ル・モンド エディトリアル
読解不可
2006年3月25日発行(日付26日)もし社会危機がこれまで重大でなければ、24日マティニオン(首相官邸)で演じられた奇妙な喜劇を馬鹿にすることも出来ただろう。ドミニック・ド・ヴィルパンは五つの労組同盟を代表するリーダーたちを一時間以上迎えいれた。こうして、初回雇用契約に関するいっさいの合議を回避した後、3月28日に予定される全国運動の4日前になって、首相はやっと対話を始める決意をしたかと思われた。当事者たちのすべてが一歩を示した。ヴィルパン氏は『前提なしの』意見交換を約束していた。これまで、CPE取り下げがなされない間の会合を拒否していた同盟も、同じメッセージを直接届けるためこの会合参加を受け入れた。
その結果? 『プシッ(Pschitt)』 あるいは、、、ほぼゼロ。組合側が得たのは、首相は土曜から学生と高校生団体に会うということのみ、それも前から予定されていた月曜はなしになった。だが、学生・高校生団体は申し入れを断っている。首相はと言えば、来週火曜のスト以降『討議を続ける』用意があると言っている。
この態度は不可解なものだ。ド・ヴィルパン氏の挙動に不安をいだかさせるものだ。2ヶ月前から彼は自分の決意を表している。3月21日にも、UMPの議員たちを前にして、CPEの取り下げも、中断も、『変質(原文:dénaturation、本来は物質に関して用いられる動詞)』も受け入れないと豪言している。翌日、ニコラ・サルコジがしだいにこの非妥協的態度に対する疑いを表し始めた矢先、彼(ド・ヴィルパン)は、マティニオンに組合員を呼び出すという、豹変を見せた。『マニッフ(manif、マニフェスタシオン=デモの略語で学生などがこう呼ぶ)』があるたびの付随事件がますます暴力化してきた時点で、世論は関連2サイドがやっと出口を模索しはじめたと理解した。
そしてご覧あれ(Et voila)、金曜日の組合員たちがマティニオンにやってくる直前、これまで対話賞賛を繰り返していたシラク氏が平静化への期待を打ち砕いた。「私は最終通告の民主主義信奉者ではない。」と、ブルッセルで国家元首は激語し、「議会で法が可決された時、憲法の規範と精神に基づき、その法は適応されねばならない。」と付け加えた。したがって、ド・ヴィルパン氏に会う以前に、指一本ぶんさえ彼が譲歩しないことを組合員たちは知っていたわけだ。振り出しへの差し戻し。
首相は、出口を作り出し(本当の)ネゴシエーションを開始することで立ち役者ともなれたはずだ。理解の限りを尽くして考えるに、彼は時間稼ぎを選んだことで、不可解で同時に危険な策略に身を投じた。無視し続けた後、このいんちき取引に労組幹部を巻き込み、さらに反感を強めさせ危機をあおるリスクを重ねることは常識を逸している。火をもてあそぶ行為は決してよい政治ではない。
コメント