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さて5週間でどれだけ読めるものやら。PCなし環境だから、その分本読むかというとそうでもないんだよね。毎年夏休みの読書本は、かばんに詰めるだけで読まずじまいってのが“お約束”のようになっているわけですが、こうやってブログに書いちゃうと読まぬわけに行かなくなる、、わけないか。コウゴキタイ。
結局のところ、言葉というのは先人の残してくれた“真実”である。これは映画にもいえますね。たとえばポランスキーの“テス”という映画には、かつての欧州農民の姿と変わっていった労働の形が、フィクションという姿で残されている。それがこの映画を作ったポランスキーの意図だった。
人は死ぬし、街は世界は様相を変え続ける、でも言葉は残る、映像は残る。“真実”というのは、やはりあるんだと思う。
翌日追記:というわけで休暇に出ます。途中で出先から書き込むかもしれません。なお、このところスパン・コメントおよびトラックバックが多いため、それらの公開機能も休暇化いたしますのでご了承ください。
投稿情報: 2007-07-09 カテゴリー: Livre / 本, Privé / 私事 | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (5)
コロンバニが去ったあと、新構成でのル・モンドなんですが、今のところは路線がいまいちはっきりしていない印象があります。いずれにしても7・8月は夏休み体制ですから、本格的“政治”舵きりが見えてくるのはこの秋になるでしょう。
ということで気になった2記事クリップです。
いかにニコラ・サルコジは左派をマニピュレートするのか
クシュネールをはじめ、社会党でもコアから遠かった人材を内閣に入閣させたあとは、エレファントと呼ばれる社会党幹部を次々一本釣りするサルコジなんですが、その意図とは、あくまで対抗勢力である社会党を中身のないヌケガラにすることだ、という記事です。
実際、IMFの専務理事にDSK(ストラス・カン)を任命!とサルコはいきまいてますが、たしかにDSKにその能力があるとしても、またDSK(現在フランスにいません)がOKしたとしても、それで「はいどうぞ」とノミネートされるわけじゃないですね。だいたい、欧州中央銀行(トリシェ)、欧州開発銀行(ルミエール)、WTO(パスカル・ラミ)と大きな世界機構の長になってる仏人材はもういる。外交と言うのがプロトコルで始まるのは猫屋だって知ってます。
同時に、サルコは同ポストにファビウスの名もあげてましたから、なんだかなあ。しかし、すごいのはサルコが潰そうとしてるのは社会党だけじゃないことだ。UMP内部も潰している、というかサルコジには後を継ぐべき人材を育てる気がまったくない。同時に、サルコの社会党釣りはUMPには確かにゾゾ(無能)しかいないからだ、という意見も多いわけですがね。
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こちらは経済記者エリック・ル・ブッシェの記事。 経済における歴史の終焉
フランシス・フクヤマの例にならって、よりグロバリ化し、資本はより帝国化、株主の力はますます強くなる現在のアングロ・サクソン型資本主義は最終的経済システムなのだろうかと、われらがELBは問いています。この問題を、エコノミスト・サークルが例年のようにエクサン・プロヴァンスにあつまって話し合った(7月6-8)。フランス・ドイツ・英国発の試みはあるものの、統一性の取れていない欧州には確たるレジスタンス運動もない。あの北欧でさえ、右にいく傾向にある。そして欧州がモデルを作られないでもがいている間、インドを含むアジアからアングロ・サクソンとは別タイプの資本主義が激しく頭角を現してるわけです。
今必要なのは、アングロ・サクソン型資本主義の行き過ぎをストップし、カルチャーの単一化を回避し、同時に経済変化が置き去りにした社会の再構築であろう。いまのところ欧州社会は“ソリダリテ”を武器にレジストしているが、昔のままである国家機能(企業税制度・労働時間基準など)を新しく考え直す必要があるんじゃないか。という内容(だと思うですが)。
エクスにあつまったエキスパートたちの言葉もいくつか紹介されています。本来は記事全部訳したいんだけど無理なんで、最後のフクヤマの言葉だけ付け加えます。
