと仮定すると、その信仰が例外的経済発展のあった時期では、前倒しの(あるいは米国に預けた)信仰としての民主主義は、大きな矛盾を起こさずにすんだ。ところが経済がパンクし、親方米国での『民主主義』自体も機能しなくなった段階で、信仰心の大きな亀裂が出てきた。これを埋めようとするのがある意味での先祖帰り、ナショナリズムの復帰なんじゃないか。
昨日は映画 V for Vendetta を観たんですが、上の考察になった。以下は時間があるとき、できればジジェク風に、そしてできれば吉本も絡めながら続けてみる、つもり。(無理か:まあひとまず投稿)
投稿情報: 2006-04-22 カテゴリー: Japon | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
自然探検ものTV番組《ウシュアイア》製作主演で知られるニコラ・ユロとエネルギー専門家ジョンコヴィチのル・モンドによって書かれた記事です。原油価格(NYブレント)は2002年の値段の三倍まであがりました(21日で75ドル)。原油とそのデリヴァティフ製品に依存する文化からどう脱出できるのか、これが問題なわけです。
4月18日付けル・モンド、視点ページから、
“原油の終焉”を準備するべきだ、ニコラ・ユロ とジャン-マルク・ジャンコヴィッチ
すでに始まっているかもしれないアフター原油時代に関する声高な発言があっても、気象変化が直面する脅威であるとしても、私達の日常には何の変化も見られない。
人類が2005年に消費した黒い黄金(訳注:オイル)・天然ガス・石炭の量は過去最大のものだったし、20世紀の地球平均温度上昇の結果、2003年のフランスでは、私達は数日を除いて眠れない夏を経験した。最初の確信は数学に由来するのだが、結論が気に食わないと言って- 残念ながら!- 無効化できるものではない:もともとのストックが枯渇した場合、原油供給は当初の最高量のあとは次第に減少する。そしてこの結論は石炭と天然ガスにもあてはまる。それでは不可避である原油の減少はいつ始まるのか?(これはメディアティックな表現、『原油の終焉』とは別物である。) 石油業界の答えは - 基本情報を持っているのは彼らだけだ - 2010年から2025年の間を行ったり来たりする。天然ガスと石炭に依存したとしても、化石燃料の数十年を越す消費量増大は数学的に不可能なのだ。
第二の確信は天候に関するものだ:今から二万年前、最後の氷河期最中でも地球気温平均は現在と比べ5℃しか違わない。したがって、一あるいは二世紀という(訳注:短期での)幾度かの地球平均温上昇は気候ショックであって、文字通りに想像を超える結果が、つまり具体的には想定しえない現象をもたらすだろう。実際に、このような急激な気温変化が数十億の定住民人口に影響を及ぼすケースは、大昔にも近過去にも前例がない。特に、気候システムの慣性と大気中CO2の恒常性のために、人類のCO2排出が減少し始めたとしても大気温度上昇は数世紀のあいだ継続する。
にもかかわらず、私達はエネルギーが永遠に豊富で安価であり続けるという危険な幻想を持って生活している。だから(原油の)値段上昇の話が出ると、すぐさまキチガイ沙汰だと声があがるのも当然なのだ!ところで、エネルギー価格の質問自体がすでに回答を含んでいる:本来すべては同じなのだが、その消費が恒常的に上昇を期待される有限リソース価格は、高騰(原文:exploser)に至らざるを得ない。
市場価格が『可能な限り』低く抑えられるとしても、これは良いニュースではないだろう : この場合、私達はCO2を排出しまくり、結果私達の子供(あるいは孫)たちは恐ろしい額の気候領収書を遺産として受け取ることになる。おまけに、だいたい祭りにも参加できなかった彼らには問題に対処するためのエネルギーもさして残ってはいないだろう。同時に、有効な核やリサイクル可能エネルギーも、数十年間で原油・天然ガス・石炭の代替とはなりえないだろう:節食療法(原文:régime)を始めるべき時なのだ。
12世紀の『フランス中間層』に比べ、工業化近代人(原文:l'homo industrialis)はインド富豪のような生活を送っている:最低賃金労働者であろうと学生であろうと退職者であろうと、自動車・家電・セントラルヒーティング・航空機・洗濯機・冷凍庫などと呼ばれる、エネルギー値にして100人の召使を絶え間なく使っている。発生以来すでに数千の世代を生きてきたこの種のメンバーとして、祖父母の誕生時以来実現された感嘆すべき飛躍の度合いと、同時にこの期間人間が環境に対して与えるストレスのファクターが一世紀の間に100倍になったことを、私達はいまだに理解していない。
この前借生活は長続きしないだろうし、その事実を単なる選挙民から - 偽の - 低価格は未来にとっての天の恵みだと考えているらしいミスター・バロッソ(訳注:欧州委員長)まで、そろそろ気がついてもいい頃だ。
