コメントいただいてすぐ返答すればいいものを、グチグチ考えていたんですがなんともまとまらない。それで遅れてしまいました。とくに先週の11月3日、ヘリコプター・ベン(バーナンキ)のQE2 /量的緩和第2弾(6000億ドル)発表には、予測されてはいたもの、さすがのアタクシもヘコタレタ。
コルッシュ(今は亡きお笑いの人)の、Je suis capable du pire comme du meilleur, mais dans le pire je suis le meilleur... 無理に訳しますと、「私は最悪事でも最良事でもなしえるが、特に最悪事に関しては最良である。。。」を、思い出してしまいました。
ドルを際限なく刷って、米国経済の崩壊、あるいはデフレーションをひとまず食い止めるのが目的の金融政策ですが、刷ったドルはリアルな経済に還元され雇用を創り出すのではなく、直接に4年から5年半ものの米国債購入に当てられる。残る連邦政府財源はフレディ・マックとファニーメイの終わりなき救済に注ぎ込まれ、金利の下がったドルで膨れ上がるキャッシュは、クーポンの下がる米国債から、金・他の重金属・オイル・穀物やコットンを含む各種先物、forex、それに金利の高い新興国の市場に向かう。スペキュレーションです。スペキュレーションの行き着く先はバブル崩壊だ(さすがのアタクシもそれぐらいは学習したです)。同時に、ドルの価値低下は、ドル保有国の黒字率を大きく引き下げる以上、現在のところ世界資産の約半分を占めるドルの割合が以降下がっていくのは避けられないでしょう。
現行の世界危機の原因は、世界経済および金融機構の構造に内在的なものであって、金利あるいは金融政策で一時的時間稼ぎはできても、あるいは世界金融市場という閉じられた環境内での循環活動をより活性化=不安定化させはしても、極めてフラジャイルになっている世界レベルでの均衡を維持する、あるいは強化する効果をもたらしはしない。
参照FTエディトリアル(しかしFTの記事が日本語訳で読めるようになったこの時代ってなんなんでしょうか、、):米FRBの追加緩和はまだ不十分か
で、
今日のメモ:2010年10月4日
トラ氏:人間は自然の淘汰 のトップにいるという考えを 捨てなくてはならない時だと考えています。 良くある食物連鎖の三角形をぶち壊して、少し変えて 逆にして、その最下層に人がいるといった考えにシフトする、 といった考えです。 キリスト教的(古代ケルトは含まない)考えであれば神により人間が創造され、その下に動植物が置かれます。現代の理科ではなく科学というものの教えは、西 洋科学と呼ばれるものに近く、万物を人間が操作しても良いといった考えに結びついていきます。工業化もそ一環であり西洋科学の書斎科学?においては実験が 主になるはずですが、その実験施設を大きくしたものが工場であり、どこにでも建造できるために産業革命後一気に世界中に広まりました。そしてそれが資源を 食い尽くしているわけですけれど、よく言われるとおり「人間は何も創造はしていない」は芸術においては判りませんが、石油生産と言った場合ですが、何も生 産しているわけではなく、もともと在った物をいただいているだけです。 そんなこんなでまた纏まらないですが、本当に何ができるのか考えています。小さな脳みそをフル回転させてますが、なんせ容量不足でいろいろなことを纏める ので精一杯です。
猫屋:どこかで書きましたが、ダーウィンの“説”は19世紀以降の“自由経済主義”つまりレッセ・フェールの思想的土台になった。だがダーウィンは“自然界においてその時点での環境に適応した種が生き延びる”と確認しただけで、それは「もっとも強いものが弱者を食う」を意味してはいなかった。自然の多様性は、さまざまな過酷な条件が現れても、そこで生き延びうる豊かな種群を内在している。それが、人間経済活動の結果、地球上の種の数は劇的に減少しているし、モンサントに代表される遺伝子組み換え作物や東南アジアでのヤシ栽培大型プランテーション、医療産業のもたらすコーラテラルな弊害等々は、経済合理性という名目の元に母なる地球を破壊し続ける。その意味で、逆三角形の生態モデルというのは、これまで考えてみたことないけど大変面白いです。
