こちらも急に春めいて、梅だかアーモンドだか林檎だかよく分かりませんが木々に花咲いております。(なお右の写真は確か去年ので、今のパリではまだ緑は芽吹いてません)。
こういう気候になると毎年『ああ、生きててよかったなあ』と思うのですが、今年は格別です。日本のこと、死んでしまった弟のこと、出口がまったく見えないこちらの不況、そして人一倍寒かった2月の後に家の近くを散歩しながら、これまで足らなかったお日様の気前のよさにニンマリしています。めぐり行く季節は天の贈り物です。今時めずらしいタダ:お天道様はえらいです。
昨年の今頃は、毎朝「いったい日本はまだあるのだろうか」と思いながらPCをオンにしていました。今もその動作は変わっていません。日本はまだあるようです。でも、あまりうれしくはないカタチで日本は暗闇に向けて進んでいるように思えます。そのカタチとは、どこかで時が進むのが止まったみたいに、あるいは後退してしまったかのような、日本という社会の異様さです。
とってもひどい話
これはだいぶ前ですが、友人たちとアペリティフを飲みながら夕食を作り、飲み・食べ、ワイワイガヤガヤしてた時に聞いた話。
友人の一人に、なんというか昔ではヒッピー、今ではエコロ・オルター系ってのかな、自然系の女の子がいます。彼女は一時、郊外の一軒家で友人グループと共同生活をしてたんだが、ある朝彼女は大きなガラス張りの台所でコーヒーを飲んでいた。窓を隔てた戸外の庭では男友達の一人が、冬に向けた暖炉用の薪を切りだしてた。でも突然、何かの手違いでチェーンソウが暴走した。
女の子は、男友達がどうな風に死んだのかは話さなかった(手で自分を指して、ここからここら辺までやられちゃったの、と言っただけだ)。チェーンソウが暴走した時、彼女は(無意識に)台所の大きな窓越しに見える光景から眼をそらし、たまたま点いていた台所のTV映像に見入ってた、そうだ。
その話を聞いて、緊急医をやっているもうひとりの友人が驚いて続けた。フランスではアメリカと違って、救急車には緊急医が同行する。友人の緊急医は、だから交通事故や火事、貧困家庭内の暴行などにも多く立ち会っている。
そのある意味事故なれしている緊急医女史が立ち会った最もひどい現場というのは、猟銃(散弾)での自殺だった:銃口を口の中に固定し、足の指で引き金を引くアレである。ようするにムチャクチャだったそうですが(彼女はかぼちゃが割れたみたいにと言ってたと思う)、それ以上に描写なんぞできない状態なんだろう。彼女も目撃した瞬間に眼をそらせて、脇で写っているTV画像を見つめたそうだ。
(偶然だろうが、エコロの彼女とベテラン緊急医の彼女が見つめたTV局はどちらもカナル・プルス。)
まあ、眼をそらしてTVを眺めてた時間がどのぐらいなのかは分かりませんね。たぶん数秒だったと想像されますが、それは同時にとても長い、つまりいろいろな意味で“長い”時間だっただろう。
なんか、日本で話題になっているらしい「正常バイアス」で、この話を思い出しました。
日本での「正常バイアス」について:911後の米国での混乱振りを考えると、正気に戻るまでまだ時間がかかるのかもしれません。ただ、人々が気絶してる間にも国の「お偉いさん方」の打ち出すショックドクトリンの方は機能しちゃうのがやばいです。
ロシアとか中国とか
去年は本当にたくさんの人が死んで、猫屋の無常観もパロキシズムまで達した感じなんだけど(いやこれ冗談;誰も、普通は所業無常ゆえには絶叫しない)、考えるに、ビンラディンとかサダム・フセインとか金日成とかの大物独裁者がいなくなって(そういや悪の機軸って誰か言ってましたが)世界が幾分かでも平和になったかと言うと、そんなことまったくない。
実に、本物の悪人は仕立てのいいスーツ着て、あるいはだらしないジャージ上下で、慇懃無礼かつにこやかにあの「独裁者たち」をコントロールしてたんじゃないか?とか思いたくなりますね。
モスクワに住んで3年目の知人がいるんで、時々あっちの様子が聞こえてくる。マフィアに牛耳られたかなり乱暴な街らしい。学校行くにも、車駐車するにも、職を見つけるのにも、医者にかかるのにも、とにかく裏金を払わないと何もできない。しかし、ガソリンとウォッカはビックリするほど安い:高くすると革命が起きてしまうんだそうだ。
モスクワ(ニュー・リッチ)新人類たちは、でかい四輪駆動に乗って、ナイト・クラブに繰り出してカラオケしてるんだ、サンダル履きで。彼らは北欧産のウォッカだったら飲むんだそうだ、なぜなら単に高いから。
(これは米国ですが、50センツの住んでる郷宅;台所6箇所・無使用、フェラーリ等高級車10台とか、を思わせますな、、、)
ツァーの時代から、共産主義時代を経て、再び“自由主義国家”になったはずのロシアだが、いったいぜんたい何が変わったのかと思う。
中国と言う国も、植民地化されて、ww2あって、流れで“共産革命”があり、“文化大革命”もあり、台湾とかのコンフリクトもあり、今は“消費共産大国”になってて大変ですが、国の“本質”とかいえるようなものがたとえばあったとして、あんまり変わってないように感じられる。毛沢東による革命は“農民フェオダル革命”だった。
てな読み方から言えば、日本の“本質”も、見かけほどには変わってなかったんだろう。
150年やそこらで、“本質”なるものは変わらない。もう少し厳密に言えば、ひとつの国の“傾向”、簡単に言えばキャラクターは、3・4世代ぐらいでは変わらない。
国旗とか国家とか
ここ、フランスの学校では国旗掲揚とか国家斉唱とかしない。これは公立・市立とも同様のはずです。まあ、国から公認されてない(一部のプライベート・ゴリゴリ・スクールはやってるかもしれないが)。
大体ここでは入学式とか卒業式というのもない。せいぜいが入学第一日目のオリエンテーションとかだろう。例外が、一部の米国系ビジネス・スクールで、マスター卒業に当たって米国型卒業式をやってるかもしれない(あのエヴァンジリストの集会っぽいハラヒレ・ガウンと変な座布団型ボーシかぶるヤツ)。
一般的に、欧州では米国型(日本型)入学式とか卒業式はやってないと思う。在学中に別の大学にトランスファーとか留学が一般的になっているので、ひとつの学校へのコミットメントもさほど強くないように思う(まあENAとかHECは卒業後のキャリアをめぐって連帯があるようなので別口だが)。校歌なんてのも正式なのはないはず。
フランスの話に戻りますが、“ふつーの”現地人が国家を歌うというのは、まあサッカーとかラグビーの試合、あるいはオリンピックで金メダルを取った時ぐらいだ。中学校とかのéducation civique(/市民教育=日本での道徳とか倫理でしょうか)で、仏国家ラ・マルセイエーズの意味は一回ぐらいは習うようです。それだけ。
あとは、たとえば政治集会の最後に歌うってのはあります。仏共産党が歌うのはもちろん、インターナショナル。
さて、日本でもアタクシは国旗掲揚とか国家を歌ったとかの記憶がまったくない。つまり、「君が代」を歌った記憶はない。まあ、アタクシ1984年に日本を出てますから、それ以前はそんなもんだった。
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で、長くなってしまったのでいろいろ2はここまで、
次に《イッキとコッキ》タイトルで書いてみます。