何をすべきなのか? 最も恐るべき問題から開放されたと私達が考える時点まで無期限に、すぐさますべての化石エネルギー価格を毎年5パーセントから10パーセント引き上げるべきだ。この累進法は、各消費者と各生産者が、いづれにしてもいつか突然現実化するはずの過剰価格を『予見』しつつ準備することを可能にし、とんでもないショック防止にもなる。
だいたい、1973年のような不況と失業をもたらす石油ショックは国家の明確な衰弱に通じるが、税とは失業も恐慌も作り出さない単純な国家リサイクルなのだ。
過度の失業率は民主主義にとって好ましいものではない:1929年の恐慌が、結果としてヨーロッパ各地での独裁者台頭をもたらしたことを思い出すべきだろうか? そして、絶え間ない成長というコンテキストにあった過去60年間は問題がなかったのだから、私達には独裁政治に対する無期限の免疫があると信じてもいいものだろうか? ことが起こった時、最初に被害を受ける 『慎ましいものたち』 が、逆説的だがまず最初に、私達を脅かすカオスよりは公正な価格上昇を要求すべきなのだ!
税の上昇は国家収入を増やす:いいことではないだろうか。 国家は、私達が必要とする再建設に資金投下できるだろう。エネルギー税は、企業にとって最も重要な安定というコンテキストを与え、結果として企業自体を保護するだろう。少なくとも問題の本質さえ理解すれば、問題は『税をかけるべきか?』ではなく、『どうやったら自分が最初の犠牲者とならないような税制とはなにか?』と考える企業人は多いはずだ。
やってくるだろう災難を避けるために、市民としての誰もが『何か』をすべきだと要求している。消費者としての同じ人物には財布を開く準備はないのだろうか? 経済史は、結局それが私達を美徳に向かわせる代価だと示している。
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ニコラ・ユロ/Nicolas Hulot はTV番組 "Ushuaïa Nature"のプロデューサ。
ジャン-マルク・ジャンコヴィッチは経済コンサルタント。
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4月23日追記:ニコラ・ユロはテレビ局TF1で、1987年以来世界での自然を紹介する番組を作り続け、同時にエコロジストとしての活動や仏政府への働きかけもしている人。参考:Wikipedia 仏語版 ニコラ・ユロ基金サイト
シラクに近い人物としても知られているユロの文を読むと、これはTVメディア人の語法かな、とも思う。けれど、仏自動車産業を初めとするスポンサーの意向、あるいは原子力発電開発に力を入れる政府の意向に影響されやすいだろうTVメディアからこういう発言が出てくること自体が、実際のエコロジー問題の重さを感じさせもしますし、最近の物売りマーケティング作法に対抗するには、このぐらい強い書き方も必要なんだろうとも思える。(でも、彼がここで提出するプランって“統制経済”だと思うんですが、やっぱそこに行くのか。)
関連ル・モンド記事としては経済欄の4月21日記事、
原油価格が高止まりする五つの理由
この五つの理由とは、重要供給関係の緊張、油田開発資金投下額減少、ジオポリティック要因、スペキュレーション、ハリケーンリスクが上げられています。また最近、原油の絶対埋蔵量が信じられているものより大幅に少ない、といった『専門家』の本が刊行されたりしている。確かに、近年のオイル高からメジャーが眼を皿のようにして探しているはずなのに大型油田発見のニュースにはお目にかかってない。OPECも諸国からの産出量増大リクエストに『不可能だ』と答えているわけです。また一般には知られていないかもしれませんが、記事にあるように原油も先物の一種でストック(株)と同じテクでデイ・トレードの対象です。
もうひとつの記事は、これも大問題のアフリカがらみ原油ばなし。4月17日海外ページから、
原油価格はまたしても新記録、しかしアフリカ開発への支援とはならず
アンゴラ、チャド、スーダン、ナイジェリアなど油田を持つ国々が同時に汚職が最も行われている国であり、また市民戦争の起こっている地であったりもする。その現状に関する記事です。
植民地主義者と非難されるフランスはもちろんですが、米国・中国も原油確保をめぐってこの大陸でも激しい競争をしているんですね。映画《シリアナ》で、クルーニーが展開したパズルを想起します。
