メタモルフォーズの賛辞、エドガー・モラン
Eloge de la métamorphose, par Edgar Morinル・モンド 2010年1月9日
ひとつのシステムが、自らの、死活にかかわる問題群を解決できないとき、システムは弱り崩壊するか、あるいは、メタ・システムを生じさせてそれらの問題に対応する:システムはメタモルフォーズ/変身する。地球システムはそれら死活問題処置にむかう組織化ができないままだ:核拡散、あるいは核兵器の私有可能性を伴った核脅威;生物圏(ビオスフェール)の劣化;制御不在の世界経済;飢餓の再来;民族-政治-宗教対立は文明の戦争へと形を変えつつある。
これらすべてのプロセスの拡大化と加速は、ひとつのシステムが必然的に劣化する過程における、見事な否定型のフィード・バック(原文;feed-back négatif)の連鎖と捉えることもできよう。
確実と見えるのは劣化である。不確実だが可能なのはメタモルフォーズだ。メタモルフォーズとは何か?その数知れない例は生物界にある。蛹(さなぎ)の中に閉じこもる青虫は、、自己破壊(autodestruction)であり同時に自己再構築(autoreconstruction)でもあるプロセスを開始し、組織化に従ってにつねに同一体でありながら、青虫とは違った、蝶の形態をなす。生の誕生は、物理-化学組織のメタモルフォーズとして考えうるものであり、それは、ある飽和点に達した時、生メタ-組織を創り出し、まったく同じ物理-化学構成を有しながらも、新しい性質を生じさせる。
インド、中国、メキシコ、ペルーでの中世における歴史的社会形成は、狩猟採集者たちのアルカイックな社会集合体を出発点として始まったメタモルフォーズを構成する。それは町を、国家を、社会階級を、労働の専門化を、主要宗教を、建築を、芸術を、文学を、哲学を作り上げた。21世紀以降、歴史的社会群が、それぞれのステ-ト-ネーションを削除することなく包括する、新しいタイプのひとつの社会-世界に変わるというメタモルフォーズの問題が現れる。理由は、歴史の継続、つまり根絶兵器を持つ国家群による戦争の継続が、人間のほぼ全面的破壊を導くからだ。フクヤマにとっては、議会制民主主義および自由経済とともに人間進化の創造能力は枯渇するのだが、私たちは反対に、枯渇するのは歴史であって人間の創造能力ではないと考えるべきなのだ。
メタモルフォーズの思考は、革命より豊かであり、変革のラディカルさを保持するが、それを(生の、文化遺産の)保存に結びつける。メタモルフォーズへと向かうには、いったいどう道程を変えればいいのか?けれど、ある一定の悪を訂正しえても、この地球を惨禍に追い込むテクノ科学経済文明(techno-scientifico-économico-civilisationnel )の奔流を食い止めることさえ不可能だ。しかし(大文字のHで始まるl'Histoire humaine)人類の歴史は、しばし道筋を変えてきた。つねにそれは、ひとつの革新、常軌を逸し周辺的でつつましい、多くの場合同時代人には不可視な新しいメッセージから始まる。このように、主要宗教:仏教・キリスト教・イスラムは始まった。資本主義は、封建社会のパラサイトとして発達し、そこからの飛躍を遂げ、結局のところ、王族の助けを受けそれら封建社会を崩壊させるに至った。
近代科学は、ガリレオ・ベーコン・デカルトといった散在し常軌を逸した精神を出発して形成され、次にその組織網とアソシエーションを打ちたて、14世紀の大学内に入り込み、そして20世紀には経済内と国家内に至り、地球という宇宙船の4個の強力なモーターのひとつとなった。今日、すべてを考え直さねばならない。すべてをやり直さねばならない。
すべてをやり直すべきなのだが、人はそれに気がついていない。私たちはその、つつましく例外的で拡散した手始めの段階にいる。すでに全大陸において、経済・社会あるいは政治・認知・教育あるいはエティックの再生、あるいは生の作り直しの方向に向かう、創造的な沸騰、各地域の先導するマルティチュードが存在している。
それらの動きは、互いの存在を知らず、いかなる公的機関もその総数を把握しておらず、いかなる政党もその内容を認識していない。けれど、それらの動きは未来のストック場である。課題は、それらの動きを認め、数え上げ、照合し、分類し、改革道程群の複数性のうちに、結束することだ。それら多様な道筋は、たがいが同時に開発を進め、結束し、新しい道をなし、それは今はまだ不可視で認識不可能なメタモルフォーズへと私たちを導くはずだ。それらの多数の道が推考され、ひとつの道に終結するためには、私たちを覇権的知識と思考の世界に閉じ込める、狭窄な分かれ道を避けなければならない。そのように、グローバリ化と反グローバリ化、成長と反成長、開発と包み込み( mondialiser et démondialiser, croître et décroître, développer et envelopper)を同時になさねばならない。
グローバリゼーション/反グローバリゼーション( mondialisation/démon-dialisation ) という指針が示すのは、もしコミュニケーションのプロセスと文化群の惑星枠における拡大を繰り返す必要があり、『地球-祖国』という認識が生み出される必要がある場合、同時に、近隣の食物、近隣の手工芸品、近隣の商業、都市周辺農園栽培、地域と地方の共同体を、反グローバルなやり方で、奨励する必要もあるということだ。
『成長/反-成長あるいは減少(croissance/décroissance)』のオリエンテーションは、サーヴィスとグリーン・エネルギー、公共交通機関、連帯と社会性を有する多元的経済、大都市の人間的整備改修、有機農家による農業・畜産を拡大させながら、消費主義への依存中毒症、工業生産物としての食物、修理不可能な使い捨て商品生産、自動車交通、(鉄道を優先し)トラック輸送の減少を進めることだ。
