先週、ボーブール横のMK2で、黒沢清監督のトウキョウソナタをやっと見てきた。昨年のカンヌ映画祭では「ある視点」部門で賞を取っているが、これは公式部門じゃないからカンヌでも2回しか上映されなかったようである。今頃パリで封切られてるわけだが、今週でも上映してるのはたしか6館ほどだから、パリの友人たちよ、早めに見に行ったほうがいい。
この映画の封切りはカンヌのすぐ後より今のほうがよかったんだ:経済危機が本格的に起動し始めたのは昨年秋で、ここの人々が「解雇問題」を他人事ではなく心配し始めたのはこの2月頃からだ。該当映画祭のあった昨年春と2009年春では、フランス住人たちの心理状態はまるっきり違っている。物価もひどく上がった。
映画館も昼前にしてはいい入りで、今回は単なる日本オタクばかりではない、もっと広い層の観客が来ていた。学生・インテリ・文化的退職者、あとパラパラと日本人。
まあ、仔細にわたってアタクシがナンタラ言ってもなんの役にもたたないから、いくつか気になったところだけあげてみる。
Tokyo ! も2008年カンヌ映画祭で公式部門ノミネートされてたんだと後から知った。どうもアタクシは、Tokyo! のヒキコモリ氏がそのまま父親になったような錯覚に陥った。もっと調べてみたら、このササキ=ヒキコモリ氏が実は香川照之なる俳優で、猿之助の息子だとわかってビックリした。これが浦島のビックリであるが、先週だったか藤間紫が亡くなったという報道で猿之助が藤間紫の夫だったと知って、これにもビックリしたばかりである。。。しかし、歌舞伎とかの芸の世界はかなり複雑なんだなあ。あれ、話がそれた。
このササキ氏の、たとえば頼りない歩き方とかの、おかしみ、悲しさ、はなかなか普通の仏人には分からないだろう。ササキ氏のズレタ対話にゲラゲラ笑ってるのはアタクシぐらいなもんであった。
まあ、この映画で面白いのはそういったズレ方だろう。普通の非日本人にとっては、ササキ家が今の日本の典型的家庭と見えるのだろうが、実はあれはバブルがはじけた頃の家庭じゃないか。今だったら、中間層家庭でパートに出ない専業主婦なんてマイノリティだろうし、子供をぶん殴る父親もそうはいないだろう。こっちの批評で「これは父権家長制の終焉」を描いた映画だ、ってのがあったけど、それもちょっと違う。家の真ん中にいたはずの日本の母の“権力”が、いつの間にか消えてなくなった。それに対するノスタルジーを、キョンキョンが演じてたんだと思う。ササキ氏は、そこいらへんの事情が分からず、父親の役を演じきろうと試みる。
TVのホーム・ドラマをパロディ化してて食事シーンが多く、それはなぜかいつも日本食で、でも家族は食卓でしか顔をあわせない。顔をあわせても会話は極めて少ない。ササキ氏は規範にガチガチに固まったかわいそうな男で、歩き方までオカシイ。←ここでの香川、あるいは柄本明やイッセー尾形たちのズレ、ボケ、オカシミ、カナシサあるいはそれらが転じて狂気までいけそうな風情というのは、極めて日本的だなあ、と思う。いや、バスター・キートンにも近いか。
後半の展開は???と思いながら見てたんだけど、いつの間にか話は幻想化してると考えたほうが妥当なんだろう。家族の再生は本当はなくって実はみんな死んじゃったんだ。たぶんピアノ弾きの少年を残してね。だけど、黒沢監督は、この映画をホラーものにはしたくなかったし、どうしても少年にドビッシーを弾かせたかったんだと思う。再生もハッピーエンドも、映画の中にしかないんだよ。映画だからなにが起こってもいいと言えば、まあそうだ。
書き加えれば、『家庭』というのも死んじゃったんだ。映画の中での食事シーンは、テーブルの高さにカメラがあって、あれ小津安二郎がタタミの高さにカメラを据えていたのの、なんだ、郊外版じゃん、とも思った。
というわけで、かわいそうなササキ氏は、人材派遣会社の面接でカラオケを歌うはめにおちいる:アウト・ソーイング、解雇、職安(ジョブ・センターでもハローワークでもポール・オンプロワでも何で好きに呼べ、中身はおんなじ)、無料の給食配布、家族との軋轢、ショッピング・モールでの清掃業、という流れは実に、ワールド・ワイドに普遍的現実なのである。これは資本主義システムの暴力に関する映画なのだ。ホラー専門の黒沢監督がそれを撮ったのも無理はない。
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