このところ周辺にかなり面倒な(小)問題が重なったりして、本・新聞を調べる、あるいはじっくりPCに向かう時間が取れない。細切れの時間はあっても考えをまとめる余裕がないという状態で、つくづく自分の限界を知ったというか。こーゆー時もあるさ、できることから始めるのが良。箇条書き内証日記少々
私は仏教徒である。というか、だろうと思う。こちら(欧州)でお前はカトリックか、あるいは、何がお前の宗教か、と聞かれると仏教徒だと答える。では、信仰のためにどんなことをしているのか、と聞かれると“何もしていない。仏教は厳密に言えば宗教ではなく哲学であり、各個人が自らなすべきことを決めるのである。”と答えることにしている。嘘をついている心算はない。そして何故か、宗教勧誘に来た人間も含めて大概の人はここで納得してくれる。いつか出会ったドイツの人は“死が恐くてキリスト教からは離れられない”と言っていた。これも大変だな、と思う。このところの法王の挙止を見ていて、ベースに犠牲と苦痛があるこの宗教の難しさを感じる。臥す仏陀の姿からは苦痛は見えてこない。
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マンガとこちらのBD/バンド・デシネつまりコミックスの違いは、夏目房之介氏が書いていたと記憶するが、空間と時間の処理の仕方だ。洋ガではそれぞれのコマは絵画やイラストとおなじ静止画に静止した会話文、あるいは解説文が添えられる。日ガの場合、1コマに書き込まれている時間性も空間性も伸び縮み可能のいたって柔軟なものだ。その不定期性というか不確実性といったものが人間の持つ想像力のインテンシティ/強度や深さを呼び起こす。日ガの持つムーヴメントの魅力はここだろう。これは(少なくともかつての)日本の歴史のもつ時間の流れ方に繋がると思う。《空》をどう捉えるのか。埋めるべきなのか、あるいはそこに帰るのか。
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・アンシャン・レジームを破壊した欧州を逃れ、プロテスタント人たちが作ったのがアメリカ合衆国であって、そこに育った《アメリカ教》は勤勉と質素とフロンティア開拓精神をもって世界にその信仰を広めようとしている。限りなき開発・発展には限りなきフロンティアが必要とされる。
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いったん拡大化を始めた組織は自立し、ある時点から組織を構成する個人の総数がかかってもコントロールしきれなくなる。言い換えれば、無機質だった組織自体に“意思”が発生したかのように、それは細胞分裂し続けさらに拡大する。拡大思考は、他の組織を飲み込むことでも自己現実化を促進する。組織は休まない。組織は学習する。組織が最も恐れるのは自己の消滅である。組織は悩まない。
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日本では花粉症が大変らしい。3月末に帰国を迎える数人の知人に 『桜が見られますね。』 と言ったら 『桜より花粉症が心配です。』 と言う答えが毎回返ってきた。 こちらでも花粉症は存在するんだが、これまでかかっている人には一人しかあっていない。日本の医学レベルを持ってしても解決はできない問題なのだな。不思議。でもこれだけ蔓延してるんだから、いつから始まっただのの統計とか根本的対策とかって国家がやってもいいような気がするけど、それはあって私が知らないだけなのか。なんか不思議。基本的に日本で流行ることは世界で流行るわけで、国でも企業でもいいが“花粉症キラー対策”がここ5年ぐらいで出せたらすごいと思うけど、、、そんなことないか。
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久しぶりに都内に住む古い友人(女性)に電話した。彼女が言うには 『この頃の若い男の子。仕事で、ナントカ君これとこれして頂戴ね、とかちゃんとその子の眼を見ていうんだけどポッと赤くなって下向いちゃうの、黙ったままでさ。眼と眼を見て話できないのよね。』 と言ってた。街でもみんな、下を見たり、携帯見たりして歩いているんだと。困ったな。 こっちでは(外人である私の話を聞いてもらうために)まず相手の眼見んことには何も始まらない。
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こちらの桜は終わってしまった。今咲いているのはアーモンドや林檎、もくれん、まだまだあるのだが無学な私には名が分らない。これから7月頃までは緑と花々が狂おしいほどに輝く。人の年齢を語る場合に“何回の春を経験している”と言った表現も多く使われる。子供たちが育つのも春から夏だ。
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休んでいた水泳を再開することにする。そうでもしないと自己内自然/身体に思考がついていけなくなる。動くと飯も酒も美味くなるな。料理もしたくなる。はは。
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たぶん、続く(かもしれない)。