開発/包み込み(développement/envelop-pement)の方向付けが意味するのは、目的とはすでに現実のリアルな物、ユティリティ、利潤をもたらすもの、数えられる物の開発自体にあるのではなく、各個人の内的必要への回帰、内面生活と周囲の人々への理解と愛と友情へのおおきな回帰である。
告発するだけでは充分ではない、私たちに現在必要なのは表明(énoncer) することだ。道( la Voie )につながる道程群を定義することからはじめる必要もある。これが私たちの貢献しようと試みるところである。期待しうる理由はいったいなんなのか?私たちは五つの主要な希望を挙げることができる。
1. 不確定さ(あるいは証明不可能さ、原文;l'improbable)の立ち現れ。紀元前5世紀、小国アテネが、輝かしい大国ペルシャを2度にわたって打ち負かしたことは、不確定な出来事であり、それは民主主義と哲学の誕生を可能にした。同様に、1941年秋、モスクワ目前でのドイツ軍攻撃の氷結も思いもよらぬ出来事だったし、続く12月5日に始まったジューコフ( Joukov) の反撃の勝利も不確かなものであり、12月8日のパール・ハーヴァー攻撃が米国の参戦を決定させたのも、不確定事項である。
2. 人間が内面にもつジェネレーター/クリエーター (génératrices/créatrices) という美徳。すべての成人した人間器官には、活動してはいないが、胚細胞に特有なマルチスキル(分化全能性)を備えた幹細胞があるように、すべての人間、すべての人間社会には、眠っているか抑制下にあるにしろ、再生とジェネレーター、創造の徳がそなわっている。
3. 危機の効用。退行と崩壊の力と同時に、地球レベルでの人類危機はジャネレーターと創造の力を目覚ませる。
4. これは危険と徳を結びつける:『脅威が拡大する場面では逃れるものも増す/ "Là où croît le péril croît aussi ce qui sauve."』 最大リスクは最大チャンスに通じる。
5. 人間の、数千年におよぶ調和への願望(天国、そしてユートピア、それから思想としての自由主義/社会主義/共産主義、そして1960年代の若々しい願望と反乱)。この願望は、ちらばった多数のイニシアティヴからなるひしめきの中からよみがえり、改革の道程群を養い、新しい道につながることになるだろう。
希望は死んでいた。年老いた世代は偽の希望に裏切られていた。若い世代は、第二次世界大戦時に存在していた私たちのレジスタンスのような、大義がないことを悔やむ。けれど、私たちの大義はそれ自身の内部に反対物を含んでいた。スターリングラードのワサリー・グロスマン(Vassalli Grossman)が語ったように、人間の最も大きな勝利とは、同時に、人間の最も大きな敗北でもあった。スターリンの独裁が勝者であったからだ。民主主義の勝利は、同時に、植民地主義を復活させた。今日の大義は疑う余地なく崇高なものである:それは人類を救い出すことだ。
真の希望は、自らが確かな存在ではないと知っている。この希望は多数である世界の中心にあるのではなく、ひとつのよりよい世界にある。始まりは我々の前にある、とハイデッガーは言った。実際に、メタモルフォーズが新しい起源となるだろう。
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Edgar MORIN : 社会学者・哲学書。1921年うまれ、CNRS (フランス国立科学研究センター)名誉研究長、文化のためのヨーロッパ・エージェント長(ユネスコ)、複合思考アソシエーション主管。2009年出版の主要本は、Edwige, l'inséparable" (Fayard) 。加えて読むべきはJean Tellez の La Pensée tourbillonnaire - Introduction à la pensée d (éditions Germina)
訳者後記:3日めにして一応訳し終えました。複雑系のモランの文章は訳すの難しいかな、と思ったらそうでもない。捩れとか危うい比喩もない素直な文章ですが、トレデュニオン(横棒)を使った造語は訳しづらくテキトウに誤魔化しました。なお、ベンサイドがまだ若いのに亡くなった(63歳)。今の、サル系悪質電磁場が乱れるフランスで一番元気なのは、現在88歳のモランと約10歳若い72歳のアラン・バディウだ。この間はTVでちらっとモランを見かけたけど、このひと頭の回転も衰えていない。この頃はふたりとも『愛』を多く語っているんですが、なんか説得力あり。
なお、文中出てくる引用:『脅威が拡大する場面では逃れるものも増す/ "Là où croît le péril croît aussi ce qui sauve." はヘルダーリンのようです。
近しい身内のふたりが癌を患って、この病気のことを調べていたんだけど、がん細胞というのも正常細胞と同じプロセスを経て分裂し拡大していく。同時に、手術で疾患部を摘出したあとに、身体の他の部分の皮膚や筋肉を植えつけると、その移植された部分の細胞が新しい環境に適応し、自己の色・形・性質を変えていく。そんなことを、この文章を訳しながら考えていました。けど、モランはここに書いていませんが、メタモルフォーズは必ずしも望ましき変身ばかりじゃないんだよねえ、、とか思った次第です。まあ、本を読んだり自分で考えたり体を鍛えたりして、平均感覚を養うしかないんだろうなあ、、凡人にできることと言ったら。。。
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