考えてみたら日本のTVドラマを見るなんて(「坂の上の雲」と「のだめカンターヴィレ映画版も含む」)何十年ぶりである。日本にいた頃TV見てたのはせいぜい中学生の頃までで、それも多くは初期のアメリカ・シリーズ物。ああ、あとは「時間ですよ」とか「拝啓 おふくろ様」とか「寺内貫太郎」なんかは家族と一緒に見てたな。まんがは見てない。NHKの朝の連ドラも見なかったし、NHK歴史物も見たことなかったんで(司馬遼の小説読んだことないし)小説・TV史観というのがあるというのさえ知らなかった。
それが、どういう具合かこの正月はかなりの時間を費やしてネットで上記2番組を見つくしてしまったわけだ:でもどうして?
溜まってる本読んだっていいわけなのにね。ああ、たぶん頭を使いたくなかったんだ、と気がついて、TVアディクションから脱却いたしました。
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昨日は久しぶりに気分が楽になった一日だった。オバマは一般教書演説を無事こなし(最初の10分ほど見たけどアタクシにも分かる英語で正論を語っていた:外交に費やされた時間は9分間と短かったが、テロリストという言葉は一度も使わずエクストレミストと言っていたとのこと)、オーストラリア・オープンでツォンガが悪ガキ・ジョコヴィッチに勝って、ハイチでは16歳の少女が救出された。昨年から再開していたClearstream 裁判の判決が出て、ド・ヴィルパンに無罪が言い渡された。(クリアストリーム事件とはなにか、解説したいところだけど、残念ながらアタクシなんぞにはレジュメ化もできない摩訶不思議事件なのである。) それで、ああこれだけでもなにやら肩の上にオモーク圧し掛かっていたプレッシャーの幾分かは軽くなったような気がしたのだった。
ところが(判決が出たのは昨日の昼過ぎ)、今朝になって裁判の検事が控訴を、それもラジオで発表。オンブオバケの重量が2倍になって帰ってきた。
この「帝国の逆襲」感はフランス全住人の少なくとも3/4、いやもっとかもしれない、とにかくかなりの人々が共有したショックだと思う。またしてもわれらがゴッダム・シティ、というかゴッダム・カントリーに悪い磁場が張りめぐらされてしまった。ビビビビーン。そこでは、無数の監視カメラと無数の各種ポリスが絶え間ない警戒を続けている。公務員たち(と多くの派遣)の使命は、市民リストを作りあげ観察内容を記入し続けることである。
不況も、SDFの不幸も、希望を持てない若い連中の無謀も、政治の無力も、大手を振った大嘘も、めまぐるしく変わる天候も、みんなみんな今の世界的トレンドであるが、ここフランスではおまけにゴッダム磁場が威力を振るっているのだ。
なんかもう、ネットで今度は「欽ちゃんの新春かくし芸大会」でも何十年か分見てやろうじゃないの、ってな気分である。
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アタクシはドヴィルパンのファンでもなんでもないけれど、イラク戦争前夜の国連安全保障理事会でのドヴィルパンのスピーチには、フランスにすむ一人の人間として大いに誇りを感じたのだった。
しかし、アタクシはあくまで左の人間である。かつて、ジャック・シラクの嘘と腹黒さにはかなり閉口していた。
そしてある意味、サルコジとドヴィルパンはジャック・シラクの双子の息子なんだ。双子のブラック・プリンスとホワイト・プリンス。まあシラクの政治的長男としては、まずアラン・ジュペがいたんだが、彼ははシラクがパリ市長だった時期の汚職の罪を引っかぶって島流しを食らい、今ではボルドーの市長をやっている。二番めと三番目の双子のあとにはコペがいて、棚からボタモチが落ちてくるのを待っている。(ルフェーブルはNSの飼い犬のピットブルで、ブルニーはサディックなスーパー・ナニーだろうな。とおくで魔女姿のベルナデットがなにやらまじないをかけてる。←なんだこれ、モンスターズ・ファミリーじゃん。)