同時に、チェルノビル核悲劇から20年ということで、ここでは紹介しませんが関連TV番組やプレス記事も多い。不完全な動物である人間が核というまだ未知の部分が多すぎる物質を管理しきれるのかどうか、各国政府は核に関する情報をすべて公開しているのかいないのか。核テロはありえるのか、否か。など疑問は多すぎるわけですが、喉から手が出そうなほどエネルギーの欲しい各国政府や企業にすべてを預けるには危険すぎる主題だと思います。チェルノビル事件直後、フランス政府が出した見解:汚染された雲はフランス国土を避けた、という大嘘は忘れてはいないし、モスクワ政府は汚染がモスクワまで流れる危険を避けるために、人工的に雲を発生させ雨を降らし地域人口が被害を受けた、という話をチェルノビルではしているようです。
オイル・ビジネスが国家中枢に食い込んでいる米国のブッシュ政権は、赴任当初から世界原油管理を通しての世界管理を考えていたのだと思いますが、その結 果がバリル75ドルだ。(陰謀論に組みする意向はありませんが)米国の体現する、経済理論がすべてに先立つ社会観に対して、別のモデルを欧州が示す可能性 をやはり信じたいところです。
昨日より今日、今日より明日がより《暮らしやすい》世界、と簡単に言い切って、そのためにはナントカパーセントの経済成長が必要だ、、、の《暮らしやすい》とはなんだろう、と考え直す必要はあり、なんですよ。ただね、いい職をすでに持っていたりして“客観的”にあしたの地球を考えられる人と、食べるためにはナンデモします、の人の間の壁も存在しちゃうわけです。世界はムズカシイ。
***
直接の関係はないリンク:トラカレさん経由の田中康夫・浅田彰の対談「不寛容」が蔓延する時代←一部でフランス状況が語られています。
投稿情報: 2006-04-21 カテゴリー: Economics/経済, Monde / 世界, trad/翻訳 | 個別ページ | コメント (11) | トラックバック (0)
“原油の終焉”を準備すべきだ として訳出別エントリといたしました。
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蒙昧主義のロリエ(栄光)
Jean Baubérot, directeur d'études à l'EPHE ;
Bruno Etienne, professeur émérite ;
Franck Fregosi, chargé de recherche au CNRS ;
Vincent Geisser, chargé de recherche au CNRS ;
Raphaël Liogier, professeur des universités.
以
上五人の大学人が、フランス議会賞を受賞したCaroline Fourest のLa Tentation obscurantiste,(
Grasset,
2005)というエッセイを批評しています。イスラム、ムスリムそしてイスラミズムの混同は対象に対する無知、あるいは知ることの拒否から来るのだ、とい
うこと。最後近くに、
Au Moyen Age, l'Eglise refusait au chercheur le droit de disséquer le
corps humain, de relativiser son fonctionnement : elle imposait la
méconnaissance. とある。中世においては、教会が死体解剖を拒否したことで身体機能の理解が妨げられた:この結果として無知が蔓延した
-- とでも訳しますか。光(啓蒙)vs蒙昧(反啓蒙)というフランスでの論争の一部ですね。
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チャドという罠
ル・モンド社説。フランス政府がチャドにおける立場を明確化しないかぎり、コートジボワールやさらにはルアンダでのように『罠』にはまってしまうだろうという趣旨。本来であればEU枠での外交が期待されるわけですが、残念ながらEUにはまだその力がない。また『権力の消滅』が最も暴力的混乱を招く、という懸念から現政権を支援が必要なのだとしても、その理由の表明なしでは危険すぎるという現仏政権外交批判です。また、横枠読者のコメント欄には、本国に引き上げてきたチャド在住仏人からの投稿もあり、事態の緊急性が読み取れます。
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これは一見ずっと軽い話題です。
カップルにおいて女性は男性よりも劣悪な食生活を送っている。
でもよく考えると問題だよね。これだけ女性の社会活動が一般化しても、食準備に時間をかけるのは女性の場合が多い、結局女性は“仕事”と“食事準備”のどちらかを選択せざるを得ない。つまり男性はこのチョイスを免れているということですな。これにあてはまらないカップル・ケースも多いですが、パリ近郊か田舎か、あと年齢層でもだいぶ変わってくると思います。
