"いったい何が起こっているのか"シリーズの翻訳編です。
7月5日月曜のル・モンド・エコノミックに掲載されたポール・ジョリオン/Paul JORON のクロニックを翻訳してみます。
Des Grèce par dizaines
いくつものギリシャ
ル・モンド・エコノミー 2010年7月5日
誰もが知っているように、ギリシャはロザリオの最初の珠ではない。ふたつ目はポルトガルという名を持ち、三つ目はスペインで、この先もきりがない。これはヨーロッパばかりに限定されているわけでもない:合衆国ではこの国を形成する50のうちの46州が、債務支払い可能ラインを超えた。連邦政府も同様だ:政府は失業者(そのうちの45%は過去六ヶ月以上失業)に対して99週間の失業手当を約束したのだったが、いずこも同じだが、資金は見つかっていない。
国家財政債務を削減し、同時に経済成長を確保するというデリケートな使命を持つ人々はすべて同様な表現をしている:。『最良のソルーションはない、最悪な案しか残っていない。』 しかし、この診断は度を外れてオプティミスチックだ。何故なら、現実にはソルーションなどないからだ。どうして?悪循環のためだ:債務返済のためには税引き上げが必要となる、これは購買力の低下につながり、消費は低下し、よって成長率が下がり、その下がった成長率を再び活性化するには国債発行が必要となる、などなど。
経済システムをかろうじて支えている稜線/La ligne de crête はますます狭くなっている:それはさらに狭くなり、両側にはふたつの絶壁が控えている。物理学者はこれを『クリティカル・プロセス』と呼ぶ。能力とチャンスが、落下までの残った時間を決定するだろう。
このシステムが生存能力の限界に達した時、私たちは今これを理解するのだが、それは、『歴史の終焉』と言う仮説が信憑性を持つほどの大きな表面的安定(2002年から2007年の特色)と、同時に企業および人口世帯の異常肥大したクレジット依存がもたらした極度の虚弱性に性格づけられる。この表面上の安定が事象を覆っている間に基盤のひび割れは進み、やがて日の目を見るまでになる。
アポステオリには(訳注;後日の視点からは)、ソヴィエト型国家資本主義の崩壊と市場資本主義の崩壊を隔てる18年間は逸話に過ぎないだろうし、この18年間繰り返された、ライバルに対しかろうじて生き残ったこのシステムの本質的優位性諸論も逸話的に見えるだろう。中国の、国家資本主義と市場資本主義のそれぞれ最良部をプラグマティックに合体した美徳が枯渇する時、定理は解体されるだろう:それがどの形態-あるいは経験された形態を取るにせよ、人間社会内には資本主義ロジックの越えがたい限界がある。
大多数の人々が収入、つまり消費へのアクセスを、労働によってのみ獲得し;もう一方のごく少数が、経済に投資した資金金利と資本スペキュレーションから収入を得ている。この総人口が二分される現行コンテキストにおいて脱出口はない。
この終わりなき悪循環を打ち崩す唯一の可能性は、高利潤をもたらす資本と労働の与えるわずかな報酬との間の格差を再分配することだ。このチャレンジは容易なものではない:これは文明の変転だ。少なくとも。
ポール・ジョリオン/Paul Jorion はエコノミスト、人類学者。
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なお写真は本文とは一切関係なくて、先日ラ・デフォンスのマクドナルドから出たときに上空から爆音が聞こえたのでケイタイで撮った写真の一枚です。革命記念日に向けた演習でしょう:これもしっかり権力による威嚇の一部だなあ、とつくづく思いました。