科学の定義ですが、これも難しい。こちらでは実証科学(数学・化学・物理学etc.)と社会科学(文学・哲学・社会学・経済学etc.)に大きく分けられていますが、近年は縦割り枠がかなりあいまいになっている。ここんとこブログや著作で読んでる経済学者ロルドンは「経済学と言うのは実証科学になりたくてしょうがないから、変に数学を導入してアタマデッカチになった社会科学だ」とこき下ろしています。また、欧州+英国の「科学主義」ですが、内部から見ると、まずキリスト教内の差異(カトリック、プロテスタントetc.)があるしそれ以前にまずギリシャ哲学があったわけで、もちろんユダヤ・イスラム教、遠方のアジアからの影響も強いですから、簡単にキリスト教=オキシダントとは言えないと思っています。たとえば、かつてはすべての知を包括していた哲学について言えば、中世以降の西洋哲学と言うのは(猫屋的には)いかに神と手を切るか、の連続的トライだったわけですが、現在に立ち返って見れば、もっと簡単な「アメリカ信仰」で多くの現象が理解できるんじゃないかと思います。これはもう元のキリスト教自体とは何の関係もない、アメリカ=ドル信仰だ。欧州・英国を去った異形プロテスタントたちが作った国の20世紀神話が世界神話になった。言語や経済ばかりではなく、映画でも美術でも音楽でも、もっとミクロで言えば食生活や衣料でもそうですが、米国文化が世界を凌駕した。なにいうアタクシ自身、戦後日本のアメリカ信仰にどっぷり浸かって育ちましたから、未だにジャンキー状態から抜けきれずにいますが。。。
資源枯渇も難しいです。2008年がピークオイルだったと、こっちの石油会社社長が発言して顰蹙を買った。そんな本当のことを言っちゃあおしまいなんですね。理想は、大地あるいは海・山に戻り、小型農業・林業・漁業を復活させることでしょうけれど、言うのは簡単でも実現化はかなり難しい。今の住居を売って、まだフランスには残っている田舎に一軒家買って畑耕して、、、と思っても車がなけりゃ身動きもできないわけです。いずれにしろ、あと20年か30年で原油は枯渇し、トラクターだって使えなくなるわけだ。
今、中国から米国に“輸出”されるアイフォーンの税関価格は150ドルで、そのうち中国の生産価格は10ドル、それに日本や韓国からの部品価格が上乗せされるんだそう(また欧州に送られてくる液晶TVの輸送費は5ユーロ程度とも別のところで読みました)。いったいどのあたりからボタンのかけ違いが始まったんだろう。。。参考:Les vrais débats derrière la 《guerre des monnaies》
これもどこかで聞いたですが、やってくるだろう社会混乱を想起してたとえばビル・ゲイツは南洋の島を買い、そこに食料や穀物の種までストックしてるんだそうです。今の市場の動きからいっても、トップにいる人々は今のうちに最大のゲインを確保して金や不動産に投資、逃げ切るつもりだと見て取れます。そのトップに雇われた政経インスティテューションの中の人々の「頭のよさ」が、今の状況を作ってきたわけです。イラク戦争開始直前に世界中で起こった反対運動を思い起こしてください。人気コンテスト化した政治から、民主主義を救えるのは「人民(この言葉の響きが悪ければ、市民でも一般人でも貧民でも何でもいいんですが)」だけでしょう。
通貨戦争についてメモ:2010年10月10日
トラ氏:デモが起きないことは私も気になっています。前述されていたようにマスコミによる民衆の総幼稚化?でしたか、そんな感じのものが進行しているのは確かかも しれません。 記事を書いても、デスクで却下されるそうですので。 今回の尖閣の映像漏洩は由々しき問題でもありますが、何かその実際に出てこない部分をさらけ出したいという動きにもとらえることができそうに思えます。デ モの効果を信頼していないといったこともあるのかもしれません。戦後、安保で盛り上がった時の魂などは、バブルの泡とともに儚く消えていったのかもしれま せん。 産業としては現在一番裕福だと思える退職者をとりこんでいけるかが大きな部分を占めるかと思います。若い人は老後のために貯金、または生活でいっぱいいっ ぱいですので。結婚しても共働きしないと生活が苦しいので子供は作らずといった方も増えています。