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“4月のパリ”、フランシス・マルモンド
パリとパリを舞台にした映画についての文章。今はパリが一番輝く季節です(天気のいい日だけですが)。
投稿情報: 2006-04-20 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ル・モンド社説を訳してみようかと思ってたのに、レッチリ・ヴィデオで気分はすっかりロックンロール。昨日、サンドニに近いパッサージュ・ブラディで安いインド飯(三種のカレー+バスマティ・ライス=5ユーロ)を食べてから、元気Y子ちゃんお勧めだった、この映画を観た。Wassup Rockers だ。LA郊外のゲットー、サウス・セントラルに住むヒップ・ホップ・ギャング・スタ系ブラック・ボーイズは、バギーをはかないヒスパノ・パンク・キッズをバカにして“What's up rockers ?” と彼らのアクセントで茶化すわけだ。
もともと写真家で、見てないけどKen Park (2003)という問題作を作った Larry Clark の2005年作品である。佳作。ティーン・エイジャーとsexとドラッグをトラックし続けるオジサンが作った映画なんだが、すべてを救っているのはあくまで軽い語り口と、パンク・ロック・スケボー少年達のエネルギー。
冒頭のインタヴュー画面は、可笑しいけど同時になにやら観客を居心地の悪い気分にもさせる。少年ジョナタンのドアップはほとんどフェティッシュ。オジサンがアブナイのか、ジョナタンが色っぽ過ぎるのか、、(多分両方)。キコ役のフランチスコもそうだけど、13-18歳ぐらいでやたら色っぽい子供は確かにいますね。Nobody knows の邦人少年もそうだったし。
映画前半はゲットー、サウスセントラルでの生活を描き、後半は少年達がもうひとつのゲットー、ビバリーヒルズに出かけるという設定になっている。荒いシナリオだけで、せりふもアドリヴが多いんだと思う。キコ(ヒスパノ)とニキ(swap)のベッド・シーン、って2人がベッドの上でたわいのない(ような)会話するだけなんだけど、結局若い連中には人種なんて関係ないのさ、という場面です 。なかなかキュート。トリュフォーとかエリック・ロメールとか、あるいは“理由なき反抗”とかも思い出すわけだ、年寄りとしては。
サウスセントラルのグループによるパンク・ロックをバックミュージックに、スケート・ボードを転がして、街を行く少年達の動きがとてもいいんだけれど、一緒に見に行った相棒によると、このジャンルではすでに伝説の Dogtown and Z-boys という映画があるんだそうだ。ふーん。
でも、公園で延々とジャンプの練習するシーンは本当に痛そうである。
投稿情報: 2006-04-19 カテゴリー: Cinema | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
大体音があるとそっちに気をとられるので(掃除する時かける初期エルトン・ジョンやサウンド・トラック版ヘアーは別として)音楽かけっぱなしで何かすることはまずないし、ダウンロードでHDに音ストックするのも面倒くさい。
新聞もそうだけれど、リアルにCDを時々買う。アーティスト・新聞支持にもなるでしょ。
というわけだが、この頃はPlaceboな日々を送っている。Medsである。Alison Mosshart (The Kills) との Baby, did you forget to take your meds はのっけから危ない。Michel Stipe (REM) とのデュオもあるし、ちょっとメリリン・メンソンな Space Monkey もよろしい。Pierrot The Clown なんてゴダールだし、The Cure 的エゲレス狂気が純ヨーロピアン・ノマッド・バイであるモルコの抑えられた“感性”と“色気”できわめてプラッシーボな空間を作っている。極めて危ない。彼は前回のアルバムでだけど Protect Me from What I Want なんて叫んじゃう子である(この曲はフランス語バージョンも歌ってる)。
エリック・サティなピアノで始まるBroken Promise は飽和状態のギターに突っ込む。男同士の不倫関係を歌ったものであるそうだよ。bjork のエマージェンシイさもところどころで感じるわけだが、最後の最後まで気が抜けない完成度の高いCDであります。
ブライアン・モルコ君は父親が米国系銀行駐在人で、リュクサンブルグで高校時代を送ってる。だからフランス語は完璧だし、イギリスが本拠なのに、あの英語発音がノマディックなのもそこらへんから来るわけだ。
これから買うだろうCDはたぶんプリンス 3121 とベン・ハーパーの新譜、でもまだ値段が充分に下がってないのでもう少し待つ。