"La dépendance de l'économie postindustrielle vis-à-vis de l'éducation et des talents garantit le besoin du jugement de l'homme et de la créativité dans le travail, de même que la survivance de normes informelles de réciprocité, de confiance et de valeurs partagées entre les travailleurs"
「ポストインダストリ経済の教育と才能への依存性は、人間の判断と労働における創造性、同様に労働者間のインフォーマルな相互性・信頼・共有価値といった規範の存続を保障している。」
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上に挙げた記事とは無関係なんですが、法務相ラシッダ・ダティが、先日人気のないセナ(元老院)でプレゼンテーションして、バディンターの厳しい批判もなんのその、簡単に議会通って9月には施行されるダティ法;peine-plancher est encourue en cas de récidive, les mineurs réitérants de 16-18 ans、つまり簡単に言うと重犯の場合の刑が重くなる、また重犯の場合は16歳でも成人なみの刑を処するという新法を、理論的に批判しているボビニーの少年専門判事のログです。刑法関係のかた(いないか、、)お読みください。Erreurs majeures ou mineures ? : メジャー(成人)あるいはマイナー(未成年)な間違いか?
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日本国参議院議員選挙のお知らせ(在フランス日本大使館)
参議院議員選挙日程(見込)
7月12日 公示
13日 在外公館投票開始
22日 在外公館投票終了
むずかしいですねえ。この火曜には南に行っちゃうし、郵便での投票もまだ公示されてないんだから手続きのしようもないし、、、日本で投票できるかなあ、確信なし。今回は生まれて初めて共産党に入れちゃおうか、なんて思ってんですけどね。
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<私的業務連絡>ぴこりん氏、水着持ってくるように</私的業務連絡>
投稿情報: 2007-07-08 カテゴリー: Economics/経済 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
正確にいいますと、The Sahel Opera による Bointu Wéré という世界で始めてのアフリカン・オ ペラのことです。ちなみにサヘルとはアフリカの以下の国々をまたがる地方;La Mauritanie, le Cap-Vert, la Gambie, le Sénégal, la Guinée-Bissau, la Guinée Conakry, le Mali, le Burkina Faso, le Nigeria, le Niger, le Tchad et le Soudan.
このオペラのテーマは、疲弊したサヘルの土地を離れヨーロッパを目指す若い人々とその前に立ちはだかる壁、です。
このボワントゥ・ウェレ ビントゥ ウェレ、数年に及ぶ準備を終え2月にバマコで初演、オランダ・フェスティバルの一環として6月に行われたアムステルダム公演に続き、10月25・26・27にはパリのシャトレ劇場で上演されるんです。
このプロジェクト、アフリカでの活動が長いプリンス・クラウスのアイデアが発端となり、アフリカのアーチストたちからなるサヘル・オペラ・ファウンデーションが立ち上げた。オランダ王室とマリ文化省の協賛。
アムステルダムでのガラに参加したK夫人によれば、最初はそんなに期待してなかったんだけれど、あれは、オペラ歌手になるための声を持って生まれてきた本物のオペラ歌手による本物のオペラだった、とのこと。猫屋は最終日の土曜に行こうと思う。
ネットでもチケット購入可能です(15-60ユーロ):シャトレ劇場
The Sahel Opera (英語)
The Sahel Opera (仏語)
投稿情報: 2007-07-08 カテゴリー: Musique | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
「ブッシュの無関心と、疑いへの明らかな鈍感さは、TVで彼を見たり聞いたりする人々には、しばしば信念の強さの証明として受け取られ、その話し振りの単純さから、実際には逆であるのに、しばしば彼が複雑な問題の核心をついていると受け止められている。」
以上は、もちろん仏語からの勝手訳なので精密性には欠けますが、アル・ゴアが著書 The Assault on Reason 内で書いてる文章です。
