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2006-04-25

コメント

renqing

どーもー。ご紹介ありがとうございます。

ただ、肝心の書名が・・・・。
 (誤) 『国家の品位』
 (正) 『国家の品格』
で、ございます。確かに、「品格」だけでなく、「品位」ゼロの本、ではありますが、書名を間違えると検索にも引っかからなくなりますので、老爺心ながら、参上致した次第。よろしく、ご訂正のほど。m(_ _)v

猫屋

m(_ _)m m(_ _)m orz orz
いや、なに、その。訂正いたしました。

renqing

蛇足ですが、TBがなにもついてないと淋しいので(-_-v、つけました。

sleepless_night

コメントいただきまして、ありがとうございます。 件の本ですが、新渡戸武士道が武士の倫理規範だっただの、「惻隠の情」で差別をなくして世界平和だの。新潮の編集者は何を考えていたのか。「売れるが勝ち」なんですかね。 アマゾンの書評では、評価が二分していますが、ブログを見渡してみると絶賛派が多いようです。エリートの寡頭政治を望んでいる人の多さに暗澹とさせられます。 と申しても、あと一年もすれば皆きれいさっぱり忘れてしまうのでしょうけれど。それが、希望であり絶望です。あと幾つか、戦前の京都学派と浪漫派の近代の超克とからめて記事を進める予定です。ご覧いただければ、うれしく思います。 

猫屋

sleepless night さん、こんな遠いところまで来て頂いて申し訳ない。
この頃の本は、しゃべって出来ちゃうとかどこかで読みました。じゃないとスピードがついていけないのか、TV文化の結果なのか。文章は推敲して、数学も検証して初めてナンボだと思ってたんですが、、、困ったもんだ。エリートと言っても、今の日本を現に担ってる人々が大体エリートなんで、これ以上エリートが力を持ってもどうなるんでしょうねえ。おまけに誰がそのエリートを選ぶのかとか考えたら恐ろしいのに。

あと、自分の経験で言えば海外生活三年目ぐらいで落ち着いて、同時に複数他大陸多国も旅行したりして、やっと自国が冷静に見えるようになる気がします。じゃないとヘンな愛国人か嫌国人になる。

続編、期待しています。

ふらんす

118, 218は子供も喜んで歌ってます。定着率は一番高いのではないかと思いますがそれではそれを本当に使うかどうかは別問題ということで(番号登録できますから)。ちなみに118オペレーターの比較サイトというのがありますよ。
http://www.appel118.fr/

Simon

知らなかったんですが、118218は
英国の118118と兄弟関係にあるようですね。

(資本関係はどうか知らん。)

moi

批判されてる方の批判文もリンク先まで読みましたが、何というか。
まったく知らない方の文章なのに、思い浮かんだ言葉が「お前がその口でいうかお前が」

すごくスノッブ臭くさい批判でした。

とりあえずは批判の強化に際して、今時日経なん使わない方がいいかと。

むろん国家の品格自体、流し読みしようにもも出来ないくらい「嫌な本」だったです。

moi

追加ついでで悪いですが、大意そのものは頷ける、(こんな本を書いた作者の状況よりも、この本をしたてあげた者達の堕落ぶりと、エリートとそうでないものの知的感覚格差の拡大と齟齬、感情と事実の巧妙なすり替えをレトリックとして平然と駆使する欺瞞ないしは無知、もしくは端的に言えば小林よしのり的な高慢なる啓蒙)
だけど批判の内容そのものが、いかに理性的にこてんぱんにノメシテいるかのように見えてもやはりその批判もまた、理性に溢れた「一方的な意見
」だから、意を同じにする方々にしか届かない類の批判にしかなりません。


