急に暖かくなった。たまたま寄ったデパート食品売り場で、お値段高いにもかかわらず老若男女がニコニコとうれしそうに買い物している。つい、美味そうだったのでクスクス一式購入。うふ。
春であるな。それはある日突然やってくるのである。このまま冬が永遠に続くのかと人々が暗い空を見上げてため息ついて、それでもある朝、春はいやでもやってくるのだ。ね、ワトソン君。
そして春とは暴力の季節でもある。だいたい創造というのは破壊と切り離せない。祭りがそうであるように。生が、そして性がそうであるように。
ル・ルセンチモン/le ressentiment から遠く、ル・センティモン/le sentiment により近く、ルネッサンスはやってくるだろう。だが生まれ変わるには、前世がなければ再生もないのは道理。歴史の厚みを背後に感じなければ、そしてその歴史に見合った時間のかかる努力をしなければ、ルネッサンスも長続きはしないはずだ。
ショートタームのデイ・トレードで何が構築できうるのか?せいぜい24金の湯船を買うぐらいだろう。ジェット機で休暇に出るぐらいだ。ミンクの犬用ベッドを買ったりとかさ。ふん。
われら人類の歴史がそんなもんに体現されてはみっともないと思う。たしかに人類は多くの悲惨を作ってきた。しかし、それでも何でも、どっこいいまだに生きているわけだ。
上の写真は今月13日のもの、プラカードに書かれているのはCPEにかけてキャロット・パタット・エピナール、つまり“にんじん・ジャガイモ・ほうれん草” 若い人間をサラダ扱い(一緒くたに)するな、と言う意味。デモ要員はゴミ袋をまとっておりますね。
やってくる次の世代に託すしかない。この長くも短い人類の歴史は、株式価格に転換できるものではない。あるいは、やがてだれかが人間の歴史をオークションに出すのだろうか。
では春眠暁をおぼえず、なのでおやすみなさいませ、人類。はるはあけぼの、ようようと、、(以下夢の中
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