日付け2月12-13日ル・モンドのエディトリアルはドレスデンの爆撃60周年式典と独極右の関係について書いている。(この記事は、仏語記事をたんたんと僧侶のような姿勢で翻訳するエライ media@francophoieさんが日本語にしています。エライ)
津波報道と写真、スーザン・ソンタグのことばなどが、そしてまだ再読みかけのままの森有正の本の語る『体験』と『経験』の違いも、同時に自分の頭の中でグルグルとリンク先を見つけているわけです。なぜか、ベケットのスゴイ顔までグルグルするので、少し書きながら整理したいと思う。
ドレスデンの英米空軍による爆撃については、たしかジョン・アービングが小説の中で書いていた記憶があるが、確かではない(追記、カート・ボネガットと思う)。以前こちらで、ちらりと見たTVドキュメンタリー(真夜中すぎに放映される視聴率を心配しない/失業者たちの精神状態をさらに厳しくする番組)の、米軍と英軍が昼と夜のローテーション組んで石造りの街自体を石釜状態にしたという、地下室に逃げ込んだ住民まで焼けてしまったあの爆撃である。仏友人の歴史に詳しい人間に聞いても、あまり詳しいことは知らない。ドイツ内部でも、そうそう語り継がれる事柄ではないと思う。
《ドイツはホロコースト/SHOAHに責任がある→よって、ドイツは自らがこうむった戦時の悲惨を語る権利はない。》という意識が、もちろんこれは私の推測だが、あったのではないか。
もちろん、方程式の“ドイツ”NO.1を“ナチス”に変換してみる、あるいは“ドイツ国民”に変換してみる作業は無意味じゃない。
《ナチスはホロコーストの責任者であり、ドイツ国民は一切責任がない》から《ドイツ国民はホロコーストを永久的に背負って生きていかねばならない》まで、そして→の後に来る結論にも多くのバリエーションがありえる。
個人の受け入れ方はどうあれ、また今年のドレスデン爆撃関連報道が、revisionniste/歴史修正主義者先導極右デモがきっかけであったとしても、扱われたこと自体に意味があると思う。60年たったのである。最後の目撃者たちがこの世界を去る前に聞いておかねばならない話はたくさんある。それにもまして(これは私の深読みに過ぎる可能性もあるが)2001年の9.11以降、ある意味私たちの意識のなかで、国境がとっぱらわれてしまったカンジがするのだ。
スマトラ地震・津波災害をめぐって、プーケッツに欧米観光客があれだけいなかったら世界規模での援助はなかっただろう、というアナライズを読んだ。これはちょっと違うと思う。プーケッツの外国観光客被害者の存在は、我々の意識内の国境や人種区別や距離感のありようを変えてしまったのだ、と思う。9.11という事象が多くの人間の世界観を変えたように。
こちらのTV、フランス2で津波災害被害者の近況を放映していた。番組の途中をたまたま見ただけなので詳しいことは分らない。海岸沿いの家と妻と子供を津波でなくしたインド人中年男が、酒を飲み、廃墟を徘徊している。TVカメラに向かって『house...wife...child...gone』 とつぶやき、廃墟の一点を指差し、そして両手をあげて、やってきた大波の様子、子供や妻を捕まえようとした動作をカメラに向かって無言で繰り返す。
他者の苦痛を前に、私たちは言葉を失う。
話をドイツに戻そう。ドレスデン爆撃の映像も文章も少ない。1945年3月10日の推定8万から10万人の焼死者を数える東京大空襲に関する映像・文章も多くはないと思う。(ちなみに、ね式のまだ生きてる御先祖、父はこの爆撃の生き残りである。この頃になって、新宿から遠くない街道ぞいの道端を指し、『ここは河があって、河沿いに焼けた死体が山積みされていた』などと散歩時、私に語るようになった。)
ドレスデン爆撃、東京大空襲の映像なり記録が少ない事実には理由がある。戦勝国は、被占領国に対して責任があるとともに、常に正しい(→正しくない敗戦国に語る権利はない)という定義である。しかし、これは上にも書いたが、国に関しての定義である。(国ステーツ/ネーション議論はまた、機会があれば書いてみたいが、国と国民/個人はイコールではないだろう)
そして60年前ではなく、ただいま現在進行形の世界各地の悲惨の多くが、まったく、あるいはほとんど報道されていない事実がある。これにもさまざまな理由があるだろう。現地が危険すぎてジャーナリストを送れない。あるいは、ジャーナリストはいても政治的理由やあるいは(読者がつかないなどの)経済的理由も、そしてもっと複雑な事例もあるのだろう。
バックグランドがどうであれ一枚の写真は世界の2点、つまり苦痛を生きる個人と遠い場所でその写真に見入る個人を結びつける。これはソンタグの書くように(たぶん書いたように、って本は貸してしまったのだ)それはすでに小さなミラクル/奇跡である。そして、毎日広げる新聞が伝える世界の悲惨リストを見ない、というチョイスもあるし、報道されない悲惨もあるんだと考えることもできる。しかし、どんなチョイスをしようと、これらの悲惨が同時存在する世界に我々は生きている事実を変えることは出来ないんだよ。
- ベケットの顔は、一枚の写真は多くのことを語る、の例としてあげました。それだけ(こんな顔の男にやがて私もなりたい、、無理だな)
参考
ウィキペディア日本版東京大空襲
ウィキペディア英語版東京爆撃
ググッて見つけたmatsuyamaさんの東京大空襲資料
春具さんの「カオラックのひとたち」
ウィキペディア英語版 ドレスデン爆撃