うーむ、つい見たしがに感情的に書き込んですみませぬ。

猫屋

moi 氏、はじめまして。
そうですねえ、まあおかげさまで読んでないからなんとも言えませんけど、それでも論理性を正したりはすべきなんじゃないかと思います。ましてや数学者だったら論理整合性と倫理で解析してもいいように思います。まあ、聞いた話でしか語れないけど、小林よしのりや新しい教科書騒動、東京都知事に小泉さんの言動なんて聞いてるとそう思う。
問題は対する陣営の不在なんでがすけども。ま、論理で行くっきゃない気がします。ちょっとひど過ぎ。

renqing

「スノッブ臭い」と評された(かもしれない) renqing です。

それで、念のため、「スノッブ」を調べてみました。
1)大辞林 第二版 (三省堂)より
スノッブ [snob]教養のある人間のように振る舞おうとする俗物。えせ紳士。

2)新英和中辞典 第6版 (研究社)より
snob [修飾語を伴って] (自分の愛好する学芸・趣味などを至上のものと考え鼻にかける)えせインテリ,通ぶる人

3)The Pocket Oxford Dictionary(7th ed.)より
[snob] person who has exaggerated respect for social position or wealth or who despises those he considers to have inferior position or tastes.

 私は、自分を「(自分の愛好する学芸・趣味などを至上のものと考えるつもりは全くないけど)インテリ」だと思ってます。実際に知識がありますから。でも、そんなものは屁にもなりません。だって、どのような知的巨人でさえ、その有している知識は、〝only half - truths〟( J.S.Mill )に過ぎないからです。知れば知るほど、己の知っていることの外世界に広がる、己の知らざる事柄を自覚しているのが、インテリじゃぁないすかねぇ。
 それだからこそ、己に含まれいるかもしれない誤謬、他者に含まれているかもしれない新しい真理を発見するために、知識を論理的に構成して己が正しいと考える意見 opinion を他者に表明するのです。
 その意味で、『国家の品格』の著者は、仮に膨大な知識を備えていたのだとしても、その自覚の欠如の1点において、
《(自分の愛好する学芸・趣味などを至上のものと考え鼻にかける)えせインテリ,通ぶる人》
、と私は考えます。(もし、ご批判して戴けるなら、「本に溺れたい」にコメント戴けると嬉しいです。猫屋さん、横レスでコメント欄使用してごめんなし。)

猫屋

renquing 氏、今晩は。
どんどん横レスしてください。家主が暇なしでたいした文章書けない状態ですし。なんだろうか、自分が年とったせかな、人生って一回しかないじゃんって本当に思う。その短い人生を上手く生きるのか、楽に生きるのか、エラク生きるのかオトシマエの付け方は人それぞれだし、時代や環境にも左右される。これをどうやっていくかは、まさしく個人の自由なんだけれども、同時に人間が今までやって来たいいことも悪いことも自分のなかを通って次の人間達につながっていくんですよね。

属性とかネーミングにこだわる人もいるけれど、なんだろう、倫理と言いたい気持ちがしますが、そういった国とか性とか人種を超える価値をやはり探す人々がいるわけだ。そして『いい仕事』をする人々がいて、金とか数字とかとはまた別のものを持った人がいて圧倒されたりする。(読んでないけど)ドゥルーズの DEVENIR とかね、ダイナミックな生の動きを生きたいとかさ、ぜんぜん話がつながってないけど、感じました。

スノビッシュよりダンディのほうが言葉として当たってるように思います。美学です。エティックとエステティックかな。

cyberbloom

はじめまして。ときどき読ませていただいてます。こちらはFBNという共同ブログの管理人です。「国家の品格」にちょっと触れたのでTBさせていただきました。これからもよろしくお願いいたします。

