久しぶりにスラボイ・ジジェクによるル・モンド記事翻訳。英語→仏語→日本語の重訳ですけど(ジジェクが何語で考え書いてるかは知らん)。。
Lamentable fiction, l'austérité continue de sévir et de servir les banques
無残なフィクションである緊縮は猛威をふるい、銀行を助ける
ル・モンド2012年7月12日
スラボイ・ジジェク 哲学者
6月17日のギリシャ選挙の結果 - シリザ左派に対する小差での保守派新民主党の勝利と、性急な“プロ・ヨーロッパ”の合併政権成立 - はヨーロッパ全体を安堵させた:カタストロフはギリギリで避けられ、ユーロとヨーロッパ統一性は保たれた。。。しかし現実には、唯一のチャンスが失われたのだった。ヨーロッパは政治と経済という行き止まりの根本問題に、やっと正面から向かい合うこともできたのだ。CNNの記者が状況をうまく表現するメタフォーを使っていた。彼は、ヨーロッパの指導者たちを“棒の先の皿を回す中国芸人”に比べていた。彼によれば、“難しいのはもちろん回転を続けさせることで、さもなければ皿は落っこち壊れてしまう”。これが今ヨーロッパで繰り広げられている見世物/スペクタクルだ。ただ、芸人たちの名は欧州中央銀行総裁のマリオ・ドラギであり、ユーログループ議長のジャンクロード・ユンカーであり欧州委員会委員長のジョゼマニヌエル・バロッゾ、そして(回されている)皿はギリシャであり、スペインの銀行であり、イタリアの財政赤字であり、ユーロ・ボンドであり、ドイツ首相のアンゲラ・メルケルである。毎日毎日、さらに多くの皿が追加され、誰もがこの見世物の終わりを予告する。しかし残念なことには、サスペンスはまだまだ続く。
ブリュッセルで繰り広げられているのはこの種の見世物だ:ユーロクラット/欧州官僚は、皿の数を増し最終決算を遅らせることで満足している。ベースにある金融フィクションは問題視されることもないまま、平衡バランスはますます危うくなる。
選挙戦の間、シリザの推進する左翼寓話への攻撃もあった。しかし、ブリュッセルが強要する財政緊縮計画のほうがよほどフィクションのレベルにあり、現在人々は奇妙な共同幻想の虜となりながらも、数々の対策が単なるフィクションだと認知している;誰もがギリシャ国家は決して負債を返済できないことが分かっているし;緊縮計画の基盤となっている金融見通しがまったくもってでたらめなことも皆が見ないフリをしている。
そして、私たちのすべてが知っているように、これら救済案のすべてはギリシャを救うためではなく、ヨーロッパの銀行を救うためのものだ。
1939年に封切られたエルンスト・ルビッチの映画ニノチカには、弁証法を使う興味深いシーンがある。主人公があるカフェテリアに入り、クリームなしのコーヒーを注文するが給仕はこう答える:「申し訳ありませんがクリームはありません。ここにはミルクしかありません。なのでミルクなしのコーヒーでよろしいですか?」 どちらの場合も、お客に出されるのは同じブラック・コーヒーだが、それに伴う否定の意味は異なってくる。まずはクリームなしのコーヒー、それからミルクなしのコーヒーだ。同様な苦しい状況をギリシャは味わっている:ギリシャはある種の緊縮をこうむるだろう - けれどそれはクリームなしの緊縮コーヒーなのか、ミルクなしなのか?ここがヨーロッパ・エスタブリッシュメントによる詐欺なのだ。ギリシャに対して、クリームなし緊縮コーヒーを振舞うように見せて(あなた方が乗り越えねばならない試練の成果を受けるのは、ヨーロッパの銀行だけではない)、その実ギリシャにミルクなしコーヒーを振舞っている(ギリシャに課される試練の成果を享受するのはギリシャ人ではない)。
シリザは危険な“過激主義者”集団ではない:この運動はプラグマティックであり、他者たちが作り上げた問題を解決しようとしている。危険な夢想家は、緊縮政策を押し付け、うわべだけの改革が続く限り事象は今のまま永遠に続くと考えるものたちだ。
