おとといの記事「いったい何がおきているのか」パート2 を書こうと思ったら、なにやらそこここで色々なことが起きていて、いつものようにブラフとガセネタとあっち見てホイ情報とアドバルーンと、まあはっきり言って、正確なことは誰にもわかってないってことぐらいしかアタクシには分からない。ということで、今日は別の話題:モスクワです。
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先週モスクワから帰ってきたM君(21歳♂)から話を聞いた。彼は、大学の試験も終わったんで10日ほどモスクワ観光してきたんだ。まずパリのロシア領事館でヴィザを取るのがかなり大変で、領事館員がフランス語がしゃべれない。英語もしゃべらん。事務能力は極めて遅い(フランス人が言うんだからかなりなモンなんだろう)。したがって、領事館前には多くの人が並んでいても列はなかなか進まない。3回目にやっと事務室まで入ることができたが、こんどはヴィザ取得に必要な多くの提出すべき必要書類リストを渡される。ここでM君は数ヶ月前からモスクワに駐在している父親に電話し、その会社が領事館に一筆送付することになった。つまり「Mのモスクワ訪問を即時許可しない場合は、貴国と当社の友好関係になんらかの支障をまねく可能性がないとは言えない」てな感じであろう。
(なおフランス人のM君は我々難民がどういうカフカ的書類世界に生きているのかを知らない)
一週間にわたる領事館通いの翌々日、M君は無事チェコ航空のフライトでモスクワに発った。
以下は彼の言、
- 変な国である。やたら物価が高い、なぜなら商品はみんな外国製でかなりな税金がかかっている。安いのは石油とウオッカ。でも、バーとかなんかで出てくるのは北欧製のアプソリュート。
- 仏語はもちろんだが、英語がしゃべれる人も極めて少数。
- モスクワの空港について受け取ったスーツケースは鍵が壊されていた。南京錠をつけてたんだけど、南京錠を壊す代わりにチャックの留め金を二個巨大ペンチで壊してる。保安検査だ;入っていたシャンペンはじめ、抜かれてたものはなし。
- モスクワの町を走ってる車は高級4輪駆動ばかり。
- はやりのディスコに行ったけど、四輪駆動に乗ってやってくる金持ちが、ショーツに靴下+クロック(あの風呂場洗い用プラスティック製長靴に似たみっともないサンダル)姿だったりする。最近のハリウッド映画に出てくるモスクワのつもりで、彼はスーツとワイシャツ持ってったのだが、着る機会はなかったそうだ。なおディスコに入るには厳重な身体検査がある。その夜はユーロヴィジョンが巨大なプラズマ画面に写されててかなり盛り上がってたとのこと。
- レーニンは人形みたいだった。レーニン廟のそばではレーニン像のみやげ物を売ってたけど、あとは街中でも空港でもプーチン像はあってもレーニンは皆無。
- 土産に買って来たのは音楽CD。mp3で焼いてるからたとえばチャイコフスキー全曲が一枚のCDに入っちゃってる。音は最悪。あと、ピアノとヴァイオリンの楽譜(ロシア語だけどね)。どっちもむちゃくちゃ安い。
- モスクワでは金持ちでも1960-1970年のHLM(低賃金者対象公団)みたいなコンクリートむき出しの建物に住んでる。それに頑丈な鉄格子がついてる。外国人は外国人向けのおんなじような建物に固まって住んでる。
- 3回コンサートに行ったけど、モスクワで二番目のホールで聞いたチャイコフスキーとドボルザークを指揮したのは凄く若い中国人だった。
- 帰りの乗り換え空港プラハで1時間半ほど待ち時間があったから空港内のビア・ホールで昼食を取った。ロシア・ルーブルは使えなくてドル使ったんだけど、使用人も愛想がいいしビールもソーセージも美味かった。ダブリンはギネスとジェームス・ジョイスだらけだったけど、プラハの空港にはカフカが並んでた。。。(ウィーンはモーツアルトだらけだけど、たとえばサン・ペテルスブルグはドストエフスキーがいっぱいなんだろうか?興味ある)。
ボルシチとかピロシキとか食べた?と聞いたらモスクワで流行ってるのは、生クリームの入った“寿司”だとかグルジア料理だとかの“外国料理”ばっかり。揚げパン(ピロシキ)は一回食べたけど、不味くて困ったそうだ。(昔、東京のロシア料理店で食べたのはたぶん革命を逃れて日本に来た裕福な白系ロシア人の味だったんだろうか)
夏のバイトが見つかってないM君に、一ヶ月ぐらいモスクワで研修かバイトすればいいのにと言ったら、「あんな死んだ街」には住めないよ」だそうだ。
ふーん。
なお、彼は若いのに、もう南アフリカ、アンゴラ、ナンビア、イスラエル、イタリア、ドイツ、ベルギー、アイルランド、イギリス、アメリカ、日本を旅行している。
若いというのは(つまり能天気でいられるということは)まったくもってうらやましい。
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なお、写真はM君がiPhone で撮ったのをケイタイメールで送ってもらった。
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