しかしレッド・ホット・チリ・ペパーズの新譜はすぐ購入予定(レッチリ・フリーク's obligationだもんね)。
そして、6月にはレッチリとストーンズのパリ・コンサートがあるわけです。がははは。
体力をつけておこう。
追加:最新ヴィデオです。レッチリ版ロックの歴史:必見(ウィンドウメディア)→dani-california.wvxをダウンロード
投稿情報: 2006-04-16 カテゴリー: Musique | 個別ページ | コメント (7) | トラックバック (0)
木曜発行(日付14日)ル・モンドから、ひとまずクリップ
ベケット氏の登場は、生誕100年記念であります。
人はイスラエルに寛大すぎるのか? シュロモ・サンド
ディベイト・ぺージから、テルアビヴ大学の近代史教授、Shlomo Sand の文章(ヘブライ語から翻訳されたもの) これから読みます。
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ユダヤ防衛リーグの鉄腕たち
ユダヤ防衛リーグ(LDJ)活動に関する調査、このグループはbetar(ラジカル・シオニストグループ)の元メンバーが2001年に創立、1968年合衆国で人種差別主義主義ラバンMeir Kahanaによって結成されたグループJewish Defense League をモデルにしている。
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これはちょっと古いけど、日付11日から、
ルイ16世、死刑執行官による名誉回復
ロンドンのクリスティーズでルイ16世死刑執行官の手紙が競売に出された。この手紙によると、噂とは異なってフランス最後の王は執行直前も冷静を保っ ていたという。執行官の名はCharles-Henri Sanson、1789年から1796年の間に1118人に対してその職務を執行している。市民サンソンはそれら被処刑者たちに共感を持っていたんだそうですが。
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復活祭でありますね。これはローザンヌ神学大学の新約聖書研究者、 Daniel marguerat へのインタヴュー。
タイトルは、12使徒:“奇妙でちぐはぐなグループ” とでもなるか。ユダ“福音書”発見は教会サイドからは黙殺されているようですが、ここは専門家の話をまず聞かねば。この記事も気合を入れて読まなくては分からぬので、レジュメなど後ほど書いて見る、、、つもりですが。
また関連記事としては、
Un codex copte du IIIe siècle, publié aux Etats-Unis, éclaire le rôle de Judas dans l'histoire chrétienne (ル・モンド2006/04/06)があります。
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投稿情報: 2006-04-15 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のル・モンドの別紙 Le monde des livres 第一面イラストがこの本 Dminique Aury : ドミニック・オーリ(O嬢でのペンネーム;ポーリンヌ・レアージュ)に関するアンジー・ダヴィッド/Anjie David の新刊書評でした。今では多くの女性ポルノ作家がいるけれど、1954年初版の“O嬢の物語”が世界的ベストセラーになった頃は作者が女性だとは誰も信じていなかった。なおアンジー・ダヴィッドも美貌の28歳ブロンド女性です。ひとまず記事を訳してみます。
ドミニック・オーリ、秘密の生
ルモンド文学別紙 4月13日
ガリマール社で、晩年のドミニック・オーリ(1907-1998)に何回かすれ違ったことのある人間ならば、彼女が評判どうりの人物ではないことがすぐ分かったはずだ。一方では、愛人ジャン・ポーランの後押しで戦後ガリマール修道院に入った地味な服装をした小柄な女性、文学の尼さん - 英文学者、優秀な翻訳家、優秀なレクターである 。もう一方で、ポーリーヌ・レアージュという名で20世紀のエロティック文学の傑作 O嬢の物語/Histoire d'O (1954) を書いた著者。彼女はそれ以上の存在だった。
彼女にあってはそれらすべてが、洗練と多義性(ambiguite)と、隠匿・秘密・感化・そして支配者であり同時に影の助言者(une éminence grise; 語源はリシュリューにとっての神父ジョゼフ)であろうとする嗜好を物語っている。NRF編集員、20年間ガリマール編集委員会では唯一の女性メンバーであり、1963年にはフェミナ賞の選考委員になっている。彼女がひとつの確信を持っていたとしたらそれは以下のものだ:個人としての権力の鍵とは秘密である。
