7月14日
頭から突然今年の仏軍事パレードfrance2版。イントロ航空機版が約8分。二部といっしょでなんと一時間半ありますがお好きな方はご覧ください。
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キャトルズ・ジュイエ(14 juillet)って要するに7月14日のことです。かつての日本ではパリ祭とかいって和製シャンソン歌手の御大たちがなつかしのメドレーやってた気がしますが、正式名は“fête nationale/国民祭り”だそうです。
1789年7月14日バスティーユ陥落と1790年7月14日の連邦兵(武装市民団)のションドマルス集結の両方を祝ってる。つまり革命派と反革命派の祝い事をいっぺんにしちゃうという、日本史で言えば討幕派と幕府勢力をまとめて面倒見るような、共和国的発想である。
7月14日のメインはなんといっても凱旋門からコンコルド広場までのシャンゼリゼ軍事パレードでありまして、これが始められたのは1880年だそうです。未だに軍事パレードやってる国って言うのは仏国以外には中国とか北朝鮮ぐらいだと思いますが、この時代錯誤さも含めて、アタクシあれそんなに嫌いじゃない。
とはいっても、実際に現場まで見に行くほど好きじゃないし、この5年間はおサルアレルギーで、一回もTV見てない。まあ以前は2年に一度ぐらい休日だからとノンビリ起きだして「そういえば今日じゃない?」とTVつけるとやってる。そんなノリです。ヘリコプターやら戦闘機やらが頭上を飛んでうるさいんで眼が覚める、ということもあった(今はうちのほうにはあまり飛んでこない)。
実に1880年、つまり19世紀的である。音楽隊が先頭で共和親衛隊が騎馬で多勢闊歩したりするのは実に絵になるわけで、こりゃ古典軍事オタに受けそうですが、ちゃんとユーロファイター飛んでたり、近代軍事オタやユニフォーム・オタにも見せたい^^。
ストラスブールに駐在するドイツ兵士も行進してたり(歩き方違うし、仏大統領関前でも旗を下げない)とか、こっちの士官学校に出向してる米軍士官の敬礼の手の位置が反対だとか。。。
シャッサー・アルパン/山岳狙撃隊とか外人部隊(革の前掛け+長いひげでゆっくり歩く)とかサーベル持ったポリテクの学生とか、消防の救急犬とかなかなか 見ものです。年を追って軍系グランゼコルや消防・警察にも女の子数が増えているのも興味深い。斧は分かるけど、なんで消防が自動小銃持ってるんだろうか? 調べてみるですだよ。
このパレードぐらい誰にも明確な“プロパガンダ”になると、かえってこっちも納得しちゃってたりする。少なくともノータリンなスピンドクターよりは好ましい(か?)。
いや、アタクシはあくまで限定的体育系“平和主義者”なんですけど。
これって、ある意味フォルクローリックだし、国家って事業はスペクタクル/ショウなんだと確認できますね(でもソレが全てはないが、たとえば日本の天皇制、イギリスの王室、アメリカの自由=オカネとかともリンクするかも)。
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他の7月14日行事としては、大統領官邸でのガーデン・パーティー(今年は経済危機を理由に中止:でも金の問題であれば軍事パレードの規模小さくすればいいのにね。あれ、たぶんオランドのガールフレンド問題でだと思ふ)。それから大統領TV演説、夜には各市消防署でのバル/ダンパがあります。
で、この日はフランス中トリコロール旗がはためいちゃうわけ。いとも理解しやすい御用祭:“国家”はこうして形成される。凱旋門の三色旗の大きさは半端じゃござんせんの大旗日。
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デモ/マニフ
アタクシの両親は2人とも元公務員で、1960年安保の時、父は官庁街の仕事場から議事堂前の抗議をはらはらしながら見ていたそうです。「樺さんは本当にかわいそうだった。」とは父の言葉。
1970年安保の時高校生だったアタクシは、たまたまひとつ年上の友人に誘われ某新左翼勉強会に一ヶ月だけ参加していて、6月のデモに2回行った(といっても若年新人だったので荷物持ち)。勉強会で読んだマルクスとかレーニン解釈は悪くなかったですが、その某シンサのおじさんたちがあんまりにも頭が固いのですぐ抜けた。
