吉本隆明も亡くなったそうで、87歳とか。んー、あの人はシアワセな天寿を真っ当したと言っていいんじゃないかな。
彼のとなえた「共同幻想」についての考えは、だいぶ前から文章化してみたいと思っていました。とは言え「共同幻想論」を読んだのは20歳になる前、たぶん高校生の時だったですし、肝心の本も手元にはないのですべて記憶に頼ったメモです。
「言語にとって美とは何か」もそのあと読みましたが、こちらはチンプンカンプンだった(それでも読了したのは当時のバカ元気のなせる業か、と感慨深し)。
「純文学」と「大衆文学」の違いを、確か文末形体で区別していてビックリした。ちなみに未だアタクシ「純文学」と「純じゃない文学」の違いが分からない。「芥川賞」と「直木賞」の商業的棲み分け、とか言っていただいた方が分かりやすい。
「共同幻想論」に戻ります。「共同幻想」に対峙しうる概念に「対幻想」を持ってくるところが、どうにも納得できなかった。たとえば「個人幻想」でもいいじゃん、とか思った(バタイユなども読んでた青春乱読時代の頃です)。
この本のだったか、他の文だったか忘れたが、「男は妻の産んだ子供が自分の子かどうかは直感でわかる」みたいなことをおっしゃられてたが:これこそ幻想でしょう。フランスで聞いた話ですが、遺伝子検査が可能になって婚姻カップル子息のDNA調べてみると遺伝子は外注だった子が予想外に多くて関係者大慌てしたってのがある。←もちろんこれは「不埒な」国フランスの例なんで、比較にはならないかもしれないけどね。。。日本ではド根性で信じてしまう、とか。
話を戻しましょう。吉本の対幻想という考えは、たとえばフロイトが、自己の病理を元に「精神分析」の分析コードを作り上げた過程に近いと思うのです。つまり、フロイト個人の「父親」と「息子;フロイト自身」の問題ありな関係物語が、すべての“病例”深層心理の「読み方」対数表として使われるに至った過程に似通っている(ここいらへん実をゆーとミシェル・オンフレの受け売りです;スイマセン)。
この持ってき方で、吉本の思想ベースが(一種無骨な)詩人のロマンティシズム表出である「対幻想」にあるとすると、理解は簡単になると思います。
同時に、詩人のロマンティズムの対極に置かれた「共同幻想」をも、実体のない「幻想」としたところに思想家としての吉本の限界があった。「対幻想」であれ、「共同幻想」であれ、幻想である以上は「測りがたいもの」であって、測りがたいゆえにそれはいかなる努力を持っても分析し切れないし、破壊も、変容させることもできない。
その前では、「へへー」と跪くしかなく、最良の場合でも、「対幻想」が愛の力で「共同幻想」に拮抗するのが限度でしょう:要するに引き分けです。
ここでフーコー方法論の登場です。
1978年にフーコーが日本に来たとき、かのエピステーメーな蓮實大先生が通訳して吉本も対談しております。あの対談は日本にいたとき雑誌だったかで読んでましたが、今はちくまのフーコー・コレクション5に収録されております。
両御大の対話は、まったくもって見事に食い違っておりまして、ある意味、フーコーと吉本の対象=歴史に対する姿勢、あるいは視座の置き方の違いが浮き出されていておもしろかった。
つまり、スウェーデンのウプサラという街の図書館にこもって医療文献を発掘し、過去の「知」と言うものがどのような仕組み内にはまっていて、ある時期に滑り込んで変性したかを「考古学」的やり方で読み込んでいく。どこまでも観察者としての「明晰さ」を保持することで、対象との距離を保つ姿勢が、フーコーにはあったと思います。
そして、その一種「外科スカルペル的明晰さ」は、過去の「知」全体をサンプルにし、層ごとの語彙や思想が、時代・時代でどのように断層を形成し、亀裂を起こし、また再びフュージョンするのかを示す。そうやって、フーコーは「狂気」「病気」「性」が、あるいは「監獄」がどうやって「生まれ」、それから「変容」していったかの確認作業を(同時にフィードバックして自己の方向性を変えながら)丹念に続けて行った。
晩年近くになった時点で、フーコーの用いる語彙の「真実」、あるいは「バイオ・ポリティック」といった言葉の示す真意も、なにやら最初はとっつきにくいですが、よーく考えてみると、ナーンだってな感じで分かります(ってか分かった気分になってます)。
(なお、フーコーの“病理”について書くと長ーくなりそうなので、ここは御免)
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で、吉本のおいちゃん、なんですが。
「幻想」ともって来ちゃったから、その「幻想」がひとり立ちしてしまい、あとは永劫回帰しちまう。でも、永劫回帰していいのは幻想ではなく、ニーチェ的生のパワーだと思うんですよね。
結局のところ、吉本隆明は民族派って呼べるだろう。ただ、あの当時(1970年代初め)いわゆる「非御用」な在野の人が、哲学なり思想なりの本を書くというのは、奇異なことだった。(アフター68世代のアタクシが丸山真男を読んで感心したのは、ここフランスに来てかなりたってからの話です)。
また、「心的現象論」(心的な現象なんてあるわけないじゃん、と今は思う)あたり以降の文章で読んだのは、吉本バナナ流行期の親子対談だけなので、その後の吉本思想については何も語れません。つまり「引き分け」後は知らないのです。
ただ、たまたまどこかで、「小さな政治」を推している風なネオリベ発言を目にし、まあ「反権力」「反共同幻想=対幻想」の人だから政治が小さくなった方がうれしいんだろうなー、と感じた覚えがあります。
今回は、オチなしです。推考はまだまだ続くのです。。。
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なお、上の写真はうちのアパート裏のどってことない普通の木。でも昨日の写真と比べると、だいぶ新緑に勢いが出てきたのがわかる。
猫さまが本や著作家や映画などについて書いてらっしゃるのを読むと、あ、面白そうあたしも読んじゃお~と軽く考えてしまうので危険です(笑)。思えば大江も吉本もフーコーも、その著作は幾度となく手にしたけれど「冗談じゃありません」と数ページ繰っただけでポイしたものです。でもここでこんなふうに語られちゃうと、オバハンになったアタマでついていけるかどうかわからないけどまた読み直そうかな、という気持ちにさせてくれるので不思議です。
投稿情報: midi | 2012-04-03 05:29
どもども、
コメント欄はアタクシの設定が悪かったようで、御迷惑をおかけしました。直してみました。
大江も吉本も、特に読むのが難しいと感じたことはないんですが、なぜかというと分からないところはスットバスからだと思われます。「理解できない」ってのには理解できない理由があるはずで、また反面、大体において「理解」を求めない読書をアタクシやって来た気もします。
フーコーはわざとわからないように書いてたと思うんで、かえって対談とか外国の講演とか読むと理解しやすい。自慢じゃないけど、フーコーの本で読了したのは「知の考古学(日本語版)」だけかと思う。でも、フーコーの考える姿勢は多くの人に受け継がれてますから、ある意味、本読まなくても、充分われわれのバイオポリティックの一部となってると思う。
でも、フーコー・コレクションを読みやすいトコだけパラパラ眼を通すのは、訳文と言うハンデを差し引いても、いい経験になると思います。(仏語版の方が高いし)。
投稿情報: 猫屋 | 2012-04-04 19:40