ことしのカンヌ映画祭でグランプリ受賞したジャック・オディヤール/Jacues Audiyard 監督の映画 Un prophète を観てきました。かなり dur、つまりハードな映画だ。タイトルは直訳で《ある預言者》。カテゴリー分けでいえば、ギャング映画だな。
この手の“痛い”映画は苦手で、ゴッド・ファーザーも見たのは I だけだし、スカーフェイスも見てないし、タランティーノの映画もはじめのレゼルボワール・ドッグとパルプフィクションは「どうせマンガなんだから」と自分に言いながらも見てたけど、キル・ビルは「またやってるよ」と無視(でもジャッキー・ブラウンはいい映画ですね)。この手では、日本の東映やくざ映画も、噂にはいろんなところで聞いたけど観てはいない。だから比べようもない。
話は、19歳の読み書きもできず身よりもないアラブ系フランス人の若い男
Malik El Djebena
が、重刑者を多く収容していることで名高い刑務所 Centraleに送られるところから始まる。6年の刑を“勤める”ためだ。マリックがどんな罪を犯し、この刑務所に送られることになったのかは語られない。この過去のない若い男マリックは、身体検査を受け、衣服を与えられ、何重にも背後で閉められる扉の重い音と鍵束の音を背後に聞き、やがて囚人たちの叫び声が聞こえる独房で始めての夜を迎える。「いったいお前はどれだけの間耐えられるんだろうか」と、独房のベッドに横たわったマリックは自問する。。。
そして、映画はそれから6年間にわたるマリックの刑務所での「戦い」を、2回の一日特別外出許可中の出来事を含め描いていく。長さは2時間半だ。ヘモグロビン度の高いシーンもある。これは暴力と、その暴力に満ちた監獄という世界で“生き残るために” 19歳の、かならずしもタフでもマッチョでもない男が直感とその頭を使って、最後には“権力”を手にするという映画なのだった。
昨年の、ナポリ・マフィアを扱ったイタリア映画ゴモラ/Gommora にも、ドキュメンタリータッチな映像と、人々の生活の中で繁殖しているマフィアの描き方では似通ってる。だが、ゴモラには主役はいなかった。いや、主役はナポリ・マフィア自体で中心人物はいなかった。
プロフェットで主人公マリックを演じる(カナル・プルスのTVシリーズ物に出ていたそうだが)、監督に見出された新人タハール・ラヒム/Tahar Rahim の野生とイノセントと直感をそなえた色気がいい。
入所したての若い彼に、コルシカ・マフィア告発をした一時入所者のリイェブ(Hichem Yacoubi)
を暗殺するように命令する監獄のドン、セザールを演じるNiels Arestrup(コルシカ・マフィアの黒幕役のこの人、実はデンマーク系パリ人だそうで名前読めない)が重くてはまり役。タハールの軽さとのコントラストが微妙な対決図を作り出している。
マリックは、はじめはそのコルシカ・マフィア親分の庇護を受けて生き延びるわけだが、決して自分のニュートラルな内的ポジションは変えず、彼独自の人脈を築き上げ、刑務所内学校でフランス語を学び、経済を学び、独学でコルシカ語もこなし“力”をつけていく。小学校一年生用の教科書を食い入るようにして見入るマリックが「canard(カナール/アヒル)」と初めて読むシーンは感動的。
同時に、この映画はタブーだった刑務所内部の様子を、徹底したリアリズムで見せているわけで、それは悪名高い仏刑務所の過密や汚さばかりではなく、ドラッグ、強姦、売春、暴力、内部抗争、看守をはじめとする管理側の腐敗、密売網etc.におよぶ。どこまで行っても正義の見つからない男の世界である。たとえば、「力が正義」であると仮定すれば、それをそのまんま映像にしたような作品だ。
マリックは刑務所内から外界マフィア抗争に介入するセザールのオーダーに従いながらも、しだいに刑務所内に勢力を広げるバルビュ(あごひげ;ムスリム系)と影で手を組み、自分たちのドラッグ・ビジネスも展開し、やがてはセザールを裏切り自ら刑務所のドンとなっていく。(マリックの“手腕”は、映画を観て確かめてください。)
かみそりで暗殺したはずのリイェッブが、大体読み書きを学ぶようにマリックにすすめたのも彼なんだが、マリックの守護天使風に時々独房に現れる。そういった幻想シーンや、鉄格子の向こうに降る雪、一時出獄の時に眼にするおもての光や街の風景、赤ん坊や、マルセイユの海辺のシーンのリリックさがハードボイルドで暴力満々の2時間半にシンコペイションを与えている。また、マリックとセザールの他にも、渋い脇役たちが味のある演技をしている。
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んー、TVのプリゾン・ブレイクも見てないからなんともいえないけど、加速度とかは案外近年のアメリカTVシリーズに近いのかも。痛いところは個人的に苦手でも、構成と、俳優たちの演技と、細部でのリアリティ度はさておきサスペンスとアドレナリン度をギリギリにまで上げさせるテクニックはたいしたもんだ。
なお、オディヤールはこの映画の続編を作りたいと言ってるらしいし、批評家たちの評価は高いし広告にも力入れてるにしても、実際に観客がつくかどうかは別問題だろう。大衆受けするスターは不在なうえ、トム・クルーズとかジェイミー・ホックスの出るアクション映画みたいに見終わってスッキリできなる映画じゃないからね。あくまでdur dur な作品なのである。硬派むき、21世紀のネオ・フィルム・ノワールだ。
テレラマの批評にもあったけれど、この映画は、法を犯したものが収容される刑務所内の無法性というパラドクスと、変わり続ける状況を受け入れながら適応性と学習を通してしだいに“隠された法”を把握し、やがては権力を得るまでにいたる「新しい人間」の話である。