アンジー・ダヴィッドは全20世紀を通じるこの地下ルートに光を当てる。この作品は、どちらかと言うと感情移入的であり(ダヴィッドはドミニック・オーリには出会っていない:彼女は28歳だ)、これまで未公開の書簡を依拠とし、多くの資料に裏付けられたものになっている。そうして、著者は一人の自由な女性を浮かび上がらせる。“かなり早い年頃から男性と女性を愛して極めて幸福な”、複数の人間を同時に愛することが出来ると確信した女性の像だ。
けれど、意識的に索引も写真集も含まぬこの分厚いアンジー・ダヴィッドの書籍は、単にアンヌ・デクロ(Anne Desclos;本名)のポートレートであるばかりではなく、やがてドミニック・オーリ(Dominique Aury) - この名は男女両性に適応 - となり、そしてポーリーヌ・レアージュ(Pauline Réage;彼女は1994年にやっとそれが自分であると認めている)のものでもある。
アンジー・ダヴィッドは判決を下さない。彼女は、理解回避のため、しばしば人が隠そうとしてきたものを提出する。特に、戦後になってから左翼へと移行した、2大戦の間の時代の知識人とアーティストたちの極端で暴力的 “ナショナル右翼” への所属についてである。ドミニック・オリーとモーリス・ブランショのように一部は大戦中に極右を去りレジスタンスに参加している。
その先入観からくる冗長さにもかかわらず、アンジー・ダヴィッドのクロノロジカルと言うよりはテマティックな主題は、首尾読者を夢中にさせる。彼女はまずポーリーヌ・レアージュとO嬢の物語に集中する。そこから一挙に、時代の大人物ジョン・プーランを登場させる。すでにサドについての著作のある彼がO嬢の序文を書くことで、このエロティック小説に最初からインテレクチャルな様相を付加することになる。(実際はこの小説の受取人であった彼は、著者ではないかと疑われもしている。) ショックを受けた人間には限りがない。1950年代の貞淑ぶりから1970年代のフェミニズムまで - 少なくとも自称フェミニズムの背後にピューリタニズムを隠す人々まで。アンジー・ダヴィッドはこう記載している。“しかしながら、ドミニック・オーリは初めて女性の真実をあきらかにした。エロティズムとは女性蔑視(misogyne)ジャンルである。。。けれどひとりの女性がエロティズムに関して発言しようと決意する時、ジャンルはその元来の対象から逸脱する。”
ポーリーヌ・レアージュは、1975年のレジーヌ・ドフォルジュ(Régine Deforges) との対談では自己の身元を明かすことなく語っている。けれど1975年にニュー・ヨーカー誌(The New Yorker) が独占発表したドミニック・オーリの告白はまったくの道化の秘密でしかなかった。その上この対談ではいかなる新事実も明かされず、O嬢の物語の自伝的性格についての疑問は手付かずのまま残った。
荒々しい秘密(非合法者)
ソルボンヌでの学生生活から、彼女は若い右翼グループと交友を持つようになる。1929年にはグループの一員、レイモン・アルジラ(Raymond d'Argila)と結婚する。彼女はすぐ離婚する - 同時ではこれはかなり勇気のいる行為であった - これは1933年に始まるジャック・タラグラン(Jacques Talagrand)、ペンネームはティエリ・モルニエ(Thierry Maulnier)、への大きな愛のためである。燃え上がる文通が、この荒々しい関係の証言となっている。この関係がモルニエがアネットと呼ぶこの愛人を極右出版物での執筆に向かわせる。特にモルニエの創刊した、レオン・ブリュムに対する激しい攻撃を続ける週間誌ランシュルジェ(L'Insurgé)において。ドミニック・オーリとの間に先々も『兄妹の共犯』関係を持ち続けるモーリス・ブランショは、この雑誌で国際政治を担当する。ドミニック・オーリは - この名が始めて登場するわけだが - アートに関するクロニックを発表する。『彼女は非政治だが、その記事は愛人のポジションとの類似を見せている。』
