またまたリンク元がフランス語で申し訳ない。
Wikidepia フランス版で《フランスバンリュウにおける2005年騒乱》という長ーいぺージを見つけたのでクリップ。
《 Emeutes de 2005 dans les banlieus françaises 》
騒ぎのクロノロジーなど仔細、関連するメディア報道などもあるわけですが、、まだまだ長くなりそうな予感、であります。またディスカス・ページを見ると、本ページ編集にかなりの数の人間の“熱意”が費やされているのが分かる。今回の出来事が、なんだかんだ言っても、今までの“スタチュ・クオ”の態度にとどまることなく、若い世代のダイナミスムに繋がれば、、言うことないんだけどね。
なお、同記事のWikipediaの日本語版に関しては言いたいこともあるが、だったら自分で編集せんかい、という猫屋内的批判が出てきますので、言わない。でも警官隊が投げた催涙弾は、翌日の現場検証によってモスク内ではなく庭に落下、結果祈祷中の内部に催涙ガスが入った模様です。
今のところの、騒乱全般に関する猫屋の見解ですが、arret sur images でも言われていたかと思うけれど、“共和国”の基本概念である平等はそれで正しい。しかしそのアプリケーションの時点で、フランス政府は“見たくないものには蓋”的態度を長い間取り続けてきたという事実はあるだろう。結果、基本概念と現実の間に大きなギャップができあがって、それが飽和状態になった、そう見ます。実際にかなりな額の援助があっても、それが丸投げで実際のアシストがないと、それは単なる無駄使い。
これは一時期の日本の、たとえば対アフリカ医療援助が、高価なスキャナーとかの医療器具贈与という形で行われたが、現地ではその器具を動かせる技師がいないため、贈与は埃だらけのまま放置された、という話にも似ている。(現在の援助がどういう形で行われているのかは知らない。これはあくまで過去の話です)
アフィルマティブ・アクションの話も、エスニック区分ではなく、地域枠でといった話も出ているようです。2007年の大統領選がらみであるのは仕方がありませんが、同時に国家赤字の大幅増大を次期大統領に“丸投げ”はなしに、最良策がとられることに期待したいですが。
なお、TV番組Envoyé Supécial で扱われてたらしいシヨンス・ポの特別区域からの特別学生援助みたいなのは、あくまでケース・スタディ枠であるようです。あの学校は外国からの留学生を引きたいようでかなり努力してますな。なお該当番組には、きわめてフランス(政府)広告的側面があるように、私は思う。
猫屋近隣アンケートでは、まあ社会党はおいといて、サルコジとド・ヴィルパンだったら、少なくとも美意識はありそなド・ヴィルパンかな、という線が多い。これでバイルーが入るとまたこんがらかって来るわけですが。
あと気になるのは、車やゴミ箱に火を付けた始めた者のうちに若年層(14・5才か)が多いらしいということ。こちらの子供の最も扱いにくい年齢(age bete)は14歳だそうです。これはバンリュウに限らず、全国的に言えるだろう。
高収入家庭でも、離婚や親の失業、あるいは仕事が忙しい親の関係で放って置かれた子供が、学校に行かなくなる、誰も相手にしてくれないから、悪いやつらのグループに接近する、結果ドラッグに手を出す、、といった話はこのごろよく聞きます。
社会での、それに伴って学校での競争が激しくなるのと平行に、学校で学ばなければならない教科内容もどんどん増えてくるわけで、おまけに昔はなかったゲーム・チャット・マンガはあるし、恋もせなあかん今時のティーンは大変だ。で、学校出ても就職難でしょ。いまごろ、ディランが流行ったり、ニルバーナが再ヒットしたり、ゲバラも人気だったりするのって、こう見るとよく理解できるわけです。バンリュウではそれがラップにあたるわけだな。
各時代の“怒れる世代”にはそれぞれの怒るに至る理由があるだろう。ご当人達はそれに気づいていないかもしれないが。そこの点を、フィンケルクロート(shibaさんの訳文参照)もグリュックスマン(これもshibaさんが訳出してくれました)も見ていないと思う。そこら辺を拾い上げないと、“哲学者”ではなくて、単なる怒れるおっさんだ。あるいは哲学が有効ではない時代になったのか?そうかもしれない。
また、バンリュウの火付け未成年“擁護論”はサルコジのラカイユ発言に対して発せられたものだというクロノロジカル・コンテキストを離れては読みが外れるだろう。
それはさておき、サルコジに関して:叩きゃあどうにかなるとは思えないわけね。叩いたら選挙は勝てるかもしれないけど、後になって収集が付かなくなる可能性は高い(ってのは、イラク戦争開始時に猫屋が考えていた某所で叫んでいた、ことでしたが)。
追加クリップ
社会学者エドガー・モラン/Edgar Morin ラジオインタヴュー(11月12日ウィンドウメディア19分22秒)“人間的言葉で始めるべきだっただろう、、、”
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