さて、今日はちょいと本題であった欧州憲法国民投票を離れて、昨日言及しましたエコロジスト欧州議員ダニエル・コーン・ベンディット/ Daniel Cohn-Bendit について書いてみようかと思います。この60歳になったばかりのオッサン、ドイツ・フランスの関係や欧州左翼の歴史を身を持って生きてる感じがする。機会あって、フランスUMP高級官僚カクテル・パーティに紛れ込んだことがありますが、あの政治人たちの“ポリティカリー・コレクト”な、要約すればカトリック・超一流大学・超一流ブルジョワ風味、とはまったく正反対のきわめて人間的つーか、情熱的つーか、下町風味つーかヘンな叔父さんです。
彼の両親はユダヤ系ドイツ人で、ナチスドイツを逃れてやってきたフランスはプロヴァンスのモントーバン/Montauban という町でこの人、1945年に生まれています。のちドイツの高校を卒業、ユダヤ系ドイツ人枠国費留学でナンテールの大学で社会学を勉強しますが、この大学は“パリの5月革命”と呼ばれる1968年のフランス大学紛争が始まったところ。この運動のピークは、ソルボンヌでのバリケード封鎖、学生と憲兵隊/CRSの衝突。あの時の壁にペンキで書かれたスローガンに、《パヴェ/敷石の下は海》とか《禁止することを禁止する!》、《CRS、SS》とかあって、なかなかポエティックな時代だったようです。その時、ド・ゴール政府相手の学生スポークスマンだったのがコーン・ベンディット。
結局、5月革命も夏の訪れと共に解散。ま、ド・ゴールもこれが発端で翌年引退しておりますから、勝負はどちらが勝ったともいえない。ただあのころのパリはラカン、アルテュセールやデリダ、フーコーや大老サルトルまで元気だったわけで、ある意味フランス思想界黄金期だった。しかしコーン・ベンディットはフランス追放を食らう。で、フランクフルトで幼稚園の先生になるんですね。それから本屋で働いたりしながら、当時アナーキスト/無政府主義者だったヨシカ・フィッシャー/Joschka Fischerに出会い、スクワット/無人建物不法居住とか未届けデモとかする。これがドイツ緑の党の起源。
70年代はジャーナリスト、78年エコロ-社会-原理主義的"DIE GRÜNEN"支持、86年になって緑の党の数少ないリアリストの一人としフランクフルト市議会議員になる。これが政治キャリアの始めです。同時にドイツ語圏フランス語圏のメディアでエコロジー啓蒙を盛んにやる。99年、欧州議員に立候補して当選。ヨシカ・フィッシャーの片腕的存在として外交・人権・安全保障軍事コミッションで働く。トルコ・欧州コミッションのメンバーでもありますね。
私生活では奥さんの連れ子と、実子の2人の息子の父。パッションはサッカーだそうで。
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クリントンと同世代ですね。もと仏首相で社会党党首だったリオネル・ジョスパンも任期中に、学生時代アナーキストだったというすっぱ抜きがありましたが『若気の至りだった』と当人が肯定してそれで幕切れでした。でも日本の元左翼って何故かカミング・アウトしない。死に絶えたのですか?
いちばん上は現在形。真ん中右はパリ1968年5月スナップ。今でも絵葉書になってカルチエ・ラタンで売ってる写真。左下は68年の壁グラフィティ。
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