ガーディアンライヴ:Middle East protests - live updates
追加 BBCもライヴを再開:Live: Mid-East protests ←BBCネット版はアラブ語・ペルシャ語・パシュトゥーン語もカバーしてるからその影響力は侮れないのだ。
アルジャジーラ英語版:Al Jazeera English: Live Stream
昨日の葬儀集会でさらに死者の出たバハレーン、1500人からの逮捕者が出、前回大統領選挙候補だったムサヴィとカルビ両氏の絞首刑が議会から要求されたイラン、2000人をこえる保安部隊が出動し乱暴な衝突が起こったイエメンを始め、中東と北アフリカ各国で素手の抗議隊と容赦ない政府側の間でクラッシュが続いています。
今日は、これまでほとんど情報の入ってこなかったリビア(カダフィ将軍独裁国)からの、抗議運動の様子が伝えられています。
下はLibya Protest Uprising February 17th とタイトルされたラップ・ヴィデオ。
リビアでの抗議派要求は人権擁護弁護士の釈放、そしてカダファ政権批判。次のヴィデオは昨日15日のBenghazi:抗議デモに対し、政府側は直接実弾での弾圧を行っている。抗議活動はベンガジ市内数箇所で行われた模様。
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各地とも状況はかなり混乱している。(米国やイスラエル参謀本部もかなり混乱しているはずだ)
エジプト、他の北アフリカ諸国の情報も含めて、今夜にでもアウトラインを紹介します。以上GMT13:15
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各地での抵抗運動と、それに対する政府サイドの厳しい弾圧は続いています。
今回の動きは「アラブの春」とも呼ばれているようですが、イランもそのダンスの場に入った(イランはアラブ圏じゃないよ)。だから、これは「ムスリム圏の春」と呼べるかも知れない。
少なくともチュニジア・エジプト(イラン)での今回の運動共通点は、古典的に秩序だった団体がオーガナイズして始まったわけではなく、自然発生だった。始まってから、概存のフェミニズムや人権団体・労働組合・知識人、宗教団体がしだいに合流して行った。この流れは、フランス革命、パリコミューン、反植民地・独立戦争がそうだったし、レジスタンス運動も、米国市民権運動、ベルリンの壁崩壊に先立つプラハの春、基盤はまったく異なるけど1989年の5月運動もそうだった。運動が進むにつれ、よかれあしかれ組織化も進む。
(そして、戦いに負けたとしても、無名の人々は起こったことを“集団的記憶”として、後から来る者たちに残していく。)
今、抗議する人々にはさして共通する階級・職業・年齢・性別・宗教派閥の違いがない。
共通するのは、生活苦と失業、自由への渇望、秘密警察と拷問の拒否だ。そして個個人を守る枠としての国家、個人アイデンティティの集合的シンボルとしての国家へのパトリオティズムだ。(意外だが、“定番”のイスラエルや米国の国旗に火をつける光景はまず見られない)
「一人の人間として、普通に働いて、普通に生活して、普通に家庭を持って、普通に人間として生きたい。」
これは二ール・ヤングの歌うようなOrdinary people のオーディナリーな革命だ:だから世界中の普通な人々からの共感を呼ぶ。
アタクシの頭をよぎるのは「一揆」という古びた言葉だ。生ききれず、水のみ百姓は死を覚悟で一揆を起こす。
世界の別の片隅では、メガバンクが膨大な給与と株配当を限定されたサークル内で分配し、さらに、たとえばまだリアルな利潤をまだ出していないfacebook 権利を債権化してロシア新興オリガルクに売却し、うつつを抜かしている。同時に多くの国々の政府が財政難から税を上げ、同時に社会福祉や医療・教育予算をドラスティックに削減しようとしている。中国とロシアは米国債購入をストップした(中国は米国債の一部を売却)。
これら現象すべてが、どこかの誰かによって仕組まれた陰謀だとするなら、そのどこかの誰かは、まったく気がふれているか、あるいは全人類を道連れにしたいトンデモナイ自殺思考人間としか思えない。
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2月16日の出来事レジュメ今夜は休みます。各メディアもそれなりに扱い始めたし、今夜アタクシは18日間のエジプト動乱時にムバラク政府内(=エジプト軍部内)がどう反応してたか、また、エジプト社会・経済構造とその抗議運動に対する反応に関する文章を、いくつか読んでおりました。まだ全部読み終わってないんですが、整理して猫コメントも添え一記事にするつもり。
各地での、政府側の対応はそれぞれ違いますが、一部で抗議運動弾圧の手が弱まる気配も見えます。ケイタイ/ネット/twitter/YouTube の量的ダイナミズムのもたらす意味に、やっと独裁者たちは気付き始めた。そして“先進国”のマスターたちも、普通の人々が束になったら革命は起こる、という歴史的事実を思い起こし始めた。
次回の大型抗議運動は金曜日、イスラム大祈祷の日になるんだろう。
F フクヤマの予告した「歴史の終焉(猫:ヘーゲル歴史観の20世紀ネオコン読み)」は別の形でやって来つつあるのかもしれない。世界がまっ平らになって、あちこちの無名普通人たちが世界を牛耳るマスター連に真正面から異議を唱えている。ハチントンの「文明の衝突」もある意味正しい:21世紀の衝突は、多いに持てるものの“business as usual”文明と、無数な持たざるものたちの“日暮し/no future”文明との衝突となるだろうから。
サカサマの世界を、もう一度サカサマにひっくり返してもバチはあたるまいよ:流れはかわりつつある。
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