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これはどこで読んだのだか忘れましたが、immature とは、すべてを同時に今すぐほしがる、その態度自体であって、逆に言えば成熟(大人)というのは、すべてを同時に即時手に入れることはできないのだと理解することなのだ、という。
考えてみれば、今の21世紀の消費文化社会におけるクレド、いってみればキーワードはまさに、すべてを・同時に・即時に、なわけで、もっとも理想的な消費者は成熟していないアド、つまり子供なんだよね。
おまけに子供っていうのは極めて保守的な存在だから、“みんな”と同じじゃなきゃいやなんだ。ちょっと個性的に“みんな”とおんなじでいたい。でも、もちろん年寄りのまねは嫌なんだから、ここはちょっと複雑になるんだけど。
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ジャーナリストの個人ブログで、50歳ぐらいの学校の先生が教師であることの困難さについて語るってエントリーを読んだ。最後に、問題のあるひとりの子が、クラスで気を失って自分の席からすっとコンクリの床にアタマから倒れていくのを、先生が飛んでいって支えるって話が出てくるんだ。もちろんアタクシにはうまく要約できない。時間のある仏語読みのかたは読んでみてください。Heroes by G.Birenbaum ちなみに、彼のバカロレアについての文章もよかった。
結局のところ、政府は国家教育職務の17000人員カットを望んでいるようです。
フランスがフランスである存在理由のひとつが、この教育システムに(よい悪いは別としても)あるわけですけれど、グラン・ゼコルは別としても、大学への国家予算が少なく、多額が小・中・高校教育にあてられているのが現状です。現政権のプログラムでは、私学の開発と、エリート国立校という二本立て(+ベーシック・ミニマム・サービスとしての公立校)というシナリオに行きつくのでしょう。
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フランス人口の1/3が退職者だ、という文章を読んでドキッとした。これに8パーセントを越える(とはいっても実質でいえばもっと高い)失業者がいるわけです。
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思えば、フランスでもインターネットが次第に一般化した、あれは1990年台中頃、初めてのYahooポータルを使ってびっくりした記憶があるんだけど、あの時点で気がつくべきだったんだ。
歴史とか文学とかアートって項目がなくて、スポーツ・エンタテイメントetc.とあってエンタテイメントをクリックしてから「小説」とか「美術館」がゾロゾロ出てきてた気がする、、ヘンな気がした。あるいは自分では本を読んだり絵を見たりするのがエンタテイメント、って意識がなかったのかなあ。
でもドストエフスキーとかカフカとかって、やっぱりエンタテイメントなのかなあ。逆にいうと、花模様のついてる牛とかって現在美術はアートなんかなあ。ともエンタテイメントなのかなあ。ついてる値段を見るとビジネスって気もする。
まあようするにひとまずすべてはビジネスなのか。そう考えると一番簡単であるね。金という単一ヴァリュと、ビジネスという単一人間活動で世の中ができてると仮定すれば、管理はしやすいわけだ。仕事ない人間には居場所がないし。それだけだったら社会の気が狂う。
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なに書いてるんだかわからなくなってきたので、ここいらでおしまい。
翌日追記:アタマが複雑系になっちゃって書き忘れてたんですが、ことしの革命記念日7月14日に恒例のエリゼ宮ガーデン・パーティーはあっても、あの恒例大統領TV演説はなしだそうです。
まあスポーツはじめエンタメ界(とたぶんバンリュー系とか)を集めたさらにポピュというかピーポー化するだろうけど(ってコンコルド広場のフリー・コンサートと同か、、でも+左系がきっとオニュー)、同時にこの14・7にオスマン通りの大型商店やモノプリとかのスーパーが初めて開店営業します。これって前代未聞だ。革命記念日に働かせるなんて、こりゃ革命です。
たしか去年の14・7のシラクガーデンパーティーには、当時の内務大臣は欠席。そこからそんなに遠くない場所(やはりオープン・エア)で、シラク演説と同時多発で、サルコはジャーナリストあつめてインタヴューしてました。性格ですね。
