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ブッシュ再選後の年頭一般教書演説もさらっと目を通した。ライス新国務長官のパリでのディスクールも仏プレスでフンフンと読みました。で、今、ネコヤナギが知りたいのは現時点でもあの、そうです、ネオコン軍団がブッシュ政権の頭脳として機能しているかどうかである。(だって、どうしても世界民主革命を急ぐあの方々にはネオコンのかほり、)
まずはググルった訳ですが、日本サイドではたいした情報は見つからない。日本語なら、読むのもコピペも簡単だしというイージーゴーイングは果たして報われなかった。ネオコンの思想基盤はニーチェだと断言なさる“専門家”の方がおったが、そりゃないでしょう。ニーチェ・アレルギーではあるが、ツッラトストラの作者に対する畏怖と尊敬ぐらいは私だって持っている。単にネオコン師匠のシュトラウスの観念論性とかネオコンの理想主義ムードで言えばイコールになるのかもしれないが、これでOKなら哲学なんて簡単だろうさ。さすが田中う氏のサイトは参考になります。几帳面な人ですが、データベースを自分の分析に持ってく時のぎこちなさは、やはり若さか(年はとったほうが良い場合もあるのだ)。
前書きが長くなってしまった。本家ググルではこんなのがあった。クリスチャン・サイエンス・モニター誌のweb版ですから信用はできますね。『あなたはネオコンか?クイズに答えて自己判定』 質問がやたら長いし、私はどっちにしても民主党も共和党も支持してないし、ただ反ネオコンなだけです。土.日にすること無かったらやってみよう。ネオコンワッチなんてのも見つかったが、サイト数は多くても実が少ない。民主党支持者にはつらい季節だな。真面目にネオコンメンバーのつながりをたどったサイトもあったが、やたらインサイダー婚が多い。ネオコンは大家族である。大物の最近記事が見当たらないのは、もう旬じゃないからか、あるいはネオコン思想がすでにブッシュ政権全般に浸透・拡散したためか。
結局、某仏フォーラムから以前読んだル・モンドの記事コピペにたどり着いた、ちょっと古いが(2003年4月)。これによると、ネオコンは、国内モラル政策に関してはあくまで米保守右派の立場をとるが、経済面では自由放任リベラル、そして外交面では介入主義・パトリオティズムキャンペーン展開・予防戦略政策をとり、ニクソン・キッシンジャーのリアル・ポリティック外交の対極をなす。また、国連を生み出したウィルソン思想が多極主義であったのとは違い、ネオコンは米国の繁栄と軍事力の圧倒性によって世界に平和をもたらす、と信じている。。。この記事の最後には、ネオコンの思想とブッシュ政権内の南部系カトリック右派とのあいだにつながりはない、、とある。たしかに、2003年に時点ではそうだったのだろう。再選を勝ったカール・ローブはたしかにたいした宣伝マンだったわけだ。
と、久しぶりのネットサーフ(懐かしい言葉だが)ばかりで、何の成果もなく今日のエントリーは終わる。ネオコンとの付き合いはきっとまだ続くだろう。
投稿情報: 2005-02-12 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0)
大型ファイターがまた1人、この世界を去った。反ブッシュの星、インテリ・ジュイッシュ・ニューヨーカーの原型的めがね男にして、モンローの夫の1人、そしてあくまで自分の時代を背負った作家である。ル・モンドで知りました。合掌
投稿情報: 2005-02-11 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0)
まずはこれ、ウォーターゲート事件、米紙記者の取材資料初公開