猫屋:数日前にはアイルランドのダブリンで若い連中が雨の中デモしてたですが、おとといはロンドンで大学の学費引き上げ(2倍から3倍に上がるそうだ)に反対して大きなデモがありました。日本と同様に、イギリスではデモ規制がかなり厳しいのは知っていましたから、ちょっとビックリした。大手プレスはいつものように破壊行為ばかりを前面に出して批判的報道をしています。しかし、50万人もの公務員を解雇削減して、長期失業者には週7ユーロとかの失業手当の代償に公共事業での無給勤務を課す政策は、サッチャーが行ったものよりさらに過酷です。
モスクワでは、また政府の自然破壊政策に批判的なジャーナリストが自宅近くで襲撃され、今もコーマ状態にあります。ここフランスでも、政府が絡む汚職事件を追っていたジャーナリストたち(ル・モンド、ル・ポワン、メディアパール)のPCやハード・ディスク、CDが盗まれている。10月に盛り上がったデモ・ストに関する仏大手報道も、特に3週間目頃から極めてバイアスがかかったものになっていました。時々目を通しているゼロヘッジのテイラー君は、フランスやアイルランドでの若者デモに関する記事の最後で「なんで、アメリカの若い子達は怒らないんだろう。TVのシリーズ物を見て催眠状態にあるんだ」ってなことを書いてた。もう日本のことは何も分からないんで、下手なことはいえませんが、「日本文化」=マンガ、食、ゲームや低級tv、コスプレなどのオタク文化が世界的に流行っちゃったのは、現実の過酷さからのチープな逃避という流れにうまくマッチしてたからだろうと思います。ただ、現実にこの“暴力”が各人のドアの前に姿を現したとき、チープな逃避は効かない。そういうことでしょう。
映画:The Social Network
トラ氏:Facebookは見る価値ありですか。 一つお尋ねしたい事があります。 EUといったものを価値の共有スペースと捉えても 良いのでしょうか? 文化的にといってもいいかもしれません。 国という単位がもう狭く感じる人もいらっしゃると思います。 そのような人たちは、ネット上でのいわゆる共有の価値を 有する場所を作り始めていると捉えてもよいのでしょうか?
猫屋:リカン文化からの脱却を志してる割には、道は遠いですが、、、。EUの共同価値基盤はあると信じたいわけですが、これも簡単じゃあありません。なにせアタクシは一応邦人でありますから、ヨーロッパなるものからは距離を取って物が考えられる。ですが“現地人”の方々の中にも多くの差がある。フランスはサル様が超反動なので今のところは左に振れていますが、イタリア・ベルギー・オランダやドイツでも極右に近い保守がどんどん目立つようになっています。どこの国でも同様かと考えられますが、特に選挙がよくない。選挙民の多くが高年齢者で、ネットへのコネクト率も低い。大手メディアがすっかり管理されてる以上、自分の小金を保守したいTV依存年寄りを釣るのは赤子の手をひねるがごとく簡単だからね。
欧州の若い学生たちは、欧州内ではエラスムス、世界レベルではエラスムス・ムンドという交換留学制度があって(まあ成績が悪くてはダメ)、3ヶ月から1年の間外国の大学で勉学できる(奨学金制度付き)。多言語というハンディも昔ほどは強くなくなってると思います。特に、先に書いたドル信仰、いいかえればカネ信仰に反対の流れ、アンチ核やエコロジーやONG、スローフードやスローライフ、元来の意味でのヒューマニズムが欧州の価値基盤だと思ってますし、必ずしもメインストリームではないところで、たとえば地方自治体やブログで色々な声が聞こえるようになった。対峙する世界状況は共通ですから、それぞれの声は別の場所から別の言語で発せられたとしても、またその考えの形態は違っていたとしても、同じ危機感を共有している。これはエドガー・モランが言ってることに近いですが、そういったマルティテュードが次第に形をなし、民主主義の復興に取り掛かる以外に、現在の危機を乗り切る可能性はないだろうと考えています。
John Lennon - Power To The People
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