「あいつはエナミーだ。エナミーは叩け」ときっちりプログラムされています。前首相ド・ヴィルパンが今、このサンバイカエシ・リヴェンチというトラップにひっかっかっている。クリアストリームという内容のないスキャンダルを、勝者となった今になってリヴェンチの材料にしてるわけ。しかし、速攻三倍返しリヴェンチよりこわいのは、冷たくなった皿型リヴェンチなのを知らんのかねアイツ。
投稿情報: 2007-07-07 カテゴリー: Economics/経済, Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (7) | トラックバック (0)
いい映画です。ロバート・デ・ニーロの監督する二作目、今回はCIAがどういった“心理状態”の人間によって作られたのかを、極めてクラシックなそしてきめの荒い映像で見せている。アクションや、軽さを期待して見たら落胆するだろうけど。
フランスでのタイトルは Raison d'Etat つまり国家の理性とでも訳したらいいのかな。原題の意味するのは、(ル・モンド記事によると)ヨハネ福音書から来てるんだそうです。羊たちのために自らの命をささげるもの、だそう。デ・ニーロは、そうです、イタリア系なんですね。映画自体もどこか欧州的においがします。
この3時間に及ぶ長い映画が扱っているのは1925年から1961年。裕福な軍人の家庭に生まれたエドワ-ド・ウィルソンが子供の時、父親が自殺して自分がその発見者となるんですね。みつけた父親の残した遺書を、誰にも見せずにそのまま自分のものにする。
やがて、少年ウィルソンはエール大学に進み、文学を愛する好青年となります。図書館で出会った聾唖の少女を愛するようにもなる。けれどSkull and Bones という名の国家エリートからなる秘密結社に加わり、別の世界へと入り込んでいく。
戦争が始まり、ウィルソンはスパイとしてリクルートされ、ロンドン・ベルリンで対スパイ活動をする。戦後は、つまり冷戦下は、KGBの同業者たちからマザーと呼ばれる腕利きの諜報のボスとして“活躍”するんだけれど、KGBのボスとのディールが絡んできたりして、、、というのがお話。
ま、アンジェリナ・ジョリが、わがままお嬢様として出てきて即結婚しちゃったりとか、アネクドットも多い。なにしろ一世代分(30年)のインテリジェンスの歴史を、一人の男の人生を通して描いているのですから、極めて中身は濃い。過去と1961年のあいだを、話は行ったり来たりするわけなんだけど、画面の下に「1961年ワシントン、ナンタラ本部」とかスーパーポーズが出るんでちょっとXファイルとかっぽい。
シナリオはフォレスト・ギャンプやミュンヘン(ミュニック)を手がけた Eric Roth。主人公ウィルソンのモデルは James Jesus Angleton という30年にわたってCIAのNo2だった人物(死ぬまで共産主義者は世界をのっとる大プランを立てていると信じてたそうだよ、このJJA)。
なんだか、ジョージ・ケナンの匿名レポートが大うけして、冷戦体制がガンガン“構築”されちゃった経過を、思い起こします。冷戦というのが恐怖に裏打ちされた一種のパラノイアだった、とする観点です。
ミスティック・リバーと言う映画をみんながほめるんで、苦手のイーストウッドなんだけど見てみたわけですが、訳者たちの“熱演”にちょっとゲンナリした記憶があります。やたら、眉毛のあたりをヒクヒクさせれば熱演と思ったらイケナイ。いや、そんなの実はお客の好みといえばそれまでですが、、、マット・ダモン(と読むのは仏風、ほんとはデイモンですか)は、最初はちょっとナイーヴで笑顔がかわいい、という米国男のいちばんいいトコを演じていますが、諜報生活が長引くにつれて、より自分の殻に閉じこもる。家族にさえ声をかけない、あるいはかけられない仕事マシンになっちゃう。
かつて自殺した父親の姿を追って、祖国を守るために全身全霊をささげるんだが、やがては自分の息子をもある意味で犠牲にしてしまう。これも聖書ですよねえ。
カメラも極めて重い動きで、ロングショットが多いんですが、これが主題にうまくマッチしてる。「善き人のためのソナタ」に似ていないわけではない。ただ、このドイツ映画では諜報員のヒューマニティが中心軸になっていましたが、こちらの米映画では救いといえるものがひとつもない。アフター911映画のひとつです。
自殺する直前の父親は、息子に「嘘をついてはいけない」と言う。息子はその言葉に忠実に、ロワイヤルティを目指して、結局は冷戦時代の、嘘と裏切りと密告のアウト・オブ・ロー情報戦世界の構築者となっちゃうわけです。
ピッグス湾事件はじめ、南米でのCIAの絡んだ裏外交のエピソードも多く出てきます。ホルブロック国連米国大使は、この映画、「歴史を小説化したものだ」と評したそうだ。
