元気がでない。一週間しかたっていないのに、あの山でのきわめて単純な、身体を動かし、空気を吸い、飯を食い酒を飲み、テレビは天気予報とニュースを見るだけ、あとは本だの新聞だを読もうとするのだが疲れきっていてそのまま寝てしまう毎日に戻りたい。翌日朝起きて天気がよければ、これは天のお恵みと喜び、また一日が始まるわけです。これを8日間やった。なんたる幸せ、であったことか。なんたる贅沢、であることか。
もちろん、単なるスキー滞在者や夏山滞在者にしても、山の生活のいちばんおいしいところだけを、いくばくかの金を出して、お借りしているにすぎない。今でも昔からのパターンで一年を通して暮らしている人々にとっては、観光化で現金収入も増え、外部とのかかわりも増えたとはいえ、雨の続く長い秋、雪の季節の木造の家の管理、収入源の牛の、採乳作業を始めとした管理は大変だろう。山の人の頑固さには都会育ちの私はイライラされることもある。しかし、一週間やそこらいるだけのあくまで“よそもの”の私が腹を立ててみたところで、これは自分をもっとミジメにするばかりだ。そもそも山には休暇に来たのである。3分間待ことができなければ、あるいは3分間待てずに怒り出したいのなら、街に残ってケンカしてりゃあいいわけだ。
スタイナーについて覚えていること(以前のTV討論を思い出しながら)
ジョルジュ・スタイナー/George Steiner という、英仏伊独ヘブライ・古典ギリシャ語をあやつる、おまけに最初はシカゴ大学で数学と物理学からスタートしたと言う現在76歳の博学の王は自らを《読みのマスター》と定義している。もちろん彼のいう《読む》行為は、本を読むアクトに限られるわけではないだろう(たとえば彼の音楽に関する知識は膨大である)。
独特のアイロニーとユーモアをまぜた口調で彼は語る。大学で理工系の素晴らしい才能を持つ人々に出会い、自己能力の限界を知り科学を断念した。今現在、世界の最も優れた頭脳はすべてテクノロジーや経済に係わっている。他の分野にはそういった素晴らしい頭脳を持った人間は興味を持たない。これは人間の未来にとっては、まったく絶望的な情況だ。
『モーツァルトの一節の音楽』と彼は言う。その音符にすればたった3音ぐらいの持っている力。それを作り出す想像力は、“神”を失ったわれわれの時代においてはもう枯渇してしまったのだ、とも言う。
『我々の(時代の)歴史とは、すでに進歩ではない。』と書く、ユダヤ人の彼が本当に言いたいことは何なのだろう。
彼が、このペシミスティクな世界観のまま人生をリタイアするのだとしたら、これはまたさびしいことだが。
賢者レイモン・アロン/ Raymond Aron生誕百年
今年はサルトル生誕100年の年であり、エコル・ノルマル/高等師範学院 で同年だったレイモン・アロンの生誕100年ともなる。たしか同クラスのポール・ニザンは早熟で、生まれ年はあとだったと記憶する。
13日付けル・モンドがR・アロンの特集をしている。、ちゃんと本は読んでいないものの、彼についての思いは多い。750ページを越すメモワール/回想記は積読読書コーナーに収まっているのだが、重さも一キロは越えるだろうこの本を読み出す気力がわいてこない。
社会学者R・アロンはフランスに同化した豊かなユダヤ家庭に生まれ、エコル・ノルマルを卒業後、ドイツ哲学を学ぶためにドイツに渡る。しかし1930年に彼が目撃したのはナチスの前身ドイツ国民社会党の台頭だった。帰国した彼はサルトルとともに雑誌『ル・トン・モデルヌ/現代』を発行するが、のち植民地政策に反対するサルトルが共産党に近づくと、それを批判、サルトルとの友情関係もここで途絶える。
ナチスを逃れ、ロンドンでド・ゴールの『自由フランス』に参加するが、ド・ゴール派としての立場は一生取らなかった。また、後に保守新聞ル・フィガロで政治系コラムを担当はするけれど、アルジェリア独立戦争時独立支持を言明して当時の保守から批判を受ける。
クラウセヴィッツ、トックヴィル、なによりもマックス・ウェバーの影響を強く受けたR・アロンだが、同世代の左翼思想家(つまり思想人の9割がた)から批判され、また保守サイドからも理解されずに孤立の立場を取りながら、リアルタイムに起こる出来事を冷静にかつ正確に判断していた事実には驚かされる。
イスラエルの建国時に、モノテイスム/一神教の聖地をみっつもかねるここが平和な国には決してならないだろう、と彼は予言している。ソ連の壁の向こうで圧制が行われている、と警告したのも彼だ。大戦後政権をとったフロン・ポピュレール/人民戦線政府の失敗を経済政策の不在が原因だとひとことで分析するやりかたは、同時代人には理解しかねたようだが、現在読むとその明晰さに驚かされる。
このR・アロンのリアリスム後継者のひとりが、かのキッシンジャーだ。だがR・アロンはキッシンジャーを、プリンス/君子についてその能力を弱者圧制のために使ったと非難する。これはベトナムに関するキッシンジャー外交批判だ。あくまでも政治の外から批判を続ける、というのが彼一流の矜持だったわけだ。
ル・モンドに、彼の孤立を運命付けたと思われるアネクドット/小事件についての記述がある。30年のドイツでの動きを目撃した若い哲学者アランは、友人を通して当時のある仏外交官に会う。現状の緊急性を仏政府に伝えるためだ。だが外交官はアロンに『あなたが話されたドイツの状況とこれから始まるだろう脅威についてはよく分かりました。けれどあなたが私の立場にあったら、いったい何をなさるつもりですか?』と冷淡に返答しただけだった。
この時のショックが以降のR・アロンの、一種のメランコリーを漂わせる、あの冷静さと明晰を過度なでに保つ姿勢を生み出したと記事は分析する。哲学は世界を動かしえないのだ。内的情熱をぎりぎりまで押さえ、明晰な批判者の態度を一度でさえ崩そうとしなかった、それは彼の持って生まれた資質からくるのではなく、彼自身が自分に強いていたものだというのがこの記事の筆者:Marion Van Renterghem の観点である。
『サルトルは天才だ、だが私はそうではない。』と言ったのもレイモン・アロンだ。たしかにサルトルとアロンを分けるのは創造力だろう。サルトルは創造した。しかし、現在読み返すアロンのことばは重い。
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レイモン・アロンの回想記を翻訳してみたいなどど、思うわけだが、10年たってもおワランだろうな。 あー、それにしてもまたしても、重いエントリーになってしまいました。(本来はあくまで軽い人間なんですが) あしたはマンガ系にしよう、そうしよう。
上の写真はこないだ使い捨てカメラで撮ったもの。真ん中あたりにゴマのごとくに見えるのは友人です。
翌日記:Rアロンの回想記、三保元翻訳でみすず書房から日本版出てますね。フランスの戦中戦後のようすを知るためにもお勧めの本です(高いけど)。