【ワシントン3日共同】1974年にニクソン米大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件をスクープしたワシントン・ポスト紙記者の当時の取材資料が4日から、テキサス大で初めて一般公開されることになった。ただ、貴重な取材源で「ディープスロート」と呼ばれたニクソン政権高官の特定につながる資料は、当人がまだ生存しているため公開されず、“謎解き”はなおもお預けだ。ロイター通信によると、事件を伝えたボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン両記者が「何が起き、われわれがどう取材したのかを、歴史に残す必要がある」として2003年、段ボール75箱分の取材メモなどを500万ドル(約5億2000万円)で同大に売却。資料には事件を暴く重要な手掛かりの一つとなった、ニクソン陣営の資金担当者の取材メモなどが含まれるが、「匿名」を条件に取材に応じた取材源については本人が死亡するまで公開しないとの条件を付けた。72年の大統領選で、再選を目指したニクソン陣営がウォーターゲート・ビルの民主党本部に侵入した事件の背景を当時、若手だった2人が徹底的に調査。「調査報道のかがみ」として高い評価を受けている。
ル・モンドの記事はもっと突っ込んでいる。フランス語のスロートはゴルジュ/gorge なんで、それをひねくった "George profond"(ディープ・スロートは仏語ではゴルジュ・プロフォンとなる)てのが記事のタイトル。もちろんこのGEORGE はジョージ・パパ・ブッシュのことである。
記事によると、ニクソンを追い詰めたワシントンポストの記者ウッドワードとバーンスタイン(映画『大統領の陰謀』の中ではダスティン・ホフマンとレッドフォード)に情報提供したコード名ディープスロートというインサイダーはパパブッシュだと主張するジャーナリストがいる。このジャーナリストAdrian Havill はウッドワードとバーンスタインの伝記を書いた人だが、彼は、ジャーナリスト嫌いで有名なパパブッシュ氏が、72年当時ウッドワードからの7時間のインタヴューを受けていた事実を数年前に探り出した。ニクソンはパパブッシュが望んでいた役職(法務次官と副大統領職)を2回にわたってわたって拒否。これを根にもったパパブッシュは寝返ってワシントンポストに垂れ込んだ、、というのが彼のたてるシナリオである。
72年当時、パパブッシュは米国連大使のポストについている。ニューヨークの国連に勤務し、どうやって同時にワシントンの地下パーキングのディープ・スロートもやってられるわけー? という大きな疑問について、ハヴィル記者は、ウッドワードとディープスロートの密談は7・8回にわたって週末に行われたが、当時パパブッシュは各週末ワシントンの自宅に帰る習慣があったと答えている。
*
しかし、やがて私は、ジャーナリストの鏡であるウッドワードとバーンスタイン組のゲットした500万ドルに、私の心が奪われてることに気が付く。イケナイ。イヤシイ。貧乏は人類の敵である。でも『ブッシュの戦争』もよく売れたはずだけどなあ。
投稿情報: 2005-02-11 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0)
チャールズ王子56歳、とカミラ57歳、が30年の交際歴ののち結婚する。以下はリべラシオンの、パワードbyREUTERSから拾った、1997年のダイアナ死亡以前の三角関係語録。シビアで、かつ自己検閲したいほど下品な部分がありますが、そこはそれ、報道の自由を守るため検閲なしですので御理解ください。
・パノラマというTV番組、ダイアナは夫の不倫に関して『この結婚は3人からなっている。どうしても1人余分です。』
・カミラからがダイアナへの言葉 『あなたは、欲しかったものすべてを手に入れたでしょ。世界中の男があなたに恋しているし、素晴らしい子供も2人。これ以上何が欲しいって言うの?』
ダイアナからカミラ 『私が欲しいのは私の夫です。』
・チャールズからカミラ(キャッチされてしまった電話の会話) 『君の身体を手探りたい、身体全体を、下から上まで、内側も外側も。ああ神様、僕は君のパンツとかそんなもんの中で生きていたい。そうしたらどんなに簡単だろう。』
カミラからチャールズ 『何になりたいですって?パンティになりたいわけなのね、あなたは。』
チャールズ 『それか、神さまが許してくれたら、タンパックスになりたい。』
カミラ 『お馬鹿さん、なんて素晴らしいアイデアなの。』
(ね式コメント、こんな品のない翻訳をしたのは生まれて始めてだと告白したい。)
・1971年(ポロ試合での出会いから1年後)、ロンドンのとあるディスコでの会話。
カミラ 『私の曾祖母はあなたの曽曽祖父の愛人だったわけだけど、私たちは何すべき?』
*
