まず地球のこと:
15年ほど前のことだろうか、某石油企業に働いていた友人から『中国国民が自転車を小型バイクに乗り換えただけで、地球大気汚染は後戻りの出来ない状態になる。』といった報告書の話を聞いた。そして15年が経った。
相変わらず地球温暖説は日本ではあまり人気がないようだが、今冬の日本大雪を見ても、繰り返す欧州・アフリカの洪水と日照り現象を見ても、またアフリカのエピデミー/伝染病の起こり方の変容(マラリアの流行季節変化等)を見ても、アルプスや南極の氷の解け具合を見ても、どうしたって地球大気の温度は上昇しており、何でもかんでも燃やすことで生計を立てている人間(燃やすことの出来る地区および層の)の営みが、公害いかんを問わず、地球大気と海水温度を上げる原因の一端をなすことは誰も否定は出来ないのだよ。
さて、中国は世界の工場としての使命を見事に果たしている。そして世界第四位の経済国になり(ランク付けに自信なし)、世界第二の汚染排出国(ランク付けに自信あり)となった。中国に資本投下しているのは米国・日本・ドイツ・フランス等の企業だが、中国製品を多く消費するのは(我等)貧乏人である。
そんな経過で中国では原油不足となり、アフリカ大陸に原油をはじめとする資源を求めるようになった。他の大国並みの“繁栄”を目指す中国とその国民に、省エネや代替エネルギー開発や汚染管理を要求してみても始まらない。中国産製品を必要としているのはわれわれだからだ。
原油供給をロシアばかりに頼るのは莫迦であろう。イラク攻撃に至った経過を見れば、誰もが中東原油には依存したくはない。旧英国領を別とすれば例外は日本であるが。
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私の大まかな歴史観でいえば、19世紀は蒸気機関と神からの逃走/あるいは神の否定からの逃走、そして植民の時代であった。20世紀前半は戦争と亡命、20世紀後半は代理戦争と難民と“科学”の時代であった。資本主義勝利の時代でもある。フリーダム。
そして21世紀は? まずは失業の時代であろう。そして収入格差の増大。言い換えれば株式取引の活発化とM & A の繰り返しに伴って(本来は分配されるはずであった)富の集中化が加速する。同時にワーキング・プアーと呼ばれる人口層が大国都市部で生まれる。
“第3世界”では共産勢力の消滅から、過去の拮抗パワーバランスが崩れた。特にアフリカ大陸では貧困を土台に、権力の不在あるいは不能から起こる部族・氏族間抗争の上、資源を求める大国からの資本・軍力・経済援助が問題をさらに複雑化する傾向さえ見て取れる。
他方では、新しい形での植民戦争がイラク、チェチェン、イスラエル・パレスティナで繰り広げられている。だが、植民地政策が明らかにペイしないという事実を裏付けたのがかつての米国の経済台頭ではなかったのだろうか? また疲弊しきったイスラエルは、ガザ地区からのコロン/植民撤回という演出をせざるを得なくなった。( ガザからの8000人退去には6万人のイスラエル兵が動員され、世界中から8000人のジャーナリストが集まった。しかしパレスティナ人居住区を囲い込む壁建設は続いており、同時にウエストバンドでの植民も引き続き行われている。)
職を求めて荒れた国を逃れるのは難民ばかりではない。本来ならば国家建設をになうべき高等教育を受けた、あるいは海外留学した若年層も、より良い生活を求めて大国に生活の根を下ろす。逆に開発国からは企業や資本、一蓮托生起業人や観光人が旧第3世界を目指し、津波にあったり人質になったりヒューマニタリアンや傭兵やサポセン管理人になったりする。これがグローバリズム。
失業という病がナショナリズムという併発病をもたらすのはよく知られた現象である。だが、惜しむらくは、人間とは忘れることにかけては卓越した生物であることだ。あるいは“恥”という概念を持つ生物であり、自分に都合の悪い記憶は忘れるわけだ。
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さて、仕事の関係上、日本政界のプリンス某氏とその御一行様パリ滞在に遭遇した友人の伝によると、プリンスと御夫人はさすがに気品と、気品の要求する無関心さとを持って行動していたが、同行するサポーターの皆さんはかなり、、であったと言う。母国の上流と下流との格差は単に短期的“金”の問題にすぎないと思える。文化資産なるものが現在でも存在するのかどうかは分からないが(少なくとも私は所有していない確信はあるにしろ)、日本で“文化資産”を最も保有する層とは、限定付きでの大学人と他でもないニートでオタクな下流人であるだろう。
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フランスにおいては、失業問題は最もビュルネラビリティの高い移民と移民系若者、とくにバンリュウに住む人々をまず襲った。しかし犠牲者は彼らだけではない。郊外ゲットーの外にも、人口マス内に散らばる形で、アーティスト・低学歴者・教職員およびアシスタントの一部・シングル・マザー・外国人等が、また相次ぐ解雇に伴って放出された元管理職が一般職に就く関係でこんどはトコロテン式に一般職が臨時職に就き、そして臨時職が失業のブラック・ホールに落ちていく。Ainsi de suite....
たとえば仏大企業を支える株主には、もちろん米国年金ファンドを含む多国籍資本の占める割合が多い。つまり、仏国民があるいは政府がどう考えようとも、仏国経済再編成は進む。国営企業や国が何割かの株を所有する企業にしても、国際競争に生き残るにはインターナショナルなストラテジックマネージングのトレンドに遅れは取れない。(ところで、いつの間にか仏企業家の英語能力は向上した。) いずれにしても出血は止まらないだろう。
だが、出血をそのまま放置する行為は政治ではない。諸問題への政府の具体的対応によって、つまり可能な法規制・社会政策・教育と研究・年金と健康問題・経済等々の政策面と、政(まつりごと)としての政府パフォーマンスの質によって、やってくるだろう未来は大いに違ってくることを忘れてはいけない。
資本が政治体内にみごとにパラサイトした時、世界資本主義ロジックはその姿を現す。
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そして、blogsphere/ ブログスフェール左翼にあしたはあるのか?ないにしてもかまったことか。いずれにしても黙ってみている余裕などないのだ。まずは政治を逆パラサイトすべきである。
参考:ネブロ・アーカイヴより
パラノイア国家の保守革命と、棄てられた社会政策
京都議定書をめぐる、ね式グルグル思考
共同体のフォンダモンタルが消費という社会活動に集約されてしまっている、と考えてめまいに近い感覚に襲われる
追記:読み返したらひどく無残な文章だったので、翌日手を入れました。