いい映画です。ロバート・デ・ニーロの監督する二作目、今回はCIAがどういった“心理状態”の人間によって作られたのかを、極めてクラシックなそしてきめの荒い映像で見せている。アクションや、軽さを期待して見たら落胆するだろうけど。
フランスでのタイトルは Raison d'Etat つまり国家の理性とでも訳したらいいのかな。原題の意味するのは、(ル・モンド記事によると)ヨハネ福音書から来てるんだそうです。羊たちのために自らの命をささげるもの、だそう。デ・ニーロは、そうです、イタリア系なんですね。映画自体もどこか欧州的においがします。
この3時間に及ぶ長い映画が扱っているのは1925年から1961年。裕福な軍人の家庭に生まれたエドワ-ド・ウィルソンが子供の時、父親が自殺して自分がその発見者となるんですね。みつけた父親の残した遺書を、誰にも見せずにそのまま自分のものにする。
やがて、少年ウィルソンはエール大学に進み、文学を愛する好青年となります。図書館で出会った聾唖の少女を愛するようにもなる。けれどSkull and Bones という名の国家エリートからなる秘密結社に加わり、別の世界へと入り込んでいく。
戦争が始まり、ウィルソンはスパイとしてリクルートされ、ロンドン・ベルリンで対スパイ活動をする。戦後は、つまり冷戦下は、KGBの同業者たちからマザーと呼ばれる腕利きの諜報のボスとして“活躍”するんだけれど、KGBのボスとのディールが絡んできたりして、、、というのがお話。
ま、アンジェリナ・ジョリが、わがままお嬢様として出てきて即結婚しちゃったりとか、アネクドットも多い。なにしろ一世代分(30年)のインテリジェンスの歴史を、一人の男の人生を通して描いているのですから、極めて中身は濃い。過去と1961年のあいだを、話は行ったり来たりするわけなんだけど、画面の下に「1961年ワシントン、ナンタラ本部」とかスーパーポーズが出るんでちょっとXファイルとかっぽい。
シナリオはフォレスト・ギャンプやミュンヘン(ミュニック)を手がけた Eric Roth。主人公ウィルソンのモデルは James Jesus Angleton という30年にわたってCIAのNo2だった人物(死ぬまで共産主義者は世界をのっとる大プランを立てていると信じてたそうだよ、このJJA)。
なんだか、ジョージ・ケナンの匿名レポートが大うけして、冷戦体制がガンガン“構築”されちゃった経過を、思い起こします。冷戦というのが恐怖に裏打ちされた一種のパラノイアだった、とする観点です。
ミスティック・リバーと言う映画をみんながほめるんで、苦手のイーストウッドなんだけど見てみたわけですが、訳者たちの“熱演”にちょっとゲンナリした記憶があります。やたら、眉毛のあたりをヒクヒクさせれば熱演と思ったらイケナイ。いや、そんなの実はお客の好みといえばそれまでですが、、、マット・ダモン(と読むのは仏風、ほんとはデイモンですか)は、最初はちょっとナイーヴで笑顔がかわいい、という米国男のいちばんいいトコを演じていますが、諜報生活が長引くにつれて、より自分の殻に閉じこもる。家族にさえ声をかけない、あるいはかけられない仕事マシンになっちゃう。
かつて自殺した父親の姿を追って、祖国を守るために全身全霊をささげるんだが、やがては自分の息子をもある意味で犠牲にしてしまう。これも聖書ですよねえ。
カメラも極めて重い動きで、ロングショットが多いんですが、これが主題にうまくマッチしてる。「善き人のためのソナタ」に似ていないわけではない。ただ、このドイツ映画では諜報員のヒューマニティが中心軸になっていましたが、こちらの米映画では救いといえるものがひとつもない。アフター911映画のひとつです。
自殺する直前の父親は、息子に「嘘をついてはいけない」と言う。息子はその言葉に忠実に、ロワイヤルティを目指して、結局は冷戦時代の、嘘と裏切りと密告のアウト・オブ・ロー情報戦世界の構築者となっちゃうわけです。
ピッグス湾事件はじめ、南米でのCIAの絡んだ裏外交のエピソードも多く出てきます。ホルブロック国連米国大使は、この映画、「歴史を小説化したものだ」と評したそうだ。
スパイものが好き、あるいは冷戦の歴史に興味がある、あるいはマット・デイモンが好きな方にはゼヒゼヒの映画であります。
また、旧世紀の父権サイコロジカルな側面、あるいはスパイ話についての情報をもうちっと知りたい、というかたは下のル・モンド記事をどうぞ。なおモデルになったアングルトンを、ジョナサン・リテルの父ロバート・リテルはThe Company (たしか2002)で描いているそうです。
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