はあ、大変です。今回の結婚はイギリス王室正統性のおしまいの始まりか、ってなエントリーを考えてたんですが、翻訳していてすっかり気が抜けた。で、このエントリー、これにて終了。
ライス新米国務長官訪仏の際の発言を見ると、先日のブッシュ米大統領の年頭一般教書演説での内容が実際の外交面でも引き継がれているように見える。しかし、こりゃ本気なのだろうか? ことによると、言ってる当人たちも信じてはいないかもしれない(言ってみただけ、という線はある)。
どこまで外交相手がこれらのプロポーズに乗ってくるか、そしてどの段階までイラクでの『民主主義への戦い』に海外勢力を引っ張り込めるのかによって、これからの米外交のアウトラインはしだいに具体化していくのだろう。同時に米国内の現政権への批判を抑えるために、仏独露との急転した関係緩和はいいショウアップになる。実際の関係が良くなったのかどうかは別問題だ。
前回エントリーであげた『ロシアを許し、ドイツを無視し、フランスを罰する』というライス女史の言葉は今から1年半前に発せられている。8日付けNYタイムスのエディトリアルで国務長官デビューツアーに同行するジャーナリスト Elaine SCIOLINO は『フランスは今、どうやってブッシュと共存するべきか苦闘している』といった内容のタイトルで記事を書いている。視点を変えれば、大西洋のむこう側では合衆国はどうやってオールド・ヨーロッパと共存するべきか苦闘していると見える。
たしかにブッシュ再選後のヨーロッパでの対米意識は大きく変わってきている。政府レベルでも国民レベルでも。ブッシュを好きにはどうしたってなれないが、ブッシュがスーパーパワーの親分であることは事実である。米国を相手にしなければ、経済も工業も研究面も世界各地の紛争解決も、国際刑事裁判所の運行も、エイズ対策も、国連運営も、エコロジー対策も何もかもストップしてしまう。
エマニュエル・トッドが描き、クルーグマンが危惧する米国の転落シナリオは? それがいつか現実化するにせよ、そこまで生き延びるためにはリアリズムを学ばねばならない。
私自身、ブッシュ政権政治を、それまでのクリントンに代表されるITに基盤を置いたオプティミズム政治への単なる反動と見ていた。アメリカ合衆国のもうひとつの顔、南部や内陸部のオールドアメリカの、新しい時代への(IT、ホモセクシャリティ、異邦人、グロバリゼーションなどに対する)恐怖が、ブッシュに政権を与えたが、その状態は一時的なものだと考えていた。しかし、ブッシュは再選された。ブッシュ個人の資質がどうであれ、政策やバックオッフィスメンバーの顔ぶれがどうであれ、彼がこののち4年間スーパーパワーのヘッドである事実は、受け入れる以外に手はないのだ。
もちろん、言うまでもないことだが、米政府の望むところをそのまんまフォローする馬鹿はいまい。国際刑事法廷や京都議決書、対人地雷禁止決議等々のフィールド上に米国を《招待》し、ネゴとコンプロマイズを重ねて行くだけだ。
経済面での協調の必要性もある。ユーロ高は欧州経済の足かせとなっているし、ドル急暴落あるいはウォールストリート暴落は、ビンラディンは別としても、世界の誰も望んではいない。先日話題になった大型エアバスにしてもパーツの40パーセントは米国メーカーが搬入している。望むと望まないにはかかわらず、世界は急激に狭くなってしまった。
確かに、米国と旧欧州を分ける越えられない分岐点はある。イラクへのドイツ・フランスの出兵は、米軍のイラク占領を(シンボリックとしても)終わらせない限りは不可能だろう。しかし先日のシリアにおける仏人ジハード要員が逮捕された件を見ても米情報局とDST(フランス情報局)が協働していると考えられるし、アフガニスタンでのラディン・トラックには仏特殊部隊が参加しているし、ドイツもアフガンに出兵している。イランへの米国軍介入を防ぐスクリーンとして英仏独は機能することが出来る。
そして何よりも、オールド・ヨーロッパに限らず、英国を含めたヨーロッパ世論が対ブッシュという局面で同じような反応を見せ、そして古い国境をこえた新しいヨーロッパ世論と言えるものを形作る契機になったことは重視していい。
それらの複合した条件下に、米国とフランスの《関係》は第2章に突入したのだ。
投稿情報: 2005-02-09 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0)
