ほんと春です。くるくる変わる天候、温度に疲れてひたすら眠い。ベランダのマサキさんとカエデさんとヤツデさんとサンショさんたちからなる日本チームも(おっとサザンカさんもいる)遠地遠征とはいえなかなか元気に新緑ピカピカである。今夜も手抜きのアトランダム・メモ。
自分は生き残りである、という心情が強い。911あたりからだな、これ。歴史的に言っても戦争が終わってそんなに時が経ってない頃生まれた。小学校の給食ではまだ、米国からの援助物質だったひどくまずい粉乳ミルクが飲めなくて困った記憶がある。当時の私は小さな日常の小さな幸せの中で生きる子供だから、親たちが決して話題にしない“戦争”のことなど知らなかった。それは忘れるべき事項だったのだろう。
だが、ここパリではある意味、すべての戦争の跡を見ることができる。ほとんどすべての仏人家族内に移民がいるように、各家庭内に戦争での犠牲者がおり、たとえば復活祭での家族の集まりなどで話題になる。フランスは多人種国家でり、また多国籍国家である。2重国籍、3重国籍を持つものも少なくない。フランスは移民の国である。ユダヤ人・ロシア人・イタリア人・スペイン人・ポルトガル人・アルメニア人・アルジェリア人・モロッコ人・セネガルを筆頭としたブラックアフリカ旧植民地人、ポーランド人、ベトナム人・中国人、、、近年に入ってきたロシアを始めとした東欧人、トルコ・クルド人とリストは未完である。もちろん日本人もこのリストに入る。亡命者リストもある。イラン人イラク人アフガニスタン人チリ人、、、。世界中の近年史上の戦争と悲惨を逃れてきた人々でできた国である。
そして、パリは悲惨をリアルタイムで目撃できる街でもある。観光地であるシャンゼリゼやカルチエ・ラタンをはずれたメトロ構内や、路上のそこここに、SDF( sans domicile fixe/ホームレス)が陣取る。赤十字や MSF などの団体がスープやコーヒー、医療援助を行うミニバスもよく目にする。パリは犯罪の都市である。世界中の麻薬も集まってくる。ある日、10区のあたりを歩いていたら、サイレンを鳴らした普通自動車/偽装パトカーが角をかなりの勢いでカーヴ、開けられたサイドウィンドウからマシンガンをかざした私服の男がスゴイ目でこっちを見て通り過ぎた。失業率は10パーセントを越え、街角のSDF達を見ないように通り過ぎるのは、非情のせいばかりではない。あしたは自分もああなるかもしれない、という思いがどこか頭の中にあって、それが恐い。
わたしはパリに住むひとりの生き残りだ。地震も津波も飢饉も戦争もテロも犯罪も、まだ経験していない。経験しないまま平和な人生を送りたいと願っている。だがそれを決めるのは私自身ではないとは承知している。Jusqu'à maintenant, tout va bien/ここまでは順調だ。マチウ・カソヴィッツの映画 《La Haine》 の冒頭シーンのナレーションだ。これから何が起こるかは誰にもわからない。
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だから、春がもう一回来たことを祝い、ベランダの小自然を愛で、陽の光を浴び、『ふーらり、ふらり、風来坊。ふーらいぼー。』などと古い歌を能天気に歌ったりするのだよ。
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