戦争が起こり、すべては激変する。パトリオットであるドミニック・オーリは自国が占領されることに耐えられず、対独協力者を嫌悪する。彼女はジョン・プーランに出会う。彼は1943年からオーリの本を出版しl実際に文壇に招きいれもするが、彼が鍵となる人物である。開放後、彼が創刊者の一人であった フランス文学(Les Lettres françaises)、および知識人浄化運動とのいざこざでオーリはプーランを支持している。1947年から1968年の彼の死まで、既婚者であるプーランは彼女の最愛の男(l'homme de sa vie)であり続ける 。けれど情熱的誘惑者、荒々しい非合法者であるドミニック・オーリの人物像はカップルの思想を通じては理解し得ない。むしろトリオ、あるいはクアルテットだろう。アンジー・ダヴィッドはそのことを、エディット・トマ(Edith Thomas)とジャニンヌ・アエプリ(Janine Aeply)という2人の女性のポートレートを通して明らかにする。ドミニック・オーリは彼女達に激しく恋していた。彼女らの文通がそれを証明している。けれど、エディット・トマとの愛情はジョン・プーランの登場に耐え切れない。なぜなら彼女はトリオを受け入れることができないからだ - けれど2人の女性は関係を継続する。しかし、画家フォトリエ(Fautrier)の妻であるジャニンヌ・アエプリとは、一時的にではあるが、クアルテットを形作っている。
嫉妬、別離、感化、幻滅...ギリギリに秘部をかすめるこれら560ぺージには、いつも、常に、ジョン・プーランの巨大な影が落ちている。この、複数のアイデンティティを持つ女性の曲がりくねった道程を読者は興味深く追跡する。けれども、読者にとっての幸福は、アンジー・ダヴィッドがこのファナティックな秘密からミステリアスな部分を取り上げなかったことである。
ジョジアンヌ・サヴィノー/Josyane Savigneau
"Votre douceur me confond"
"Edith, mon chéri, pardonnez-moi. Je me débats depuis si longtemps. Pardonnez-moi, je n'en pouvais plus. Je voudrais être encore près de vous, vous dire que je vous aime, vous embrasser. Je sais que je vous parais absurde. Et aussi que je suis égoïste. Mais je suis devant vous tremblante, parce que j'ai peur de vous effrayer et de vous faire mal. Et que je ne sais plus du tout me maîtriser. Votre douceur me confond. Vous ne savez pas ce que c'est que d'être brûlée, et d'avoir sous les lèvres vos mains si douces, ou vos doux cheveux noirs, ou le duvet qui est sur vos joues, juste au-dessus de l'oreille. Il y a des mois que je m'interdis d'y penser. Je n'ai jamais aimé une femme comme je vous aime, Edith. (...) Je n'ai pas beaucoup de scrupules, d'ordinaire. Il ne m'est pas jusqu'ici arrivé de penser d'une fille : laisse-la, tu n'as pas le droit. Si je l'ai pensé de vous, ce n'est pas par devoir mais par tendresse."
(Page 401, extrait de la lettre de Dominique Aury à Edith Thomas, dimanche 27 octobre 1946.)
**
即訳者追記:文章最後は、本書に引用されているオーリからエディット・トマに書かれた手紙(1946年10月27日)からの抜粋です。無粋はヤなのであえて訳さず。
なお、結婚していた短い期間を除き、生涯を両親宅で過ごしたオーリは深夜O嬢をプーランにあてた手紙として書き、翌日(だったと思うが)自動車の中でプーランに読んで聞かせたそうだ。と、あれはラヴ・レターだったわけだ。しかしあんなラヴ・レターをもらう男プーランも凄いというか。あるいはカトリックってタフだな、というか。なんとも。
この本、まだ実物は見てませんが、興味あるけど560ページというのはやはりなんとも、読みきれそうにない。
中ごろの写真は、これを聞きながら作業したPLACEBOの新譜MEDSであります。またいちばん下は著者アンジー・ダヴィッド。本職は雑誌編集で時々女優の人。アンジーと言う名は両親がストーンズ・ファンだからだそうだ。
なおリベ関連記事はここ。
投稿情報: 2006-04-14 カテゴリー: Livre / 本, trad/翻訳 | 個別ページ | コメント (6) | トラックバック (0)