これは、大統領選にかこつけて次々に出版される選挙関連書のひとつ、セゴレンヌ・ロワイヤルに雑誌エルの編集長がインタヴューという本ですね。ル・モンド記事の紹介文からちょっと気になった、ベネディクト教皇のイスラムに関する発言に関連する部分だけ、訳してみました。
ベネディクト16世は、公式の場でイスラムの暴力性を批難しました。これは、単なる不手際だったのか、あるいは逆に、自分のポジションを明確に示したのか、どうお考えですか?
不手際ではありませんでした:ベネディクト16世は言葉の重み知っている博学な大学人です。同時にそれは自らのポジションを示す発言でもなかった。ラティスボンでの演説の中心をなすエレメントは、大部分のムスリム自体も批判しているような暴力的道具としてのイスラムへの弾劾ではなくて、より疑わしい主張でした。聖書信仰とギリシャ精神の出会いから生まれたキリスト教のみが、教皇によれば、理性と結びついており、過去にも現在にも、ヨーロッパの基盤である。これは、アラブ-ムスリムの翻訳者を通じてギリシャ哲学が伝えられ、中世において信仰と理性の関係性をともに論議していたのはキリスト教徒とユダヤ人とムスリムの思想家たちであった事実を忘れている。
のちの宗教裁判や、魔女であると処刑された数千という女性を焼いた薪(まき)木も、キリスト教と理性の申し分のない蜜月を現しているとはいえないでしょう。ヨーロッパを流血に陥れた宗教戦争にしても同様です。1905年のスペインで、カトリック教会と国家を分離するためにどれだけの犠牲が支払われたか、ここフランスではみなが知っています。それらの事実を思い起こすことは、現在の教会を侮辱することではなく、これまでたどってきた行程を再認識することです。 (…) ヨーロッパに関していえば、キリスト教がその長い歴史にあたえた影響を認識することと、ヨーロッパの基盤がキリスト教にあると主張することとは、別の問題でしょう。ヨーロッパはひとつの宗教でもないし、ひとつの地理的広がりでもない:それは、神を信じるものと信じないものが支える政治的プロジェクトなのです。私たちのムスリム同胞(concitoyens musulmans )は同等なヨーロッパ人なのであって、右派のあるグループの人々がいうように、ヨーロッパはキリスト教徒のクラブではないのです:時としてムスリムであり、断固としてヨーロッパ人であるムスリムボスニア・ヘルツェゴビナの不運な人々を思い起こしてください!神学について、それは信仰者自身の問題ですから、わたしには語るべきことがありません。けれど教皇とは、その言葉が世界に影響を与えるモラルにおける権威である以上、文明の衝突という単純で破滅的セオリーに与することのないよう望みます。
猫屋:この部分は、フランスでの宗教に関するあるコンセンサスをよく現してるな、と思います。
父親が軍人だったのでその任地のセネガルで生まれたロワイヤルは、8人兄弟のひとりで、両親が早くに離婚。かなり厳しい環境でそだっています。母親はバカロレアをもってないんですね。頑固な父親に“女は結婚が人生”といわれ続けて、反発から勉強に打ち込む。寮生の高校から、シオンス・ポ(国立政治院)エナ(国立行政院)という名門をクリアしていきますが、ブルデューいうところの文化資産には恵まれていない。まあ、出生がエリート典型のブルジョワ家庭でないところは、コレージュ・ド・フランスという学問の頂点までいったブルデューと同じだ。あの68年5月、ロワイヤルはいなかの高校の寮でバカロレア準備してたし、好きな音楽はバッハのブランデンブルグとモーツアルトのレクイエムだそうだ。無人島に持ってく一冊の本は?と聞かれて、ヴィクトル・ユーゴーの詩集と答えてますね。努力一筋の人。
美人なのに服の着方なんてまったくひどかったんですが、どうも最近はさすがに努力してるようで、スーツは Paul K だそう。最近はアイメイクアップもしてるね。多少はましになったな。53歳とのことです。
(なお、カトリーヌ・ドヌーヴとパリのパプー記事もご紹介したかったんですが、暇ない。また今度であります。)