ソンタグが3年の闘病ののちニューヨークでなくなったのは昨年12月28日、71才だった。tsunami大災害のネット情報とならんで、私のパリ症候群をもうひとつ厄介なものにした要因のひとつでもあるが、そんなことはどうでも良い(だいたい、クリスマス・正月に里にも帰らず空っぽのパリで暗い空を眺めている自分がいけないのだ)。
死因は白血病だ。一年ちょっと前に68才で亡くなったエドワード・サイードと同じ病気である。プレスを読んでいくと、ソンタグもサイードもキツイ抗癌治療を受けながら講演・旅行・執筆を死の直前まで続けている。去年末にはソンタグばかりではない、脱構築のデリダも亡くなった。石垣リンの一行の死亡記事も読んだ。おなじランクにはアップできない人物だが、アラファトも死んだ。そんなこんなで、去年の暮れは『年をとるってのは、死者を葬るということだったんですね。』と真顔で自分に言っていた。しかし大型ファイターばかりだな。
ソンタグの本をちゃんと読んだのは、フランスでは最後に出版された『他者の苦痛の前で』だけ。あとは新聞記事やネットに流通していた文章を読み、それから一回こちらのTVの討論番組で見ている。今から考えれば、番組当時はすでに病気を抱えていたはずだが、流暢なフランス語で米国政治のこと、メディアの流す戦争映像などについて仏知識人たちと活発な受け答えをしていた。
彼女は早熟な人で、飛び級を3回し16才で哲学専攻、パリ大学にも留学していたことがあるそうだが、映像で見るソンタグのスマートさ(頭の回転のこと)は普通ではなかったね。あの手のシャープさは一時のゴダール、これも一時的だが若いときのディランも見せていたのと同質のものだ。だが地球人にあらずと言ったフーコー風の冷たい知性でもない。
(読んだ文章と混ざってる可能性はあるけど)記憶に残っている発言の内容としては、
『私はいつも私の考えが間違っているのではないか、と心配になる。決して100パーセント確信は出来ない。』
『私たちの現在というのは結局、資本主義の発達歴史の真ん中ぐらいに位置するのではないか。これから資本主義はもっと先鋭な形でその姿を見せるんじゃあないかと考えている。』 といったものだった。
そして、本『他者の苦痛へのまなざし』に示されているのは、ゴヤの虐殺描写作品から現在まで、絵画・写真・TV映像と言ったイメージ自体が、それを利用しようとする政治的意図にもかかわらず、見るものに他者の痛みを伝え続ける事実に他ならない。メディアがスペクタクル化、あるいはエンターテイメント化した時代に、ニュースソースであるイメージがどういった情況で誰によって写され、どんな経過で私たちのもとまでやってくるかについての議論も推敲ももちろん重要である。しかし、我々の感性を激しく打つ、他者の痛みが現実として存在る以上、私たちはその痛みを引き受ける以外にすべは無いと言うことだ。
ドイツの美濃口さんも同じようなこと書いていたけれど、これまでのように世界で何かが起こったとき、あくまで自己の感性を武器に戦っていたソンタグの怒りのこもった、しかしスパっと切れ味のいいキラーコメントが読めなくなったというのは本当にさびしい。
リベラシオンの記事によると死の二週間前のソンタグは写真家Dorothea Langeが書いた第二次世界大戦時の米国日本人隔離収容所の本を読んでいたそうだ。
関連参考記事 リベラシオン
ニューヨークタイムス
追記 2005-02-12
2月の雨降る土曜日のけだるい昼飯後、安ワインを飲みながらなんとなくラジオのフランス・キュルチュールにチューニングしてみた。こんなことは2・3年にいっぺんであるかないかだが、番組《自由ラジオ》--テーマはスーザン・ソンタグ--にぶち当たる。
彼女の声も聞けたし、なによりソンタグが戒厳令下のサラエボでベケットの戯曲《ゴドーを待ちながら》を演出した周辺細部を知りえた。当時のサラエボで演じられたアイルランド・レジスタンス/ベケットの芝居が、あくまでリアリズム演劇として受け入れられていたというのは感慨深い。
またソンタグがボードレール、サルトル・ボーボワール、イヨネスコ、ベケット、デュラス、(ね式記憶が正しければ、ドアーズのJ・モリソン)達が眠るパリ・モンパルナス墓地に葬られたこともはじめて知った。
ミラーの《セールスマンの死》これはDホフマン主演、《ゴドーを待ちながら》、なにやらこのブログ、20世紀大回顧展になりつつあるような。それもいい、飴製TVシリーズ見んと劇場に出かけるのも21世紀をかわす一方法ではある。
私がスーザン・ソンタグさんを知ったのは、今年2月の朝日新聞における追悼文によってでした。その内容がとても刺激的だったので、ウェブ・サイトを検索してソンタグさんのことをもっと知りたいと思いました。彼女は若い読者へのアドヴァイスという文章を残していますが、その中に、「人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められて来たかの軌跡です。」「傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。・・・そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、自らの生を狭めてはなりません。傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。それはあなたを生き生きさせます。・・・」というような輝く言葉が散りばめてありました。私が彼女の存在を知ったのが、彼女への追悼の文であったのは、残念ですが、彼女の生きて歩んだ奇跡を今からたどって行きたいと思っています。<スーザン・ソンタグはやはりもう生きていないのだった。>を興味深く読ませていただきました。パリでの現在の生活が、さらに豊かに血肉化されますように。澤井雅子
投稿情報: 澤井雅子 | 2005-04-07 06:56
雅子さん、こんにちは。
私自身彼女の言葉を意識し始めたのは彼女がこの世界にいなくなってからです。NYタイムスに載った長い記事《Regarding the Torture of Others》、英語ですがソンタグの身体性とでも呼んだらいいのでしょうか、魂から直接発せられたといった感のある文章が読めます。
http://www.nytimes.com/2004/05/23/magazine/23PRISONS.html?ex=1400644800&en=a2cb6ea6bd297c8f&ei=5007&partner=USERLAND
感性/センシヴィリティ、というのは西欧では影響されやすい・あるいは弱いといった形容詞と一緒に使われて否定的な意味合いも強いのですが、彼女はその感性・想像力を目一杯駆使していた。それはある意味、身体(カラダ)を張ったキツイ仕事だったとも思いますが、八方塞なこの時代に抵抗/レジスタンスするにはこれしかないんじゃないか、と考えてます。
投稿情報: nekoyanagi | 2005-04-07 14:45
はじめまして、パリに住むチーウヨという者です。
ジム・モリソンの墓は、モンパルナスではなくペール・ラシェーズのほうにあります。
そこにいくと今でも多くのファンの人たちが、ちょっと怖い雰囲気を漂わせて彼の音楽をかけたり、タバコなどを彼の墓に供えてたりしています。
ちなみに近くの売店(花屋)などでは彼のTシャツを売っていたりもします。
投稿情報: ちーうよ | 2005-04-14 12:12
ちーうよさん、
お返事が遅れてゴメンナサイ。コメント書いて確認までして、でも投稿ボタン押すのを忘れたような、、気がします。もうこりゃ母国での社会復帰はあきらめたほうがいいかもとか思うこの頃。お元気でしょうか。天気がよくなったらパリの墓地散歩でもと思っているのですが、なかなか天気が持ち返しませんね。ジム・モリソンの墓は嵐のほうが似合ってそうですが。
投稿情報: nekoyanagi | 2005-04-20 23:35