パリ某所にてパーツ修理を受けてきた猫屋、現在ソフト・ランディングの最中であります。新聞・雑誌もラジオもなし、TVつけても鎮痛剤漬けHDまで伝わる情報はせいぜい、あっちからこっちに行くテニス(ロラン・ギャロスの)ボールがあ、あ、、、とそのまままた眠りにつくわけ。さすが欧州、ペイン・ケアは大したもんで、痛いよりは、眠い、暑い、腹減った、の三感覚に満ちた三日間を某クリニックにて過ごし、無事帰宅いたしました。シャキーン、しようと思ったら、お膝がガックラリンコ。さて、シャッキーンはどうやって返すべか、てな悪い洒落事、私事はこのくらいにして、ね式選挙結果読み。
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とは言え、選挙後語られた、あるいは書かれた多くの論説をほとんど読んでいない私の書きえる事象は限られている。それでも、あるいはだからこそ、今の時点での考えを書いてみたい。----などとマジに“誰が読んでも理解できる”ケーモー的ブログ書き始めたものの3回とも途中で脱力、続けられない。これも私の実力のなすものである。まずはできうることからはじめるが吉、てなわけでいつものメモ的ブログでお許しあれ。
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前回、選挙後(29-30日夜中)のブログに書いた内容はそんなに的を外れていなかったと思う。
(私もまだ目を通しただけだが)ル・モンド記事《1992-2005 : comment le oui s'est décomposé/1992年から2005年の間にどうやってウィは解体していったか》という記事で、社会学的(あるいは人口統計学的)な今回の国民投票結果の分析がなされている。1992年とは、マーストリッチ協定の批准をかけて故ミッテラン大統領のもと同年9月20日に行われた国民投票。あの時は51パーセントのウィ票があった。その当時の2005年との類似点は、第一湾岸戦争後の不況時であったこと、当時政権に対する批判が大きかったことがあげられる。(社会党政権はこの選挙後まもなく倒されている)
当時のあくまで小さかったウィの勝利から今回の大きなノンの勝利へと、フランスはどう変化してきたか、というのがこの分析の対象だ。レジュメ/概要を書き出すほどには読み込んでいない。ただ、フランス社会内で、以前あったような肯定的流動性が失われ、中間層の収入・雇用不安定化が進み、かつての社会党支持層(公共企業中間管理職や自由業・小型企業主など)の多くが今回nonに投票した、、、結果、エリート+雇用・収入安定組の多いパリやリヨンなどの大都市と一部の衛星都市がouiゾーン化し、失業率の高い地区でのNON投票が目立った。同時にうかがわれるのは、高収入安定組と、中間層/不安定組および最低賃金+最低賃金以下組、の棲み分けがフランス内で進んでいるということだ。
世界内での欧州をどう捉えるのか
“平和”をその根源として構想された世界の一画、欧州での“欧州市民”権利を明文化したものが基本権憲章である。この憲章を内包する憲法批准は、“欧州市民”というアイデンティティ=自己規定、を構築する分節点として考えられるべきであったと思う。
EU憲法を待たなくとも、EUは既に機能している。これは事実だ。ユーロ圏、すなわち経済圏としてのEUはこれまでのマーストリッチ協定・ニース協定などに準拠しどうにか機能してきている。ここでは経済とは、あるいは貨幣とは、あるいは共同体/国家とは、といった話はしない。(ただ、“貨幣”という記号が表すものは人間間の関係性であり、貨幣イコール実際の関係性自体(もう一歩進めれば、人間自体)ではありえないこと。にもかかわらず、この関係性の抽象化の過程を経て、主体であったはずの“人間”の疎外(アリエネーション)化が起り、主体であるはずの人間は、単なる数値に、物質に、客体に取って代わられる、という見方は書いておく)
この経済圏としてのEUに、ある意味“欧州市民”という“魂”を入れよう、という試みがEU憲法批准であったと考える。単なる経済圏から一レベル・アップした政治共同体としてのEUへの移行、この試みが今回のフランスでの国民投票で否定されてしまったわけだ。実際のNON派の主張がどうであれ、今回の否定のもたらしたものは大きい。
フランス国内政治混乱
今日(5月3日)におけるシラク大統領に対する国民の支持率は過去最低の24パーセントに落ちた。新政権も首相ド・ヴィルパンと、セシリア抜きのサルコジ(離婚抗争中)が一年ぶりに返り咲き、二頭内閣の感があるものの、NON派の多くが求めた現政権の大きな変革からは程遠い。
2007年の大統領選挙までに、シラクは怒れる仏国民に対してどういった具体政策を提示できるのか。マーストリッチ批准後の大統領選で、“fracture sociale / 社会内断絶” を掲げて当選、景気回復期のジョスパンと対立が番狂わせとなったあの2002年選挙後も必要とされた仏社会システム改革には手を付けず、ポピュリズム的八方美人政策で度重なる地方選挙での大敗、2002年の激暑ショック後もラファラン首相による内閣を継続させたシラク政治に変化は見られない。
社会党の分裂の危機。戦略的NON派、元首相ファビウスは選挙後発言を控えているように見える。コーディネーターとしての資質はあっても、機動力のない元社会党党首オロンドにかわる人物は見当たらない。
一方、ヨーロッパ肯定NON派、すなわちビュッフェの代表する仏共産党、ヘイ・ミスタ・ポストマン・ブザンスノ達が代表するトロツキスト派、“ル・モンド・ディプロマチック”を発端として草の根運動を続けるアッタク派(参照 fenestrae ブログ)が今回フランスで、またオランダで(media@ francophonie ブログ参照)否定されたEU憲法に変わるどういった憲法案をどういった形で提出し、どういったコンセンサスを現在の欧州内で得ることができるのか。ミクロとマクロをどうやって具体的にリンクさせるのか。またド・ヴィリエ、ル・ペンを代表とするEUの存在自体を否定するフランス孤立主義NON派とどう“NON身分け”を行うのか。
また、実際のNON投票層内には、現存左派への失望と現政権へのオブジェクションから極右あるいは極左に投票する一種の浮動票がある事実も忘れてはならない。背後には、対エリート、たとえば新仏首相ド・ヴィルパンといった高級官僚人に対する拒絶があり、これはポピュリズム喫水線ぎりぎりにメディアを最大限に利用するサルコジへの支持とも重なりうる。
これら複数のファクターを視野に入れない限り、今回の選挙結果は単なるフランスのoui/non 分割以上、の意味を持たないと考える。
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以下続く