これはfenestraeさんが書き込んだ、shibaさんのブログ・コメント欄からいただき、
カソヴィッツのサルコジ批判に対して、カソヴィッツのブログのコメント欄に直、貼られたサルコジの反論。このコメント欄には今現在、サルコジまぜて397の書き込みがあるようです。私はサルコカキコ文斜め読みのみ。私のブログ観では、サルコジ自身が自分のブログを持ってるわけだから、そっちで対カソ反論すりゃあいいようなもんだが、それをわざわざカソヴィッツのところでやるのがなんだな、とてもサルコジ。釣れるもの。
反論自体はさして、面白くはない。意味があるのは、現地にすぐ出向いてカメラにおさまることにあるわけだからね。
サルコジ戦略は、実際に使う“言葉”の裏側にあるsous-entendu/言外の意、暗示、ほのめかしを、人々の“恐怖・不安”、これはいわれのあるものもないものもいっしょくた状態のまあ言語化されてない感情、に結びつけるというものだ。マーケティングね。
ある意味、需要/desir がないところにも需要/desirをを作り出すインセンティヴ・マーケティング。離婚成立の見込みがなかなか立たないようだが、サルコジ夫人の恋人が、サルコジUMP党首就任大会のオーガナイザーだったというのは象徴的です。
私を含めたパリすずめの多くが、バンリュウ騒動の始まって間もない時点で、サルコジには“カルシェール/水圧清掃器”“ラカイユ/屑”というマークがこれから一生付いて回るであろう(これは間違いはない)、サルコジの政治生命はここで(少なくとも一時的には)ストップするだろうと見たわけですが、後者は見事にはずれ。
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これは今日出たヌーヴェルオプスで読んだ記事です。移民問題を専門とする歴史家ジェラール・ノワリエル/ Gerard Noiriel がインタヴューに答えて、現在の危機は《フランスにおける移民の同化政策》の失敗を示すものではないと言ってる。そうではなくて、これは社会問題なのだが、社会問題というのは元来左派のボキャブラリーであって、保守は使えない。そのかわり、、フランス国籍を持たない壊し屋を国外追放にしたり、いくら考えてもリアリズムのないポリガミ論と今回の騒乱を結び付けてみたり、と結局争点を“外国人”というカテゴリーに持っていこうという、方向づけを今保守がやっている。(これは記事の猫屋読みなので、誤読の可能性もありますが、、、と予防線張っとくわけだが、、)
問題があると、それは外部者の責任だ、というのはもう歴史が今までにイヤというほど見てきた事象なんですが、内部にいるとそこが見えないんだよね。私に向かって、J'suis pas racist'mais .../私はもちろん人種差別主義じゃないけども、、と言う“善良な市民”は目の前にいる人間が他人種であることを忘れているので、苦笑しちゃうわけです。
あと、ボボ(ブルジョワ・ボヘム)が見事にペジョラティフ/軽蔑語として機能しちゃってますね。“エリート”と“ボボ”を排除したら、じゃあいったい誰が残るのか。サルコジ的まっ平らな無思想平原が広がるんだろうね。リベラシオンは解雇問題をめぐって四日めのストです。これも痛い。社会党に、今の混沌状態を収斂させることの出来る論客がいない。ハードに痛い。
行き着く先は、特に“安全地区”で虎の子を抱えるシニアーとかはもうそう考えてるんだろうが、イスラムがフランスを乗っ取るという恐怖でしょう。
アイデンティティの危機は、なにもバンリュウの子供だけの問題ではない。このアイデンティティの危機を受け入れる“思想”を提出できる人材がいない、あるいはこのアイデンティティの危機を大統領選へのツールとして利用するサルコジと、サルコジの後ろからサルコジとの差異をもって戦略とする、ド・ヴィルパン、シラクチームがいるわけだ。
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クリップ URLのみです(時間足らず)
ル・モンド社説 《Le Rap à l'index 》 排除されるラップ、とでも訳すべきか。UMPがラッパーを検閲しようとしていることに対する批判です。コロンバイン高校での連続殺人事件とメリリン・メンソン責任説を思い出しました。
同じくル・モンド、fenestraesさんが挙げていた、イスラエル新聞“Haaretz”に掲載されたアラン・フィンケルクロートのインタヴュー批判。La voix "très déviante" d'Alain Finkielkraut au quotidien "Haaretz" ハレッズ紙でのアラン・フィンケルクロートの“常軌を逸する”声、ですか。
“騒動を起こした者の多くは黒人かアラブ人でムスリム”と決め込むフィンケルクロートの口ぶりは“あ・あーそおだよお♪”ル・ペン語法の演繹です。(ブラック・フレンチのうちイスラム教徒は半分以下だったと思うんですが、、)
追加:スト解除のリベから Finkielkraut : "Je présente des excuses "
Mrapがイスラエル日刊紙Haaretzでのインタヴュー記事に対して人種憎悪を煽動したとの訴えを裁判所にだしたが、この訴えの対象であるフィンケルクロートは金曜日に“(自分は)政治的同一視の犠牲だった”と表明した。
猫屋さん
raidaisukiです。
コメントありがとうございました。
日本での受け取られ方のことを考えて、つい変な書き方をしてしまいました。申し訳ありません。ご指摘は妥当なものです。それで文面を訂正しましたが、いかがでしょう。
わたくしの真意について述べましてTBさせていただきましたので、またご笑覧いただければ幸いです。
投稿情報: raidaisuki | 2005-11-26 02:39
raidaisuki さん、
遠いところから、わざわざ出向いていただいて、ありがたいです。お詫びはかえってこちらが恐縮しますが、なにせ、それ、もうフレンチイな(でもなりきれないのは当然な)猫屋であります。アバウトですいません。
ネットの距離と読めない空気、、というのは本当に難しいんですが、自己のテリトリ(ブログね)の店主はやはり主筆であろう。そういう意味では、自分が感じたように書くより仕方はあるまい、と考えております。これもアバウトに。
どうも、サルコジに関しては猫屋自身、ムキになる傾向があり、しかしそれにはそれなりの根拠があるわけで、この点は(長期的視点での)現在のディベイトで自己分析もしてみたいなどと、思うわけですよ。アバウトですが。
とか言って、処理できるんかどうか良く分からない形で“宿題”が積読書庫の脇にたまっております。それでも今日は雪の中映画パレロワイヤル!を観に行くぞ。ヴァレリー・ルメルシエのポリティカリー・アンコレクト度とド・ヌーヴの某英国女王のパロディだもんね。後日報告します(ってまた宿題を増やすな、コレ)http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3476,36-712977@51-629232,0.html
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-26 11:15
ル・モンド記事一部翻訳は今夜の予定であります。寒いので夜遊びはいたしません。リューマチが(嘘です
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-26 11:22