と、内田教授が発信するリフレインにまた、感染してしまった。ソウブキップについで第二弾。いかにnekoyanagi が影響されやすい、まあ言い換えれば柔軟な耳感覚と脳機能を持っているかということなのだろう。自己弁護すれば、複数言語をどちらかと言うと耳で覚えたタイプの自分の耳機能・発音系は悪くないような気がする。反面(お気づきの方もあろうと思うが)スペル・アウトと固有名詞はまったくダメです。
♪シュガータウンは恋の街♪
このメロディラインは、パリ4月の絶望的悪天候と寒さに対する抵抗運動のテーマにいいかも、などと考えたら、ぞろぞろと“テイスト・オヴ・ハニー”だの、“1910フルーツガムカンパニー”だの“牛も知ってるカウシルズの雨に消えた初恋”だのが、千と千尋油屋に向かう妖怪変化♪ももんがー、とはっぴいエンドにまでいってしまう。これって春のアリエネーション?ありえねー。
通常はワードに書き出してコピ・ペースト、いい絵があったらそれと一緒にアップ。画面で見てから誤字等訂正という手順なんですが、typepad も投稿の仕方が変わった。今夜は初めて投稿ページに直接入力しています。テスト。WYSIWYG編集機能ってのも可能になったんだけど、HTMLすっかり忘れているし、あわわ状態。時間にゆとりがあるとき試してみる。
身近な《形と自由》について
たとえば、従来のウェブ・サイトとブログのちがい。nekoyanagi も何年か前サイト作ろうと 1. ドリームウィーヴァー+フォトショップ+フラッシュ+デジカメetc.を購入 2. ドットコムのドメイン購入 3. サーバーに年間仕切り賃支払い、までして結局自分のサイトは一年間ほっぽらかした経験がある。面倒くさかったのと、書くべきことが見つからなかったからだ。“窓から金を投げ捨てる”行為であった。2000年のITバブルをしっかり支えてしまっていたな。
その点ブログは簡単。5分であなたにもブログができる、というのは少々大袈裟だが、サイト構築には、たしかに《構築》と言い得るよーなアーキテクチャルなハイななにかがあって、なぜだかそのハイなところを越えられなかった。少なくともブログの低コストあるいはノーコスト性、キット/箱庭性と即時性があって初めて私のよーな口語人間でも字が書ける、という事態になるわけだ。結果として、とんでも発作発生も可能となるんで。放埓な形には放埓な酒が満たされる、かも知れない。
剣道形
このシリーズ一回目であげたパリ大会では剣道少年少女たちによる形披露もあった。木刀を使う中学・高校生たちがいっせいに形を見せてくれたのだが、なかなか面白い。八段師範マエストロたちの真剣を使ったピリピリした感覚はない。緊張しながらも、まだ育ちきっていない身体と精神のバランス具合と、各人の個性(と思う)がそのまま出ている形と思えた。それはそれで美しいし、感動的でさえある。形披露のまえには年少の子供たちの切り替えし披露もあったが、6・7歳の子供から八段師範の形にいたるまでが、《道》なのか。
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これで次回はお答え編までいけるかもしれない。
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