ブッシュ大統領関係はこっちのメディアでも、大して盛り上がらなかった。ル・モンドは一面に組んだけれど、リビア/シリア対策に関する仏米同意以外にはたいした報道内容なし。夜20時のニュースでも最後のほうで3分間ほど流しただけでした。TVニュース一報はイランの地震、次が南仏の雪関係。
ただ、ル・モンドが、石油をめぐる露日中の危ない関係についての長年東京特派員を勤めるポン氏の記事と、EUの中国への武器輸出に対する日本の反対関連記事もあるが前後関係の解説のみ。
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小川洋子著《ブラフマンの埋葬》、読み終える、って3時間でしたが。
感想: ブラフマンが死んで悲しかった。
小川女史の本は、《沈黙博物館》を読み始めたけど何故か頭部分でギブアップ。それでも某小川ファンがどうしても読め、というんで《完璧な病室》を読んだが、これは面白かった。ブラフマンは、、、読めたですね、最後まで。と、小川さんの本の話はここまで。だって、書く事ない。
日本の本は値段は高いのにすぐ読めてしまうので困ります。だいたい最近、小説はほとんど読まず、積読してる本はみな横文字の、おまけにムツカシイ類なわけでして、まあ本代がかからなくて助かります、というか。本来は古典を読むべきなんだろうな。今回の村上春樹でも小川洋子でも、これは彼らのスタイルなんだろうが、なにやら言葉がスカスカ風通しがいい。いや、日本語はすかすかでいいのか。俳句の国だしなあ、ほとんど菜食主義だし、禅画とか浮世絵の余白かねえ。
あるいは毎日の生活で読まされてる横文字が中身が詰まってるせいでこう感じるのか。漢字がないから、横文って顔がないでしょ、顔。文章が長い短い、句読点が多いとかあるいはフォント選ぶとかでできる視覚としての文体/顔はあるけど、漢字の使い方ひとつでページごと四角くなったり丸くなったりする面白さが横文字文には、中国語文もだが、ないわけですね。なのに村上の春樹氏はカタカナ乱用して、もったいない。それが狙いなんだろうけどさ。
あと今回の日本現代小説2冊はしご編では舞台が、夜の無色的東京と国籍不明某地が舞台なんで、ちょいと食い足りない。『我輩は猫である』を再読するべか、と考えている。持ってないけど。小説はなぜかネットで読む気にならないし。『猫』の東京弁とあの頃の(私もさすがに生まれてなかったが)東京の空気が、この頃やたら懐かしくなるのだ。
東京に帰るたび、紀伊国屋とか旭堂とかの大型書店に行って、でも何も買わずに退散する。あれ本のインフレ。眼も頭もクラクラしてしまう。故郷と(日本語)本は遠くにありて、時々感激するぐらいが私には合っているのかも知れないです。
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エントリ右上の写真は、仏版《完璧な病室》の表紙。アルルに本拠を置く actes sud という出版社が出してるけど、このなんとも日本な表紙のせいで、長い間私は小川さんを敬遠していたわけです。
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