で、サルコとドヴィルパンの性格やフィジカルな差異、つまり生まれ(ハンガリーの落ちぶれ貴族の父親に早く見捨てられた vs モロッコ勤務だった外交官の家にうまれ母国に帰ったのは高校のあと)、学歴(大学 vs シオンス・ポ+大学文学部+ENA)、趣味(自転車、仏歌謡曲、メディア出演 vs 歴史、執筆、詩)、結婚暦(3回 vs 1回)を見てるとまったくの正反対なんだけど、年齢差は1歳だしナルシズム度も野心もエゴの強さもいい勝負なんだろうと想像できる。NSがDDVをスキゾフレニーと形容してるようようだが、その言葉もどうしたってブーメランのようにNSに返ってくる。
残念ながら、今回の裁判中にドヴィルパンがどういった証言を行ったかというのは想像するしかないんだけど、その弁舌を聴廷したプレス記者たちはかなりほめてて、その弁力が今回の無罪確定につながったんだと思う。(今回の起訴の理由には大体無理があると、裁判前に法曹関係者の多くが言っていたけれど、問題は三権分立がないフランスでは現在の司法改革の流れもあって政府のプレッシャーがどんどん重くなっていて、不確定度は高かった。)
そしてもう一方にあのサルコ語法がある。たしかパリの7区で生まれてヌイイで育ったニコラ・サルコジの話し方は、7区やヌイイのパリ・ブルジョワ弁のかげりさえないんだが、あれは不可思議。どこであの口調を習得したんだろう。無理に比べてみるなら、田中角栄の「よっしゃ」風フランス語である。主語と動詞と述語と、女性系・男性系とかの整合性なんて、まったくかまってない。
昨日はオバマの演説聞いて感心したんだけれど、政治がブレアやブッシュやサルコジの、マーケティングでたとえばヨーグルトを売ると同じ要領の口八丁で行われる時代が終わって、(哲学もだが)かつてのように弁論/スピーチの内容がモノを言う新時代に入ってもいいんだと思う。そのためにだけでも、真面目な話、ドヴィルパンには(双子の片割れによって)葬り去られて欲しくないと思う。。
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前回の最近死んだ人リストにフランス政治界のアウトサイダー、フィリップ・セガン/Philippe Séguin を加えるのを忘れていた。最後のドーゴール派といってもいいんだろうあの人物は、仏保守の中では例外的に(シモーヌ・ヴェイユと並んで)左派の人々を含めた多くの人々に慕われていた。66歳、ハートアタックで1月7日に自宅で急死。数ヶ月前には(父親は若く戦死)セガンを一人で育てた母親が死去している。
経済学者のサミュエルソンが12月に死んでたことを今まで知らなかった。日本にいて新聞とかTVも見ることなかったからか。。。かなりの長生きだった。というか経済学の教科書の書き手サミュエルソン教授はずっと前に死んでたと思い込んでいた。
サリンジャーも90何歳かなんかで死んだ。10代でキャッチャーもフラニーとズーイも読んで、キャッチャーのほうは自分のほうも新鮮だったからだろう、感動したよ(フラニーのほうは覚えてない;的が外れた小説だなあと思ったように記憶する)。でもあれは50歳のオッサンが読んで感動する話ではないだろう。しかし、これまでの長い時間を、サリンジャーは本の印税だけで生きてたんだろうか、とか下世話な考えしか浮かばない。思えば私も年をとったもんだ。
こんにちは~。
翌朝の検事の控訴にぶったまげた一人であります。
私はドヴィルパンさんのファンなので、復活して欲しい~。
いや、私としては外交官(EU含む)でもいいのですが。でも本人は大統領目指しなのでしょうか。
その後は資料も読んでいなくて把握していませんが、とにかく最近は乾いていますよね。
日本帰国で仏語も(普段から)英語も忘れそうでこれも困っております。もう一ヶ月経ったというに。。
投稿情報: ねむりぐま | 2010-02-08 19:01
ド・ヴィルパンのファンじゃない猫屋です、こんにちは。
相手に品がないだけですよお。
ド・ヴィルパンの目的はどこまでも品のない人へのイヤガラセすること。それだけでしょう。他に何もできないようにもって行ったのは、品のない人なんだけどさ。
この事件をステファン・ギヨンが明解に解説してるのを次の記事につけたしときました。あれで充分です。
投稿情報: 猫屋 | 2010-02-10 04:32