スパイものが好き、あるいは冷戦の歴史に興味がある、あるいはマット・デイモンが好きな方にはゼヒゼヒの映画であります。
また、旧世紀の父権サイコロジカルな側面、あるいはスパイ話についての情報をもうちっと知りたい、というかたは下のル・モンド記事をどうぞ。なおモデルになったアングルトンを、ジョナサン・リテルの父ロバート・リテルはThe Company (たしか2002)で描いているそうです。
投稿情報: 2007-07-07 カテゴリー: Cinema | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (1)
今日は久しぶりに映画を見てきました。デ・ニーロのThe Good Shepherd です。この次見ようと思うのは PERSEPOLIS。感想は次の機会に、機会があったら書きます。おまけに帰った自宅ではアルテでアリスのレストランを生まれて始めて三田ですよ。。。
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ところで、ユナイッテッド・ステイツのオヤビンも大変なご様子ですが、母国のアベチャンもご苦労が多いようですね。若きリタイア・カト改宗派ブレア氏も再就職活動がなかなかなご様子。我らがサルコ・ナポレオン・ソロ三世にも、これからどんな試練が待っているのやらと、ご心配申し上げる次第でございます。なお写真はナポレオン・ソロ三世とForce ouvrière(労組)代表Jean-Claude Mailly。労働組合委員長がなぜかやたらかっこよく写ってますね。クラース!
投稿情報: 2007-07-05 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
先週一週間、ヘンな天候のパリを所用でぐるぐるほっつき歩いて、おまけに土曜には薄ら寒い中、郊外のバーべキュー大会に参加。いいかげん飽きたので、勝手に他人の庭のジャングル化した藤の剪定までやって、それがたたったらしい。
それで風邪ひき三日目。ヒッキーも三日目。寒いので、パジャマ・トレーナー・分厚いセーターと着込んで、それから毛布かぶってpcたたきしてる。だって、寝てるのもう秋田市。いや、また寝ます、頭が働いてないもん。TVも夏モードで何にもない。
なお、明日のパリも雨・嵐。最高気温は19度だそうです。
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熱っぽいままル・モンドの サルコジスム、未確定経済論 という記事読んでたら、なんだか中世の“錬金術師”というのを思い出した。減税と国家赤字にはやたらヤサシイわけでリベラル自由経済主義かと思うと、経済介入主義(ユーロ、BCE金利)、別の局面ではケインズ主義(大学改革)。これでは仏国経済学者さんや行政内部のテクノクラートさんたちの脳内計算機カチャカチャ・アルゴリズムもすっ飛びそうな話であるね。まあ、弁護士さんたちのやってる政治であるから、極めて“ヒューマン”であって当然かもしれない。
あまりに(スター・アカデミー的に)ヒューマンすぎて、フィヨン内閣 訂正;(“開かれた”フィヨン左派・中道内閣にポストはもらえず、結局のところ元UDFなんだけど今は)UMPNo2.のドヴェジオン(弁護士)は、リヨンの地方TV局のカメラが回ってるのに、モデム党で先の総選挙では選出ならな
かったリヨン女性候補者をさして、Cette salope
と言っちゃった。
画像がネットで流通、本人は謝罪したものの、今回はこの事件はTVでも扱われてる様子である。サルコジのアジス・ベガグに対する発言ボキャブラリーから比べればショッキングでもなんでもない語彙選択であるが、興味深いのはTVも含めたメディアでの扱いだ。今回はヴィデオあるし、これは夏休み前のいいネタである。
ってか、錬金術師サルコの魔力も、金メッキは げてきた悪寒。
しかし寒いです。アスピリン飲んで、本当に寝ます。
"C'est moi qui avais proposé cette carte à Cécilia Sarkozy, explique cette dernière. J'estimais que c'était un moyen plus simple, plus rapide, plus moderne de répondre à ses frais professionnels classiques, tels les cadeaux protocolaires aux épouses des chefs d'Etat étrangers, les gerbes de fleurs ou les frais de représentation."