(記事のリンク先は一定時間以降、有料化します。また翻訳は英→仏→日ということもあるし、私の度量という限界もあるお仕事であります。あらかじめ御了承ください。)
ライス米国新国務長官がパリ入りした。とはいっても駆け足訪問で、前回エリザベス女王がパリのケーキ屋や花屋によったのとはチョイスが違った。45分間という短い時間ではあるけれども、シオンス・ポ(サイエンス・ポリティック、正式名称はIEP/パリ政治学インスティツーション)での演説と出席者からの質疑に答えるというものだった。アラブ世界インスティツーションでの講演もリストに上がっていたらしいが、結局この場所を選んだのはライス自身だったようだ。シオンス・ポはENAに入る前に政治界エリートが学ぶ仏グランゼコルのひとつ。カリキュラム内容の豊富さと必要とされる勉学量はフランスでも有名。しかし500人の招待者の多くは米国サイドがリストアップ。おまけに、当然セキュリティは米国からの持ち込み式で、コレージュ・ド・フランスやソルボンヌのように、学生も偽学生も気軽に入れるわけではない。
ラジオ(フランス・アンフォ)でこのコンフェロンスに参加した学生がインタビューに答えていた。
『マダム・ライスはチャームを振りまいていた。確かに(米対欧政策の)フォルム/形は変わったけれど、フォン/底、基盤が変わったかどうかはまだ分らない』と答えていた。
ル・モンドによれば、ライス国務長官のここでの発言は
『今は過去の対立を乗り越える時。我々の関係に、そして我々のアリアンス/同盟、に新しい章/チャプターを加える時。』
(ね式: なんかなー。アリアンスって婚約関係のことも差す。フランス=ロマンスの国って認識なのか、努力は認めるが。)
『アメリカは、より良いそしてより安全な世界を築くにあたって、強いヨーロッパというパートナーから得るものは多い。』
『民主主義的変化という目的実現のため、お互いがテーブル上にそれぞれのアイデア・経験・リソースを提出し、議論し、それらを使う最も良いやり方を共に決断して行きましょう。』といったもの。
ル・モンドが書いているように、実際この発言は今までのラムズフェルドの新ヨーロッパ、旧ヨーロッパといった発言、また米本土で繰り広げられたフレンチ・フライド・ポテトボイコット、フランス・ワインボイコットなどの動きとは雲泥の差がある。
ライス女史は『ロシアは許し、ドイツは無視、そしてフランスを罰するのです。』というミヤザキ的に怖い呪いを発した女性である。
今回の新規まき直し的発言が、実際の真実を語っているのかどうかは、ラジオでインタヴューに答えた若き仏エリート君が言うようにウェイト・アンド・シーするしかないのだろう。
さて、もう一方の役者、シラク仏大統領はどう反応しているのか。今月21日にブルッセルでのブッシュ米大統領との夕食会もすでに決まり、長い間(シラクのコールをブッシュは無視したという話はあるが、真偽不明)使われなかったパリ-ワシントンの電話対話も再開されたらしい。もう一度ル・モンドの記事を見てみよう。ライス女史との1時間にわたる懇談の後のエリゼ宮スポークスマン発表によれば、シラク大統領は『すべての国際問題に関して合衆国と建設的対話を持ち続けたい。』『(米国務長官との)会談によって、ブッシュ大統領のブルッセル訪問を視野にいれ、国際関係の大きな主題群の広がりを一望することが出来た。』とある。米仏の対立の原因であるイラクについて、大統領は国務長官に対し『フランスは1月30日に行われた選挙結果から生まれたプロセスをプッシュして行きたい。』『イラク国の安定と統一性を優遇したい。』と語ったそうだ。。。。
国務長官の今回のツアーは1週間でイスラエル・ウエストバンド・ローマ・パリ・ロンドン・ベルリン・ワルシャワ・アンカラ・ブルッセル・リュクセンブルグを回る。
もちろん今日のパリ訪問は米報道陣によって米国で生中継された。大学講堂での学生からの質問に答えて、新国務長官は『アラブ人民はもっとましな将来に値する。世界のこの地域が、自由がもたらす繁栄から取り残されるべきではない。』とも語った。
欧州と米国の新しい関係のね式読みは別エントリーで扱います。
追記 2005-2-14
ライス米国務長官のシオンス・ポでのコンフェロンスについてちょいと面白い話があるんでフォロー。
