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2006-12-16

コメント

Hi-Low-Mix

東ヨーロッパとかはどうなんでしょうねえ。
寒い地域なんかは検証・考察が難しいでしょうけど。

猫屋

ん?
Hi-Low-Mix 氏、鋭いですね。東ヨーロッパ。
>寒い地域なんかは検証・考察が難しいでしょうけど。

聞いた話では、イスラエル南部観光地にやってくるロシア・オリガルク系ニューリッチは“さらし派”なようです。かえって、ポルノ・シック(グッチD&Cとか)欧州“堕落”消費文化と開放度の関係に行くのかなあ。自信なくなってきたなあ。たしか、フーコーは“道徳というのには社会構造との因果関係はない”見たいなこと言ってんだよね。。。

Hi-Low-Mix

また中二的な思いつきで書いちゃいます。
アメリカの場合、広大なフロンティアの存在が影響したってことはないですかね。
広いが故に、「ウチ」と「ソト」の明確な区分が可能となり、おっぱいの解放も「ウチ」だけでできるようになった、とか。
その結果として「おっぱい放り出し」という人として当たり前の欲求(?)は「ソト」に出る必要を失い、「ウチ」だけで行われるべき行為となった、とか。
日本のおっぱいが隠蔽されたのは、戦後の「世界=アメリカ」的な認識の影響ってことで。
…うわー、バカっぽいw

猫屋

ども。ここは中学校の昼休み的大風呂敷で勝手に世界を語るブログなんで、よろしくお願いします。
アメリカにとっての“国境=フロンティア”って、他国とはちょと違ってるように思えるんで、(世界全部が神の委託によって米国が制覇すべき、あるいは“民主化”すべきフィールドである、っつな)意識があると思うのね。ネオコン型歴史史観。

んで、日本におけるピューリタニズムは、明治維新のあたりで混浴とかを排除することになった。下って、バブル崩壊あたりから、政治的および経済的に非米国文化ってのがだんだん影響力を失って、同時に日本社会の米国化、つまり、政治的には共和党的自由資本経済原則が、社会的には米国プロテスタント原理主義的モラル観が定番となっちゃった、でいいのかも。

たしかにクリントン的民主党的米国では、おっぱい大好きってなノリだけど、ブッシュ、あるいはライス国務長官的共和党下の米国では、残念ながら“おっぱい”に出番はない。そう思います。

ぴこりん

先日は失礼をば・・・m(_ _)m

おっぱいのみならず、英国までも含めて驚いたのが
男女問わずヌードの広告の多さです。
ゲイ需要が、とも考えられなくもないですが、
それとは関係なく「フツーにある」感じでしょうか。
日本で「女性の裸像ばかりなのは性差別!」
なんて叫んでいたおばちゃんに見せてあげたい有様です。

そーいや、わが母校には男の子2人がなぜか全裸で肩を組む
「友の像」というのが図書館前にあり、学生の間では
「XXの像」と言われてました・・・ナンテ。

猫屋

いやいや、どもども...m(_ _)m 
んーと、確かにポスターとかTVアドの裸の多さは、慣れたとは言え、ますますサドマゾっぽかったり、ありゃちぃっとやり過ぎに個人的には感じられる。おまけに、みんなフォトショップで過剰修正されててw、ずるいと言うか。ま、現実の身体性は、ビーチとかで実地検証できるんですが、欧州実際のおっぱい、とかビール腹とか見たことない非欧州人が、変なコンプレックス持つんじゃないかと心配になります。アノレクシーってのもあるしね。

あと、こっちではゲイ文化はもう過少価値ではなくなった観があります。今では、少なくとも西欧州の都市部ではホモセクシャルも単なる普通の市民でありまして、高校生ぐらいの女の子2人で抱き合ってキスしたり、男2人でデレデレしてても単に普通。でも日本じゃまだそうは行かないんだろうけど。でも実際には、日本にだって、表立ってはカミングアウトしてなくても、“お稚児さん”とか、天草四郎人気や歌舞伎や白虎隊とか、芭蕉とかなんとかの、ホモセクシャルに対する寛容はあったなずなんだよね。

関係ないけど、初めてチンチン出したのはイヴ・サンローランの香水ポスターです。女性のボボ出しはまだないと思うけど、この差って案外面白いよね。

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