“記憶”について書こうと思ったんだけど、の続きです。
"Je suis le dernier des grands présidents... Enfin, je veux dire, le dernier dans la lignée de De Gaulle. Après moi, il n'y en aura plus d'autres en France... A cause de l'Europe... A cause de la mondialisation... A cause de l'évolution nécessaire des institutions..."
「私は最後の偉大な大統領だ。。。つまり、ド・ゴールの後継者としての意味でだが。私の後、フランスにはもう出ないだろう。。。ヨーロッパの、グローバリゼーションのために。必要とされる制度改革のために。」
これはル・モンド記事冒頭に引用されている、Benamouの本からのもの。こうミッテランが本当に言ったのかどうかは別として、“君主”ミッテランの予言はある意味アイデンティティ喪失症候群に罹った風情のフランスには良く似合う。
ミッテラン死後10周年で、多数の文献・証言、ドキュメンタリーが流通しています。私がフランスにやって来た時ミッテランはすでに大統領だった。当初はさほど気にもしていなかったわけですが、ル・モンド集中読み(といっても当初は読める記事量も微々たるものでした)で仏読解力習得したようなもんなんで、いつのまにやらミッテラン批判は門前の小僧的に学習いたしました。当時の自分はどちらかというとロカールに近かったかな。
さて、今何故ミッテランなの? まあ、現大統領の影が薄い(支持率20%だったか)。サルコジに継ぐネタ。ヌーベロプスとしては2007年大統領選に向けた候補者地固めってな線もあるでしょう。いずれにしてもミッテラン、話の種が尽きない人物であるのは確かです。その影響力を受けた人間は左派陣営ばかりではないし、だいたい人間ミッテランについて書かれた本がすでに190冊を超えているってのも尋常じゃない。
今でも覚えていますが、テレビ演説があると翌日の新聞の演説文の下に“解説”が載った。つまり解説がないと何言ってんだか分からなかった、というサルコジの正反対みたいな雄弁家でした。
好き嫌いは別にしても、ミッテランの君臨した14年間(1981-1995)のフランスを考えるにしても、またヴィッシー政権下の(影の)フランスを知るためにもミッテランはキーパーソンなんだよね。作家マルグリッド・デュラスとの不思議な交友もこの頃始まっています。
ドキュメンタリーやさまざまな人間に証言に良く出てくるキーワードは以下、
romanesque /小説のような、か
monarchie /君主制度
contradictoire /矛盾する、自己同一してない
paradoxal /逆説的な
secret /秘密
machiavérique / マキャベリック
また権力に対する執念や自分の死後の名声に対する執着も凄い。たしかに“伝説化”を耐えられる人物ではあるな。当時のコラボする美女達のほとんどが愛人だったとか、ミッテランをめぐる自殺者の多さもミッテラン伝説の一部をなしてますね。まさにロマネスクです。
けれど、実際私がもっと知りたいのはミッテランと“社会主義”の本当の関係。ド・ゴールを超えるためにミッテランは現在の社会党を創立したのか、あるいは社会主義が戦争を経験したミッテランの思想帰結だったのか。どうもここら辺に今の社会党の腰の弱さの原因があるように思えるわけです。同時に、(長期的には不可能だったにせよ)左派連合を成立させたミッテランの手腕は右に並ぶものがない。結局、癌と戦いながら大統領を二期勤めたんですね。大物ではあります。
参考記事
極めて批判的リベの
La France plus que jamais tontonmaniaque
トントンマニアックになったフランス
Le droit de se taire
黙る権利 (エディトリアル)
ゴシップ系
La second famille de Mitterrand - Derniers secrets
ミッテランの第二の家庭 - 最後の秘密(エクスプレス誌)
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