ル・モンドのおまけ的にジャーナリスト達のブログがあってそこから拾いましたが、質問コーナーで最初に質問した学生、実は現仏外相 Michel Barnier の息子だったとワシントンポストが報じた。ル・モンドがフーズ・フー(仏人はウーズ・ウーと発音するな)で調べたら、質問した学生は確かに Benjamin Barnier だが、外相の息子と名前は同じでも別人だと判明。ポストの記者は学生に名前を聞いたが、だれが父親かは聞かなかったようです。質問学生は外相の息子説でなんと、NYタイムスのモーレーン姐はコラム書いちゃったようである。モンド・ブロガーは《なんか、ブログの世界みたい》と書いてます。
投稿情報: 2005-02-09 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0)
ソンタグが3年の闘病ののちニューヨークでなくなったのは昨年12月28日、71才だった。tsunami大災害のネット情報とならんで、私のパリ症候群をもうひとつ厄介なものにした要因のひとつでもあるが、そんなことはどうでも良い(だいたい、クリスマス・正月に里にも帰らず空っぽのパリで暗い空を眺めている自分がいけないのだ)。
死因は白血病だ。一年ちょっと前に68才で亡くなったエドワード・サイードと同じ病気である。プレスを読んでいくと、ソンタグもサイードもキツイ抗癌治療を受けながら講演・旅行・執筆を死の直前まで続けている。去年末にはソンタグばかりではない、脱構築のデリダも亡くなった。石垣リンの一行の死亡記事も読んだ。おなじランクにはアップできない人物だが、アラファトも死んだ。そんなこんなで、去年の暮れは『年をとるってのは、死者を葬るということだったんですね。』と真顔で自分に言っていた。しかし大型ファイターばかりだな。
ソンタグの本をちゃんと読んだのは、フランスでは最後に出版された『他者の苦痛の前で』だけ。あとは新聞記事やネットに流通していた文章を読み、それから一回こちらのTVの討論番組で見ている。今から考えれば、番組当時はすでに病気を抱えていたはずだが、流暢なフランス語で米国政治のこと、メディアの流す戦争映像などについて仏知識人たちと活発な受け答えをしていた。
彼女は早熟な人で、飛び級を3回し16才で哲学専攻、パリ大学にも留学していたことがあるそうだが、映像で見るソンタグのスマートさ(頭の回転のこと)は普通ではなかったね。あの手のシャープさは一時のゴダール、これも一時的だが若いときのディランも見せていたのと同質のものだ。だが地球人にあらずと言ったフーコー風の冷たい知性でもない。
(読んだ文章と混ざってる可能性はあるけど)記憶に残っている発言の内容としては、
『私はいつも私の考えが間違っているのではないか、と心配になる。決して100パーセント確信は出来ない。』
『私たちの現在というのは結局、資本主義の発達歴史の真ん中ぐらいに位置するのではないか。これから資本主義はもっと先鋭な形でその姿を見せるんじゃあないかと考えている。』 といったものだった。
そして、本『他者の苦痛へのまなざし』に示されているのは、ゴヤの虐殺描写作品から現在まで、絵画・写真・TV映像と言ったイメージ自体が、それを利用しようとする政治的意図にもかかわらず、見るものに他者の痛みを伝え続ける事実に他ならない。メディアがスペクタクル化、あるいはエンターテイメント化した時代に、ニュースソースであるイメージがどういった情況で誰によって写され、どんな経過で私たちのもとまでやってくるかについての議論も推敲ももちろん重要である。しかし、我々の感性を激しく打つ、他者の痛みが現実として存在る以上、私たちはその痛みを引き受ける以外にすべは無いと言うことだ。
ドイツの美濃口さんも同じようなこと書いていたけれど、これまでのように世界で何かが起こったとき、あくまで自己の感性を武器に戦っていたソンタグの怒りのこもった、しかしスパっと切れ味のいいキラーコメントが読めなくなったというのは本当にさびしい。
リベラシオンの記事によると死の二週間前のソンタグは写真家Dorothea Langeが書いた第二次世界大戦時の米国日本人隔離収容所の本を読んでいたそうだ。
関連参考記事 リベラシオン
ニューヨークタイムス
追記 2005-02-12
2月の雨降る土曜日のけだるい昼飯後、安ワインを飲みながらなんとなくラジオのフランス・キュルチュールにチューニングしてみた。こんなことは2・3年にいっぺんであるかないかだが、番組《自由ラジオ》--テーマはスーザン・ソンタグ--にぶち当たる。