「このカードをセシリア・サルコジに勧めたのはわたしです。プロトコルである外国元首夫人へのプレゼント花束やあるいは招待費用などのクラシックな職業的出費に対応する、より簡単で、より早く、よりモダンな方法だと判断したからです。」
以上のことを、ニコラ・サルコジチームのスタッフEmmanuelle Mignon は言ってる。NS組にとってのモダン性ってのがなんだかよくわかるわけです。つまりこれまでのやり方を取らないこと。お約束(これもプロトコルですが)、つまりトレゾール・ピュブリック(国庫;ここに我々の払う税金がいくですね)からお金を引き出すには、それなりの職務にある人が、それなりの予算枠で、それなりの名目と明細証明が必要なはずなのですが、実に大統領夫人というのは職業ではないんですね。公務員ではない。そのあたりのプロトコルを飛び越えて、それがモダンだと思ってるフシがあります。
おまけのおまけ:これはリベの関連記事 セシリア・サルコジはもうクレジット・カードがない
Cécilia Sarkozy n'a plus sa carte de crédit
投稿情報: 2007-07-03 カテゴリー: France, Privé / 私事 | 個別ページ | コメント (20) | トラックバック (0)
パリ軍事法廷(TAP)の予審判事フロランス・ミション(Florence Michon)のもとに、これまで公開されていなかった、エリゼ宮のドキュメント;外交テレグラム・大統領補佐官のメモ・内閣会議議録の詰まったCD、が保管先であるフランソワ・ミッテラン・インスティテュートから、この6月27日に送られてきたわけなんですね。
これらアーカイブの一部はこれまでにも、国民議会調査で引き合いに出されたり、ツッティ生き残り民による仏政府責任追及告訴に出てきたり、また多くの出版物のべースにもなっていますが、これまで閲覧不可だった情報も、今回のCDには多く含まれているようです。
上のル・モンドリンクは、ルワンダ紛争の進展とエリゼ宮の動きがクロノロジーの形で書かれている。アフリカでのフランスの影響力保持を第一に考えるミッテラン大統領と、歴代の首相・外相およびコンセイエ、つまりピエール・ジョックス、バラデュール、アラン・ジュペ、ユベール・ヴェドリンなどが登場する。ウェブ版で3ページありまして、アタクシもまだ全部は読んでませんが。これは重要備忘アーカイヴ。タイトルは ルワンダ虐殺:エリゼ宮が知っていたこと
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こちらの記事は、多くの障害にも関わらず、CDアーカイヴがどのようにして予審判事の手にゆだねられたのか、と言う記事です。ルワンダ介入に関するエリゼ・アーカイヴが裁判所に引き渡される
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この件もですし、コソボ紛争におけるNATOによる爆撃もですが、“介入主義”という名の新しい戦争の複雑さを示していると思います。Affaire à suivre...
投稿情報: 2007-07-02 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)