まずはこれ、ウォーターゲート事件、米紙記者の取材資料初公開
【ワシントン3日共同】1974年にニクソン米大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件をスクープしたワシントン・ポスト紙記者の当時の取材資料が4日から、テキサス大で初めて一般公開されることになった。ただ、貴重な取材源で「ディープスロート」と呼ばれたニクソン政権高官の特定につながる資料は、当人がまだ生存しているため公開されず、“謎解き”はなおもお預けだ。ロイター通信によると、事件を伝えたボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン両記者が「何が起き、われわれがどう取材したのかを、歴史に残す必要がある」として2003年、段ボール75箱分の取材メモなどを500万ドル(約5億2000万円)で同大に売却。資料には事件を暴く重要な手掛かりの一つとなった、ニクソン陣営の資金担当者の取材メモなどが含まれるが、「匿名」を条件に取材に応じた取材源については本人が死亡するまで公開しないとの条件を付けた。72年の大統領選で、再選を目指したニクソン陣営がウォーターゲート・ビルの民主党本部に侵入した事件の背景を当時、若手だった2人が徹底的に調査。「調査報道のかがみ」として高い評価を受けている。
ル・モンドの記事はもっと突っ込んでいる。フランス語のスロートはゴルジュ/gorge なんで、それをひねくった "George profond"(ディープ・スロートは仏語ではゴルジュ・プロフォンとなる)てのが記事のタイトル。もちろんこのGEORGE はジョージ・パパ・ブッシュのことである。
記事によると、ニクソンを追い詰めたワシントンポストの記者ウッドワードとバーンスタイン(映画『大統領の陰謀』の中ではダスティン・ホフマンとレッドフォード)に情報提供したコード名ディープスロートというインサイダーはパパブッシュだと主張するジャーナリストがいる。このジャーナリストAdrian Havill はウッドワードとバーンスタインの伝記を書いた人だが、彼は、ジャーナリスト嫌いで有名なパパブッシュ氏が、72年当時ウッドワードからの7時間のインタヴューを受けていた事実を数年前に探り出した。ニクソンはパパブッシュが望んでいた役職(法務次官と副大統領職)を2回にわたってわたって拒否。これを根にもったパパブッシュは寝返ってワシントンポストに垂れ込んだ、、というのが彼のたてるシナリオである。
72年当時、パパブッシュは米国連大使のポストについている。ニューヨークの国連に勤務し、どうやって同時にワシントンの地下パーキングのディープ・スロートもやってられるわけー? という大きな疑問について、ハヴィル記者は、ウッドワードとディープスロートの密談は7・8回にわたって週末に行われたが、当時パパブッシュは各週末ワシントンの自宅に帰る習慣があったと答えている。
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しかし、やがて私は、ジャーナリストの鏡であるウッドワードとバーンスタイン組のゲットした500万ドルに、私の心が奪われてることに気が付く。イケナイ。イヤシイ。貧乏は人類の敵である。でも『ブッシュの戦争』もよく売れたはずだけどなあ。
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