renqing

real space では、dandy と言われた記憶がない renqing です(^^;。

 己の信ずるところをを相手に伝える努力をし、相手の優れた点を素直に認め、自らの過ちに気づいたら改めるのに躊躇せず、それを常に己の成長の糧とする。

 これを知的ダンディズムと表現できるなら、そういうインテリに私はなりたい(宮沢賢治の「雨ニモマケズ」風)。

moi

返事をいただいてみなさんありがとうございます。

renqingさん、ええとですね。書き方が悪すぎたのかもしれません。私が批判したのは愛と苦悩の日記 を書かれた方の「あくまである種の」部分です。名前が分からないのでどなたか存じませんが、批判するのにそれを援用しちゃかたらそりゃなしだろう、しかもエリートであることをはっきり書くならなおさらだ、とその時思ったこと書き込んでしまったのです。あなたのBlogそれ自体は細かいつっこみをしておられるようなので、こちらとしてそれを持って批判していませんし、またそのことをして、これはこうだという批判出来るほどの知識もありません。
ただ、この手の本が幅をきかせる状況そのものはまったくいい気がしないんですが。
まったく違う分野とはいえ類似本としてこのような本も出てきましたし。
http://tkj.jp/book/book_01512001.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796651209/503-5782333-7510322
一オタクとしても、おいおい将来情勢が変わった時、オタクバッシングのネタになりそうな本なんか出さないでくれ。
とため息一つも吐きたし本が幅をきかせる、カストリ本全盛の時代なのかも知れないのが憂鬱です。
なお、なんでこれは類似かというと、やはりこの本にも少ないながらも反論してるリンクがあるのでそれを見てください。
http://d.hatena.ne.jp/Parallels2/20060213
http://d.hatena.ne.jp/zeroset/20060213/p1

ウォッチメンも戦前ディズニーの本当の凄さも分からないままで、こんな本を出せる人がいることが悲しくなります。

猫屋 さん

多分その通りだとは思いますが、少なくともあの文章は陣営の不在を嘆く立場の方の出す批判ではないと思いました。

まあ、日本はやはりどんどん悪くなっています。ただそのことに対して、かつて語られていた個人の屹立と連帯という考えそのものが、自分達には不当な圧力であって、しかも本当にそのようにしなければ生きていけない「おかしな」現実がある時、そのことをかつてそれぞれの立場で語り、社会に語ってきた方々が、国粋主義者も市民連帯派も、右も左も体制側も反対側も、あるいはまったくそうでない立場を模索していた人も含めて、言葉を失っている、言葉が分からないを超えて、語らないでいる彼らにも等しく訪れた未踏の現実の前で、指針を欲する人たちにそれを個人の思いという形ですら出せずにいる。からこそ、かつての小林よしのりしかり、かの数学者しかりが、自分の思うことを出てきたまんまで語る行為が、支持を受けたりかつて受けられたのではないでしょうか。

そのような現実の惑いの中で、当然出てくる勘違いか商売人を批判するのに少なくとも適切な批判ではないなと思っただけです。
変な文章、容赦を。


猫屋

変な文章は得意な家主ですので、お気軽に通りすがってください。

『他者』の問題って、ありますよね。あと、昨日話した新聞売りのおっさんが、カフェに座って3時間もコーヒーいっぱいで粘ってる日本人は理解できない、って言ってた。ちょっとびっくりしたね。おっさんは一応土着系フランス人の感じの人ね。こっちも、20年以上パリに住んでるんで、自分が日本人なんだかフランス人なんだかよく分からないって言ったら、おっさんもそうだよねえ、とか言ってた。ほんと、わかんない。

世界って自分がわからないほど大きいってのはわかる。世界全体が変な方向に進んでいるのも事実だ。こんな時、チマチマやってたらもったいないと思う。

でもって、意味なし文章ゴメンナサイね。

renqing

moi さん、どうも。 
 増田某氏の本チラッと見ましたが、う~ん、ひどそう。ご指摘のように、書き手のメンタリティは、藤原某氏と甲乙つけがたい。共通しているのは、このような低質の本を出そうと考える編集者の無責任さ。プロの編集者として一片の矜持もない、と断言できます。
 志を保つことは、Le Mythe de Sisyphe、の如く、労多いものですが、それをなしうる立場や能力を持つものは、それにふさわしい骨折りを甘受しなければなりません。その筋の詳しい方々からの批判がちゃんと沸き起こることが必要ですね。

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