彼女の声も聞けたし、なによりソンタグが戒厳令下のサラエボでベケットの戯曲《ゴドーを待ちながら》を演出した周辺細部を知りえた。当時のサラエボで演じられたアイルランド・レジスタンス/ベケットの芝居が、あくまでリアリズム演劇として受け入れられていたというのは感慨深い。
またソンタグがボードレール、サルトル・ボーボワール、イヨネスコ、ベケット、デュラス、(ね式記憶が正しければ、ドアーズのJ・モリソン)達が眠るパリ・モンパルナス墓地に葬られたこともはじめて知った。
ミラーの《セールスマンの死》これはDホフマン主演、《ゴドーを待ちながら》、なにやらこのブログ、20世紀大回顧展になりつつあるような。それもいい、飴製TVシリーズ見んと劇場に出かけるのも21世紀をかわす一方法ではある。
投稿情報: 2005-02-08 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (4)
まあ、20年も島流し状態にあるにもかかわらず、私の日本語がどうにか通じる事実が注目に値するかもしれない。ネットもあるし、海外電話も安くなったし、最近日本人多すぎのおパリですから普通である。しかしだね、困った情況がしばしば起こる。『はっ』としか対応できない状態に陥る。
原因1 フランス語で言うアブレジェ、(単語の短小化か)マクドナルドをマックとかマクドとか呼ぶアレです。
例 ケイタイ:慣れた ミスド:覚えた(食べたいもん) コテハン:解説読みました イケメン:ワカイコに聞いた サポセン:日本のココに電話する機会はほとんど無い etc.
原因2 現存の日本語を使わず英語というより英語から来たカタカナ表記・発音になってる。対応する日本単語が無い場合もある。英語系の場合、近しいフランス単語では発音が違うので困る場合が多い。あるいは発音不能に陥る。
例 マニュアル インセンティブ メトロ(まあメトロと言うのはパリのメトロポリタンから来てるから許してやる)
原因3 こんなの分りません。こんなの英語でも日本語でもホンジュラス語でもありません。
例 ホームセンター イメージ マイブーム ホームページ
派生として:本来の使い方から外れて用いられる言葉、 癒し、など。
問題は原因3である。これははっきり言って見るたびに腹が立つ。どうにかしたい、社会心理学的エッセイだって書けそうである。書かないのは自分がヘタレた人間であるからに過ぎない----ところでこの《ヘタレ》という言葉はおおいに許している。だってヘタレ状態に適する形容詞ってなかなか見つからない。シオシオノパーというのがね式の少年時代にはあったな、そんくらいだ。
また横道にずれたが、要は帰国時自宅の時差ぼけ状態のリヴィングルームで(茶の間と書きたいが、まだ生きてる御先祖が勝手に建て直してしまったのだ)じんわり幸福をかみしめながら広げる朝日新聞の、といっても私はプロ中国でも反日でもなんでもないんだが(子供の頃から読んでたコレが一番うれしい)本物の紙のおまけに配達してくれる朝日新聞に挿んである広告に、一杯この手の許せん言葉が並んでおる。
たとえばマンション(この言葉も気に喰わん、アパートだろが早い話、なにがメンションだ)の広告にホームセンターまで車で5分、とかあるわけです。この《ホームセンター》は理解できるまでに時間がかかった。ショッピング・センター、ショッピング・モールでしょ英語圏では。フランス語ではソントロ・コメルシアルみたいな音になるが要するにコマースのセンターだ、論理的である、やはりデカルトの国である。
しかしホームセンターには悪意に近い意図が感じられる。言ってみれば近代個人主義から資本主義中期後半の消費過剰主義に移行した日本の状態をよく体言する言葉である。つまり、近代における個人意識の基盤としての家庭=ホーム(注1.)という、ポストモダン言語でいえば、幻想としての世界の中心かつ価値のベースであるはずの"現実"家庭が、TVに出てくるような"理想"家庭になるためには、ショッピングセンターに行ってピカピカの素敵な家具や観葉植物や電気製品や小物を買うというそれまでのシェーマ(図式)自体が、いつの間にか現存の価値形態から乖離したと言う事だ。