シリザの参加者たちは夢想家ではなく、悪夢に転じようとする夢からの覚醒を体現している。彼らは何も破壊せず、システムの自己破壊に反応しているのだ。
シリザは急進左翼運動のひとつであり、安泰な反抗という立場を越え、雄雄しくも権力の座に着く意思を持っている。だから、ビル・フレザが雑誌フォーブスで書いたように、ギリシャ人は制裁されねばならない。「世界が必要としているのは、共産主義の現代版モデルなのだ。ギリシャ以上の候補者はいるのか?(...)EUから即追い出し、じゃぶじゃぶのユーロ蛇口を閉めよう。そして一世代分待ってから結論をだそう。」 1805年革命後のハイチ・シナリオが繰り返されることを人は期待している:今の危機に対し何らかの解決法を行使しようとする急進左翼の試みを根絶やしにするためには、ギリシャを見せしめとして罰せなければならない。
シリザには統治するに必要な経験がないという人もいる。それは本当だ。だが、彼らはいかさまや盗みを働いて一国を破綻に追い込んではいない。こんな風に、我々はヨーロッパ・エスタブリッシュメント政治のばかばかしさに行き着く。 それは、税金を払え、ギリシャの利権政治と戦えといった、いつものドクサ*/俗説を用いて説教し:...結局、ギリシャに利権政治をもたらしたところの2党による連立政権に全ての希望を託す。
*(猫注;doxa とはギリシャ語、意味は民間風評あるいは流言的知ってとこかな?バルト、ブルデュー、クリステヴァ等が使っていたボキャです)
新民主党の勝利は、破滅主義者の宣言と嘘にあふれた乱暴な選挙戦の結果だった。シリザが勝利した場合、ギリシャは飢餓とカオスと警察国家の恐怖に陥るに違いない。選挙戦の間、新民主党に近いいくつかの新聞は、絶え間ないドイツ攻撃に専心した。たとえば、ブリュッセルから課せられるプレッシャーをドイツによるギリシャ占領に比べたり、あるいはナチ制服姿のアンゲラ・メルケルを掲載した。これらの保守系プレスは「ギリシャの街の清浄化」や、違法移民収容所建設のために欧州基金を使うことを保障していた。
緊縮政策を実現させるために、欧州連合がギリシャに行使したプレッシャーは、精神分析で言うところの超自我にあたる。超自我は、文面通りの倫理心的力域ではないが、サディックな主体(エージェント)は対象(サブジェクト)に不可能な要求を次々と投げつけ、服従する対象がする失敗に歓喜する。超自我のパラドクスとは、フロイトが明確に見たように、我々がその要求に従えば従うほど、我々はさらに罪悪感を感じるものなのだ。これが、欧州連合によるひどく有害な要求だ:ギリシャにはわずかなチャンスをも与えず、ギリシャの失敗はゲームに不可欠なパートなのだ。
フレデリック・ジョリによる英語からの翻訳
スラボイ・ジジェク、哲学者
Slavoj Zizek est notamment l'auteur de "" (Flammarion, 2011) et.
スラボイ・ジジェクは“Pour défendre les causes perdues/失われた大義のために”(2011年フラマリオン)と "Violence. Six réflexions transversales/暴力。六つの学際的考察" (Au Diable Vauvert, 320 p., 23 euros)の著者。
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精神分析や認知心理学系はほとんど読んだことないので、本文最後の方の訳にはあまり自信なしです。
写真は本文とはまったく関係なく、こないだのゲイ・プライドの日、マレ地区のパン屋ウインドウ風景(あっち系観光客さんがウインドウ内のチンチン・パンに見入っているところ)。
7月に入ってからの北ヨーロッパはひどい天気が続いて、仏革命記念日前日の花火も雨の中。これって“温暖化”のせいで、亜熱帯化した北欧州でも台風とかモンスーンが普通になったのかも知れんです。雨ばかりで暇なため翻訳やってみました。さて、梅雨明け宣言いつだろか。
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