26日付けル・モンド社説の訳出にかかっていたのだが、眠くてたまらない。ひとまず作業停止。ついでに勝手に飛んでゆきそうになった言葉フラグメントをノート。
映画、太陽のオフィシャルサイトに、『1945年夏、国家機構高官層に伝統的やりかたで自殺するものが100人ほどあり、そのなかには皇居前で行われたものもあった。』と書かれている。また続いて『この出来事は国を大きく傷つけた(原文の動詞:traumatiser)。』とある。
たった60年前のことだ。敗戦直後の自害についてはもちろん知っていたが、ロシア映画監督の言葉で思い出したわけだ。
そしてこの言葉が、もう5年も、いやもっと長いかもしれないがどこかに突き刺さったままのトゲのようなものを思い起こさせる。
ヒューマニズム(人間主義)の限界についてである。
サルトルは最後のヒューマニストであると言ったのは誰だったか、忘れた。サルトル自身だったかな?
911、アフガニスタン、イラク、ロンドン、もちろんその他の多くの地で、またイスラエルで行われる自爆行為(kamikaze)のあたえる畏怖は、その行為がヒューマニズムの『人間性肯定』の否定であるからなんだろうか、、というのが突き刺さったトゲである。自爆・自害は『光(啓蒙)』の基盤である人間主義が扱いきれぬ主題なのか、どうか。
自分のことを言えば、すでに50を越えた春を経験し、それでもというかだからというか、自らを捨てるほどの故国はなし、と思いたい。私は個人主義者である、と書き始めて『汝、殺すなかれ』という言葉がどこからともなく立ち現れ、ベッソンの映画『ジャンヌダルク』も提示していた逆説に突き戻される。
桜の木の根元に埋まってるのは死体なんだよね。故国。
桜の木の下には死体、そして鬼女や盗賊も出現いたしますね、故国。 しかし
欧州は バラの下に死体、恐らくレンギョウの下にも死体。 おほほ。
ご無沙汰のうえ突然で誠に申し訳ございませんが、進化バトンなるものを受け取ってしまいました。 パリ方面にバトンを飛ばしたく、猫屋さまの寛大なるご処置をお願いいたしまする。
詳細は拙宅、いえ拙ブログにて。 これにて御免。どろん。
投稿情報: Mari | 2006-03-28 18:07
姫。お元気であらせられまして、、つか元気そうでなにより。
これからそちらにお邪魔しますが、バトンは、ま、検討しますです。
投稿情報: 猫屋 | 2006-03-29 00:43