- まだ読み終わってない、アフォにもわかるフランス史再開
- ディケンズ オリヴァー・ツイスト(仏語版)
- レヴィ・ストロース 悲しい熱帯 〔野生の思考はハタチのころ読んだけど、こっちはマダ〕
- ロバート・リテル La Companie (The Company の仏語版、本屋にあったんで買ってしまいました。9.95ユーロ、1222ページあるんだよねえ。息子ジョナサンの本も900ページでしたけど、もっと長い、フッ)(でもこれって日本語のも出てるはずだから、それのほうが読みやすいか、、、といっても買っちゃったもんはしょーが、ござんせん)
さて5週間でどれだけ読めるものやら。PCなし環境だから、その分本読むかというとそうでもないんだよね。毎年夏休みの読書本は、かばんに詰めるだけで読まずじまいってのが“お約束”のようになっているわけですが、こうやってブログに書いちゃうと読まぬわけに行かなくなる、、わけないか。コウゴキタイ。
結局のところ、言葉というのは先人の残してくれた“真実”である。これは映画にもいえますね。たとえばポランスキーの“テス”という映画には、かつての欧州農民の姿と変わっていった労働の形が、フィクションという姿で残されている。それがこの映画を作ったポランスキーの意図だった。
人は死ぬし、街は世界は様相を変え続ける、でも言葉は残る、映像は残る。“真実”というのは、やはりあるんだと思う。
翌日追記:というわけで休暇に出ます。途中で出先から書き込むかもしれません。なお、このところスパン・コメントおよびトラックバックが多いため、それらの公開機能も休暇化いたしますのでご了承ください。
真実は、消費されるべきものでも、消費しうるものでもなく、ずっと変わらずあったものであり、これからもまたあり続けるものなのだと、信じたいです。
真実というモノがそこにあったから、真実という言葉(名前)を人間は作ったのか、あるいは真実という概念こそが我々をそこに導くのか。
何故という問いは、何故という答えになる。
そんな事を最近、考えました。
投稿情報: 青柳 | 2007-07-11 01:53
あ、猫屋様。
良い休暇を!!
投稿情報: 青柳 | 2007-07-11 01:54
そう、海や光や太陽や月や、あるいはそれらを“美”と感じうるヒトの感性とか、子供の笑いやヒトの一瞬の動作とか、そういった“価値”はたしかにあるんですよね。青柳さんも、よい夏休みを。
投稿情報: 猫屋 | 2007-07-28 00:09