どうも、
約2週間滞在した日本から帰ってもう3・4日経つんですが、今回はなかなか疲れが取れない。たぶん原因のひとつは、パリ⇔羽田便(行き帰りとも朝6時に現地到着)を始めて利用して、飛行機内では眠れないワタクシには辛かったことがあるし、(パリでもそうですが)日々の気候急変化についていけないこと、それから実質12日滞在の間に東京⇔長野、東京⇔熊本、と移動したのも影響したかと思います。
しかし、あの天気は凄かった。着いた日は暑くて、でも気候が崩れると突然寒くなる。長野に出かけたときは上諏訪の温泉・高倉舘を出たあたりから雨が降り出し、泊まった美ヶ原の標高2000mにあるホテルでは外界の気温はプラス5度、天候はブリザード:(天気が良ければ見えるはずの)北アルプス・冨士・浅間山はおろか、近場の山々もなんにも見えない。視界はせいぜい5から10メートルぐらいか。。。あの悪天で北アルプスではかなりの遭難者が出てたです。ありゃ南極大陸的天候だった。
でも次の日松本まで降りれば快晴で気温+26度(夜にはまた天候崩れてましたが)。そのあと下諏訪に寄った。
首都圏では、巣鴨での法事の後に首都高を車で帰る途中、突然のヒョウを伴う嵐に遭遇した。その頃ツクバでは竜巻が暴れていた。
最後に行った九州では、2日目午後にやっと晴天に恵まれたが、有明海を見たくて乗った熊本⇔島原フェリーではガスがかかっていてほとんど何も見えなかった。あれは黄砂なのかなあ(で、写真なし)。
島原では普賢岳・平成新山にも出向くつもりが、あのあたりは車がないと移動が辛い。結局、雲仙岳災害記念館を訪ねただけで、あとはひたすら海の見える温泉に浸かっていました:極楽・極楽オンセンハイ。おまけに魚がたいへんおいしい。
九州の味付けは醤油まで甘くて苦手ですが、刺身のコリコリ感は只物ではないね。アジ・イワシ当の青魚まで刺身で喰える(東京のとはまったく別物):新鮮なんでタタク必要ないわけ。桜鯛の塩焼きも美味かったなあ。
翌日は現地に住む友人の車で阿蘇に向かい九重の温泉三昧。ゴールデンウィーク開けの阿蘇九重は人も少なく、パーキングで若いローナー・バイカーが中年観光婦人たちにモテテいたよ。
新緑の山並みを見ながらの露天風呂も素晴らしいし、料理も酒もおいしい。山の中なのに出てくる魚がよくて、でも考えたら3時間も車で走れば海なんだからと納得(なお宿泊は2食付でひとり1万円ちょっとだったよ)。みやげに旅館の会計さんが自宅で作ってるという見事な干し椎茸(確か120グラムで約1000円)を買って島原のわかめ・海苔の佃煮・塩辛と一緒に実家に送った。
阿蘇はいいなあ:北アルプスの厳しさはないけどノンビリしてて、とにかく広い。住居・集落・田んぼ畑も自然とよく調和してる。
だが時々見かける牧場の星条旗がよくわからん。ララミー牧場とかのTVシリーズ見すぎ世代がやってるんだろう。あと演習かな、自衛隊の車がかなり走ってた。
まあ、仏選挙でオランドが大統領になって、独裁政治が一応終わったから猫屋九州再移民プロジェクトもモラトリアム状態なんだけど、もしも日本に帰るとしても関東や関西都市圏に住むのはもう無理だろう。人多すぎ、でかすぎ。車も電車も音も多すぎ。店多すぎ。東京ではすっかり人酔いした。
寒いところももうヤだし、海と山と温泉があったら最高です。九州でのリスクは台風と火山、それに暑さと湿気だが、雨と湿気、それから火山のもたらす水と土壌が日本の自然・風土・食を磨き上げたんだから、なにがあろうと文句は言えない。日本の女の子のステキな肌はあの湿気が創ったんだ。
なんでみんな巨大都市に住みたがるんだろう。仕事があるから、と言う理由は分かるが、仕事も見つからないのに大都会に住む必要なんてないだろう。友人に言わせると「ここにはいくらでも土地余ってるよ」とのこと:メモメモ。
東京圏
今回は墓参りと法事を除いてはほとんど外出しなかった。買い物は近場で済ませ、池袋に1回よっただけ。池袋にはいづうの鯖寿司と蓬莱の豚マン買いに行ったんだけど、寿司は夏時は東京での販売なしだそうで、蓬莱売店もその日5時終了で閉まってた。これらは次回に再トライ。いつもの銀座ライオンもこの次。
電車の中では「ヒューマン・ウヲッチ」する。ドレスコードが変な人多くて飽きない。(猫屋的美学では)必ずしも成功してるとは言いがたいが、みなさんそれぞれ自己主張を試みていることだけは分かる(あそこ衣料品安いもんね)。
(帰ってからパリで見る人々は、ほとんどみんな地味におしゃれしてる。)
新手は、ロリータ風おばさんやお婆さん。それと、アクリル超ミニひらひらアイメイクばりばりでハイヒールは15センチおねーさん座席で足広げないでね:向かいのお父さんかわいそうです。
全身バッチリ決めてポーズしてる若い男の子たちは、見てあげたほうがいいのか欧州的に見ない振りした方がいいのか迷う。
いなかっぽい素朴な顔のお嬢さんが、夜の電車で座っていた。斜め上を月でも見上げるようにぼおっと見つめながら静かにひとり微笑んでいる。彼女は前回も目撃した気がする。あまりにロマン主義満開で心配になった。
GWの若い子連れカップルにもいろいろあって、子供がワーワー騒いでてもほっとくタイプと、もちょっと“知的”風(通信生活とかオレンジページの)絵に描いたようなタイプ;つまりお父さんはチノ半パンに白Tシャツ+格子の綿シャツ+麦わらor野球orハンティング帽。奥さんはエプロンドレスみたいなワンピースというかスモックにレギングというやつ+ペッタンコの靴+斜め掛けバックにやっぱり麦わらかコットンの帽子=端的に言えば幼稚園ドレスコード。あれに昆虫採集の網か釣り竿足したら夏休みの着せ替え完璧か。
これは実家そばのハイパーだけど、電気売り場の制服(もちろんスカート)着た男のお姉さんが今度行ったら男のおばさんになってた(とっても親切な人なんだよ)。店舗の所有が変わっても相変わらずいらしたんで安心した。
なにやら(少なくとも)首都圏の人々は、自らのアイデンティティを見つけようとがんばってるように感じられた。
は?アタクシですか?いつもと同じジーンにティンバーランド、Tシャツ重ね着かマリンコットンTシャツに革ジャン+カーキの迷彩キャップでした。20年来おんなじ格好だけど、今年は東京はやり系と重なったみたい。ま、衣服・本人とも疲れてくると、なんのこたないホームレス・サヴァイヴァル・全天候型でんがな。
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次はフランスについて書きます。
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