だが、今でも印象に残っているのは、宮下公園横だったかなあ、道路全面に広がるデモ隊の中で見たことと、翌日の新聞に出ていた写真との格差、つまりコチラ側vsアチラ側のふたつの風景がまるっきり違っていて、“報道”というものがどんな性格を持つのか、“主観”とはいったい何か、ってののいい勉強になった(アタクシ16歳んとき)。先輩は捕まるのを覚悟で、身分証明書ももたず歯ブラシだけ持参で旗持ちして最前でガクブルしてたけど、機動隊はデモ列後ろの若いのからごぼう抜きにしてタイーホ(なおその軟派な先輩もアタクシとほとんど同時に運動を離れた)。
あの時以降、日本でのレッド・パージが始まったのです。
行く先がなくなって、残った活動家の一部が浅間山荘事件やテルアビブ・テロなどに走った(オームも同じ流れだと思う)。欧州でも、イタリア・ドイツ・フランスで企業人を対象としたテロがあったですね。
アタクシ、ここフランスに来てからは捕まって滞在許可取り上げられるのが恐くてデモに出てなかった。前にブログにも書きましたが(デモ日和:猫屋のケイタイ写真)、仏デモに参加したのは2010年になってからです。
参考:The Big Picture ; France on strike(2010年秋の仏デモ写真集)
去年から今までは、大統領選挙もあって大型解雇・工場閉鎖に対する個別的デモはありましたがゼネストになるほどの大型デモ・ストはなかった。デモ、これからは猫屋も街に繰り出さねばならぬ機会はどんどん増えるだろうと思います。下の方から(数で)揺さぶらない限り、メガ金融・マルチナショナル企業が牛耳るこのハードコア競争世界は変わらない。体も頭も鍛えておかなくちゃね。
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国旗
すでに書きましたが(スペインはもちろんメキシコ・イスラエルも、ル・モンドが報道するくらいだからかなりな勢いでしょう)今世界中で起きている抗議活動の多くに、各国の国旗が掲げられているのは、“俺らの国を返せ”の象徴・しるしだと考えます。ただ、日章旗に対する日本人個々の思いは異なってるように、国によっても国旗と人との関係は異なっている。スイスは旗が好きだし、イタリアの旗は国内では地方都市旗が多いけど、輸出物のパスタとかの食い物と東京のイタ飯屋には絶対ついてる。フランスではスポーツと政治系以外、そんなでもないなあ。
ドイツと日本はちょっと例外で、こっちに来た時のフランス語夏期講座の若い学生たちがみんな自分の国自慢するんだけど、日本人とドイツ人はしてなかった。あれって、ww2の記憶のせいでしょう。それが、ワールド・サッカードイツ大会の頃から、特に若い連中がドイツ国旗を誇らしげに掲げるようになったとアタクシは感じました。あれだけナチスドイツの責任を背負わされて育った戦後生まれが、やっと楽になったのかも、とあのころ思った。
ただ、一国内に限定して盛り上がる運動は、いつか行き所をなくして自家中毒してしまう危険性がある。単なる閉鎖ナルシズムになってします。いまはまだ、エコロジー運動とかウィキ・リークとかアノニマス運動に限られているけれど、“俺らの国を返せ”運動がワールドワイドに横のつながりを持った時、我々はやっと“敵”に対向しうる力になるだろう:インターナショナルだぜ、民主主義。
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東京首相官邸前の少数の人々が始めた抗議集会が、あれだけの規模になり、それが各地に拡散したことは、まったくもって喜ばしい。対イラク戦争抗議の頃、日本からやたらとピース・マーチだのパレードだのって言葉が伝わってきてアタクシは歯がゆかった。なんでアメちゃん言葉にせなあかんねん、アホとちゃうか。その上、マーチだのパレードって元来軍事語源です(ディズニーランドとちゃいまっせ)。
デモはデモンストレーション、語源はラテンで意味は示す行為、数学では証明です。マニフはマニフェストする行為。もちろん軍事威嚇もデモンストレーションの一部ですが、この語の持つ意はかなり広い。
このデモという言葉が日本でも再び使われだした。これは意味ある事象だと思います。
現在の状況は、日本ばかりでなく、いつどこで一揆(あるいはクーデターか市民戦争あるいは全面戦争)が起きても何も不思議はないという、過渡期真っ只中なのです。そして誰も、これからやってくるだろう「ブラック・スワン」パレードの様相を想定できない。