乖離してどうなったのか。個人は家庭から消滅し、ショッピング・センターに引っ越した。人々はもうめんどくさいので、ホームセンターに常駐してるのだ。言い換えれば、個体としての人間自体は枠としての家に住み続けてはいるのだが、個人意識のほうは集団で新しい家庭=ホームをショッピングセンター内に作ってしまったのである。
個人、あるいは消費者は製品のストック場である家からホームセンターに出かける。理想の家庭はこれから買うピカピカの製品で組み立てあげる《リカちゃん》の家ではすでになく、理想の家庭/ホーム/基盤とは永遠に選び続け、永遠に買い続けることのできるセンター、ホームセンターなのである。楽天やeBayやヤフオクに常駐する例はこのヴァリエーションと言えるだろう。近代個人主義は実にすでに終わっていたと言っていいと思う。
付け足せば、例に挙げた《マイブーム》というのも同質の変形パターンであって、元来多数の個人がある対象に入れあげる状態をブームというのだが、これをたった一人でやってしまう。個人と集団の入れ違い、あるいはすれ違い、またはねじれが起こっていると考えられる。
こういったひねり型乖離は浦島状態の自分には案外簡単に見つかる。言葉《イメージ》の誤用もそれである。イメージという言葉は本来ある映像をさす(これは念のために書いておく)。物や人や現象なりを表す絵なり写真なり、あるいは心に浮かぶ映像がイメージであろう。しかし、ファミリーレストラン(ここにも。これは人が家からショッピングセンターに移行する時間モデュールにおける中間点だな)の広告写真に、『これはイメージです』とか説明書きがあって、これも最初は分らなかった。
写真はイメージ/像である。なにも説明する必要は無い。そのうち、実際に買った商品と広告写真との間に差があった場合の消費者からのクレームをかわす手段であると、さすがの私にも分ってきた。たぶん訴訟王国アメリカ合衆国でも同様な事例がすでにあって、それがまんま日本に上陸したと考えるのが妥当かもしれない(現地調査に行く暇も金も無いのが残念だが)。
説明書きの必要な流れはわかる。しかしやっぱり《これはイメージです》とイメージに書き加えるのはなんとも情けない話ではある。が、この例は、手に入れなきゃいけない=売らなきゃいけない消費物の包括する過剰価値(イメージ)と実際の商品現実との間の差異の問題を良く表している。
大体が、貨幣というものも表象が一人歩きしちまった商品であるのだから、貨幣/円の実際のヴァリューが変動しっぱなしの昨今、それが体現してきた神話を商品自体が担うようになったと考えることも出来る。ステータスシンボルのグッチなりエルメスなりをヤスオクで格安にゲットしても、そして格安で買ったことを他者に言っても言わなくても、シンボル=エルメス自体に価値があるのだから、そして私はエルメスを持つ価値のある人間なのだから、おkなのである。
見せびらかすべきステータスは過去のように、貴族の持つ階級でもブルジョワの持つ金/マネーでもなく、単に商品/消費物なのである。そしてステータス/商品の流行サイクルは意図的にどんどん短くなっていく。わたしが暫定的に《消費過剰》主義と読んだのは、消費先進国日本を回転させているシステムのことだ。
これまでの例とは若干くい違い度のことなる《癒し》という動詞については後の機会に書いてみたい。
でも予告 【でもいったいなにから癒されたいのか?】
注1. これは米式シット・コム 古くは“奥様は魔女”“ゴッツビーショウ”、家族幻想崩壊後は“フレンズ”“セックス&シティ”等々が見せつける明るくオープンな、あの家庭である。まあ明るくオープンじゃなくちゃTV映えしないし番組内で紹介する製品もピカピカに買いたくなる風ではない。和式で言えばあの《サザエさん》と東芝の関係である。
投稿情報: 2005-02-07 カテゴリー: Economics/経済, Japonais/ 日本語 | 個別ページ | コメント (1)
大変です。
IP利用の電話サービス VoIP には通話が途切れる、あるいは電話が爆発する(!)危険性があると米国政府が発表したそうな。
ガクガクブルブル。仏国内電話フリー、携帯・海外通話も安いんで我が家はこれに変えたばっかり。元記事はファイナンシャル・タイムズです。
投稿情報: 2005-02-06 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0)